3月 23 2005
二日、穴を開けてしまった。
うー、二日連続で穴をあけてしまった。
別に、毎日この日記をつける義務はないのだが、スタート1ヶ月は一日も休むまい、と思っていたのにぃ。。
悪いのはホテルPである、ということにしておこう。このホテル、わたしが最近、東京で定宿にしているホテルなのだが、いつもは部屋に高速回線が引かれていて、Power Bookさえ持っていけば、何の問題もなく、ネットにアクセスできる。んだが、今回は勝手が違った。なんと部屋に回線が来てない。回線のある部屋に変えてくれぇ~とフロントに頼み込んではみたが、「本日は大変混み合っておりますのでチェンジはできません。」だと。く~、定宿変えてやるぅ~。
というわけで、三日後の今現在、羽田空港内にあるYAHOO CAFE からログイン中。これから博多に戻るところだけど、今回も例によって商談や通信誌の取材の他に、雑誌原稿の受け渡し等いろいろありました。いろいろ書きたいことはあるが、ここのコンピュータはオールWINDOWS。。。慣れてないので、むちゃくちゃ使いづらい。よってポイントだけ。残念だったのは、T大学のO博士に会う予定が、アクシデントで会えなくなったこと。。。
実はこのO博士とわたしは人知れず極秘プロジェクトを進めている(ってバレちゃったじゃないの)。O博士はヌースの古き良き理解者で専門は微生物学。このプロジェクト、要は、ヌース理論から作り出された不思議エネルギーが微生物に対してどのような影響を与えるか、これからいろいろと詳細な実験観測を進めていこうというものである。プロジェクトは去年の暮れにスタート。しょっぱなから驚くべき結果が出ているが、このへんの内容はNコーポレーションの方の次号の通信誌に掲載する予定なので、興味がある方はそちらを当たっていただきたい。
さて、このプロジェクト、実は単にヌースのエネルギーの効力の実質的証明をすることだけが狙いなのではない。とにかく二人で会っていつも話すのは、いままで科学の世界で正式には認められていないこの手のエネルギー(生体エネルギーやら、気やら、プラナやら、動物磁気やら、以前話したオルゴンエネルギーやら、呼び名は何でもいいのだが、とにかく、あるあるとされながら、なかなか確定的にアリバイを持てない正体不明のエネルギー)の存在を科学的にも説得力を持つものとして学会に論文提出しようというものである。そのためためには、微生物実験の結果のみならず、エネルギーが科学的にどういうプロセスで、微生物内の生化学反応に影響を与えたのかを具体的にリサーチする必要がある。しかし、これが極めて難しい。というのも、ヌースのエネルギーは理論的に言ってイデアに変化をもたらす力である。
イデアとはヌース理論の文脈では素粒子にあたる。ということは、論旨の流れから言って、ヌースの影響が素粒子レベルに直接、何らかの影響を及ぼしていることを立証できなければならない。だが、そうした微細なレベルを測定するアナライザーの見当がなかなかついていないのである。おそらく、微生物実験の方ではこれからも様々な変化を示す実験結果がでてくるだろうが、その具体的なプロセスの解明が進まない限り、ヌースは従来の不可思議エネルギー同様、「怪しげ」「超科学」といったレッテルを免れることはできないだろう。何とかこのレベルを打破し、現象的にも、理論的にもパーフェクトな論文をO博士に書いてもらうことが、実は、このプロジェクトの真の目的なのだ。以後、この作業に関するニュースがあれば、この日記にもいろいろと続報が登場してくることと思う。乞うご期待!
DIEFOR
2005年3月24日 @ 02:43
脱-トンデモ目指して頑張って下さい。
僕も、建築の話をすると、観念的だとか、それは神秘主義だとかガヤガヤ言われるのですが。
やはり、理論だけじゃダメなんですよね。Y氏の言葉を借りれば「現象!」私は一理あると思います。
しかし、いまの同世代の人たちを見ていると、理論的な裏づけというか、歴史だとか、そうゆうものをすっ飛ばして、結果に走る傾向にあるように僕は感じるんです。
僕の好きなリベスキンドだって、彼の師とも言えるアイゼンマンだって、もともとは大学で建築理論や文化総体の歴史を学んできた方々です。
まあ、そうゆうタイプの建築家は実作より先に著書が出たりと、いわゆるアン・ビルドの建築家で長くあったりするわけですが。。。いま、現代建築に新たな風を吹き込んでいる人たちのほとんどがそうした元アン・ビルドの建築家と呼ばれた人たちなんですよね。
つまり、何が言いたいかというと、歴史を学び自らの建築理論を構えることは、私はある意味、一つの言語の習得に似たようなものだとおもうのです。
建築言語、、と言ってしまえばありきたりですが、私たち人間が、まず言語を習得することによって、「表現すること」(他者との出会いも然り)の可能性を開くように、真に創造的な建築もまた言語なしにはありえないと思います。建築言語を持たない建築家は結局、路肩に無造作に転がった記号(言葉)を、ただ悪戯に弄んでいるに過ぎないように思うのです。
カット&ペーストやコラージュといった一昔前に批判的に提示されていた現代美術のモチーフがまさに正当な手法になりつつあるようです。
創造行為を「遊戯」としてではなくあくまで「ゲーム」として消費されていることへの違和感。。。
とはいえ、私もまだまだ「ブーブー」や「ばぁーば」程度の言葉(建築言語)を覚えたばかりの赤ん坊。
自分の口で自分の言葉を話せるようになるまで、心身費やして、ひたすら努める他ありませぬ。
いつぞや自分の言葉で美しいポエムまでもが詠えるようになるまでは、学生というこのクソ甘ったれたご身分、ご飯粒一つ残さずありがたく使わせて頂きます。
というか、学生というのは本来そうゆうことを得るための時期であると思いません?
私は道具的(利用)価値でしかない建築ならば、まだ使えない建築の方が潔く美しいとさえ思います。
話がアベコベで申し訳ありません。
一日中、図面と向き合っていたせいで、テンションがどうもオカシイのです。お許しを。
たおコーチ
2005年3月24日 @ 14:56
東京出張お疲れ様でした。
ブログはなぜだか、毎日書くと決めると書いてしまいたくなるようで、更にブログめぐりとかをし始めると、それをブログ中毒と呼ぶらしく、そんな人もいるらしいのです。
こちらも3月のはじめから練習のために始めたけど、毎日書いている。
O博士とのプロジェクトは面白そうですね、コーチングでも、それ以外に神経言語プログラミングとか、EQとかエニアグラム(あのグルジェフが西洋に持ち込んだ)とかを持ち込んで、ビジネスで役立つように考えているけど、測定という事が大事なので、コーチ仲間の雑談ではそういう事にも興味を持っている人もいますね。脳が話題になることが多いのですが。微生物も脳の役割を担っているから、
そのあたりの事が測定だけでも出来て、メカニズムは、更なる科学の測定技術が必要のレベルにきているし、そこまでできないかも知れない。
イデア自体に影響を与える。よいキーワードで、ヌース理論は我々をどこに連れて行くのかを細かくコーチングしてみると面白いと思考実験していたところです。