ヘアサロンの悪魔

 久々にヘアカットに行った。まもなく齢49になろうという身だが、わたしのヘアスタイルはほとんど20代の若者と大差ない。行くのはいつも会社の前にある美容院。シャンプー、カット、カラーリング、占めて9900円なーり。おぉ、今回はなかなかカッコよく切れておりますな。。

 実は、わたしはヌースをやるようになってからというもの大の美容院好きである。なぜか——。それはもちろん美容院には巨大な「鏡」があるからだ。なんせ、自分の全身の姿を約1時間ぐらいもの間、まじまじと凝視し続けられるのである。こんなイケてる場所は他にはない。もちろん、自宅にデカイ鏡を置けばそれも可能だが。自宅では鏡を見続けるには根気がいる。ここでは適度な強制によって鏡を見続けることを強いられる。いいねぇ。示唆的だねぇー。暗示的だねぇー。もう一度言おう。「ここでは、適度な強制によって鏡を見続けることを強いられる。」(わざわざ「」つき)おお、最高じゃないか。

 さぁ、ごらん、これがおまえだよ。。時の魔法使いに誘われるままに、わたしは鏡の中の自分に魅せられていく。どうして、アリスは鏡の国で迷子になったのか。ナルシスが朽ち果てて死んだ場所に静かに咲いていたという七つの水仙。。その花に秘められたエコーの想いとは何だったのか。そんなミステリーなんて、みーんな簡単。わたしは、鏡のトリックなんかにだまされないわ。ぜーんぶ、謎解きしてあげる。てくまくまやこん、てくまくまやこん、ぬーすになぁーれ。へへ。というわけで、床屋ではいつも鏡とにらめっこ。鏡で一体何が起きているのかをいつも考えているのであった。

 さて、この半ば変態気味の鏡探索の履歴で分かったことは、鏡の中で起こっていることの本質をほとんどの人が正確に理解していない、ということである。特に一般に流布している鏡映変換なる左右像の反転等の解説があるが、これは三次元的思考がでっちあげた全くのデタラメだ。では、どうデタラメなのか。

 まず、第一に、鏡面とは何かを考えること。一言で言って、鏡面とは他者の視野空間の代理機能を果たすものである。他者の目にはあなたの姿はこれこれこのように映っているのですよ、という形で、鏡面はわたしにわたしの鏡像(他者から見たわたしの像)を見せる。その意味で、美容院にあるあの鏡面とは、実は美容師の視野空間の代理を果たしているというわけだ。これに最初に気づいたとき、わたしは椅子に座っていながら思わず美容師に頭を喰われているかのような気分に襲われた。こ、こいつはわたしの髪など切っていない。その巨大な目でわたしを頭の先から飲み込もうとしている。。。そう、だまされてはいけない。涼しげな顔をして、わたしと一緒にこの鏡の中に映っているこの美容師は本物ではない。亡霊なのだ。この鏡面こそが美容師なのだ。。わぁ〜、助けてくれぇ〜。ここはどこだ。いつものヘアサロンじゃないじゃないか。直方体状のヘアサロン内の空間が、エッシャーの悪魔が仕掛けたからくり箱のようにグニャグニャと歪曲する。なんの、悪魔、破れたり。僕には君の魂胆は見え透いているのだよ。悪魔がそっと囁く。バらすなよ。いや、ばらす。とオレ。バラすと、また、胃を痛くしてやるぞ。と悪魔。そんな脅しに屈すると思うのか。とオレ。眉間にしわを寄せながらぐっと鏡をにらみ込む。気がつくと、髪を切ってる三次元の美容師のことなど忘れている。

「あの〜、すみません。お気に召しませんか?」
「あっ、気にしないで下さい。考え事してるだけですから。。」

 こうして、人知れず、わたしだけの幻魔大戦が高宮1丁目のパーマ屋で展開されていくのであった。