普遍的で新しいもの

 では、芸術とは何か………って、ことだけど……。

 Artという語は語源的にはギリシア語のTechne(テクネー)に由来している。そのためか日本では、最初は「技芸」と訳された。外界と内界が明瞭な分離を見せていない前近代的な意識では、人の手によって作り出される創造物はみな一括りに見られていたのかもしれない。「技」と「芸」が区別されるようになったのは、たぶんルネサンス以降だろう。実際、ダ・ビンチなんかは技芸家と呼ぶのが一番ふさわしい。その後、「技」は科学技術へ、「芸」は芸術へと呼び名を変えてくことになる。

 ガリレオによる放物線の発見が大砲の製造技術に大きく寄与したように、科学技術は、重さ、長さ、時間という個々の要素間における関数的なアレンジメントの中で現象を操作する。一方、芸術は知覚や情動といった生きられたものに固有の体験、もしくは出来事の世界に関する表現を操作する。人間の手を介した現象化のこうした大別は、ヌース理論的には、人間の内面と外面における、いわゆるバロック的な二つの等化運動の現れと見なすことができる。ならば、芸術による生産には自我形成以前の、コミュニケーション以前の原型的な何かが組み込まれていなければならない。原型的なものは「かつて一度たりとも顕在化したためしはない」がゆえに、意識下においては絶えず普遍的な価値を携え、かつ革新的な様式を持って姿を現すことになる。それが芸術の真の姿と言っていい。芸術が「自己表現」や「コミュニケーション」の一メソッドなどと呼ばれるようになったら、もうおしまいなのだ。

 芸術がPOPの名のもとに商業主義の中に侵攻していくのは個人的には大歓迎ではある。しかし、そうした原型の匂いを漂わせているPOPな作品が何と少ないことか。

 インフルエンザにもかからず、無事、博多に戻ってきました。今日は、帰ってくるなり、自社製品の広告制作に追われてました。広告表現に身を売った芸術は売春婦やんけ〜と、いつも叫んでいるのですが、自分の作業はそのレベルにさえ達していない(;;)。努力がまだまだ足りません。今から、留守中にきたメールや手紙の返事を書きます。うっ、また、霊界おばさんから手紙が。。。いいかげんにセントジョーンズワート………広告制作の後遺症です。みなさん気にされぬよう。