ヌーソロジーが思考しているものは理念です。理念とは概念と実在性との統一のことです。十全な概念という言い方もできます。
私たちが経験するすべての物質的存在は、その中に理念を持っており、理念自体がその理念を表現することにおいてのみ存在しています。
概念とその表現としての実在性との一致。それやっているのが私たちの心のなかに潜む知性の働きと言ってもいいでしょう。
⚫︎ヌーソロジーがやっていること
このような考え方をすると、物質の大元と、私たちの精神の大元は同じものであるという直感が働いてきます。
言い換えるなら、理念を思考する世界では、精神の発生と物質の発生は同じものとして見えなければならないということですね。
その意味で、素粒子を内的なものとして再発見することは、私たちの前に、理念世界の扉が開いてくるということでもあるのです。
それがヌーソロジーがやっていることです。
⚫︎球の理念と球精神
理念の空間は持続として奥行きに息づいています。ですから、理念を思考する者は奥行きに自分自身を見なくてはいけません。
自分の周囲の空間がすべてこの奥行きへと変貌したとき、奥行きは一本の線分と化します。これが線の理念です。
この線分は、物理学でアイソスピンと呼ばれているものにあたります。理念はそこから、無数のアイソスピンが集合している空間に出ます。そこに球の理念が息づいています。
物質の起源はこの球の理念です。ヌーソロジーではこの球の理念のことを「球精神」と呼んでいます。
——死が一本の線であることを目撃したアンリ・ミショー。そして、その記述をただならぬ体験として取り上げたドゥルーズ。無数の死が一つの中心を持つとき、そこに地球の輪郭が現れる。僕らがまだ知らない共同体がそこにはある。
2月 6 2025
認識を完全化させましょう
ヌーソロジーが思考しているものは理念です。理念とは概念と実在性との統一のことです。十全な概念という言い方もできます。
私たちが経験するすべての物質的存在は、その中に理念を持っており、理念自体がその理念を表現することにおいてのみ存在しています。
概念とその表現としての実在性との一致。それやっているのが私たちの心のなかに潜む知性の働きと言ってもいいでしょう。
⚫︎ヌーソロジーがやっていること
このような考え方をすると、物質の大元と、私たちの精神の大元は同じものであるという直感が働いてきます。
言い換えるなら、理念を思考する世界では、精神の発生と物質の発生は同じものとして見えなければならないということですね。
その意味で、素粒子を内的なものとして再発見することは、私たちの前に、理念世界の扉が開いてくるということでもあるのです。
それがヌーソロジーがやっていることです。
⚫︎球の理念と球精神
理念の空間は持続として奥行きに息づいています。ですから、理念を思考する者は奥行きに自分自身を見なくてはいけません。
自分の周囲の空間がすべてこの奥行きへと変貌したとき、奥行きは一本の線分と化します。これが線の理念です。
この線分は、物理学でアイソスピンと呼ばれているものにあたります。理念はそこから、無数のアイソスピンが集合している空間に出ます。そこに球の理念が息づいています。
物質の起源はこの球の理念です。ヌーソロジーではこの球の理念のことを「球精神」と呼んでいます。
——死が一本の線であることを目撃したアンリ・ミショー。そして、その記述をただならぬ体験として取り上げたドゥルーズ。無数の死が一つの中心を持つとき、そこに地球の輪郭が現れる。僕らがまだ知らない共同体がそこにはある。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: アイソスピン, 素粒子