3月 14 2005
“カンパニー”について考える
今日は会社の月例役員会。我がN社は月に一度、社の方針確認のため役員が集まって会議を開く。しかし、別にフジテレビのライブドア対策会議のようなものを想像してもらっては困る。役員と言ってもわたしを含めて3名。わたしとわたしの姉二人である。何の事はない、四次元の第一次産業のトップ企業をひた走るN社は、なんと同族会社なのであった。。いかんなぁ。。地味やなぁ。。。
まぁ、もっとも本質的にはフジテレビも大差ないかもしらんが。。兄から独立して、会社をスタートさせたときは、もちろん、わたし一人による創業だったが、わたし自身、経理や営業といったマメさが必要な仕事はあまり得意ではない(あまり、というのはカッコつけ。全くと言った方が正しい)。そのうち自分の能力に限界を感じ、元、銀行OL上がりのY姉と、化粧品代理店をやっていたN姉をヘッドハンティングして、ガシッと両脇を固め、現在の体制にまでどうにか持ってくることができたのだ。あれから、早14年。。。わたしがここまでヌース三昧で生きてこれたのも、この二人の姉の支えによるところが大きい。心から感謝。
しかし、同族企業というのは互いに気心が知れて仕事がやりやすい反面、会社を発展させるという意味では多分にデメリットな部分の方が大きい。最近、崩壊の憂き目にあっているダイエーや西武にしても、その実態は血縁支配であった。古今東西、支配層というのは決まって純血を好むものだ。それは財界にしろ、政界にしろ、学界にしろ、変わらない。支配=権力とは、言うなれば一種の家政学なのだ。この家政学的体制がなくならん限り世の中なんてものはよくはならん。国家という字に象徴されるように、国は一つの家なのであり、家もまた一つの国であるということを再認識しよう。こうしたオイコスの場には必ずと言っていいほど専制君主機械による支配-従属欲求のエロスが潜り込んでいる。わたしはSもMも好きだが、そろそろ卒業せんといかんのよ。。。N社の事業展開を軌道に乗せることができたなら、今度は、ヌース理論関連の事業体を作るのがわたしの夢である。4年ほど前に試みたヌースアカデメイアのNPO化は失敗したが、折を見てはその機を伺っている。できれば、そこには血縁とは一切無縁の人々の集まりを作りたい。もちろん、宗教団体のようなダサい組織もパスだ。上下関係も命令系統もないようなフラットな粘菌生命体のような共同体。。。
君が最も信頼してつきあっている人物は果たして誰だろうか。そこに親族や配偶者でもなく、友だちの名が挙がるようならば、君は四次元的愛の実行者と言える。性愛や家族愛は自己愛の延長線上にある自動機械だが、いかなる利害も派生しない友愛というものがあるならば、それは至高の愛と呼んでいいものである。子である前に、親である前に、夫である前に、妻である前に、そして、恋人である前に、無名性の友人であれ。それはまた隣人とも呼ばれる。真の隣人とは神である。
DIEFOR
2005年3月15日 @ 12:35
私は三次元の愛(?)は身体のようなものだと思います。それがなくちゃそもそも他者を愛することが出来ないような基本形。
コウセン氏はもちろん違いますが、神秘主義まがい(オカルティズム)のものに傾倒する人たちの多くは、身体なくしてSEXが可能だと勘違いしているのではないかと思うことが度々あるのです。
私がしばしば、一般に出回っているプラトニズムを敬遠することがあるのもcaveのお話ではないですが、“影の世界”がウソで、“光の世界”がホントウだといった安易な二分法に走りがちな部分があるからです。
手前に落とされた自身の影は、背後からそれらを投射する光への契機だと思います。
“影”を知らない(知ろうとしない)人間は、“光”を眼差しうる瞳を持ちません。
それと同じように、家族をまともに愛してやることさえ出来ない人間に、神と交わるペニスも種もへったくれもありゃせんと、オカルティズムはありゃインポだ、種無しだ、とか思うわけです。
・・・はい、言い過ぎました。ゴメンナサイ。