「私」と名指されたものは、外側から名付けられたもの。
つまり、他者視点から見た自己のことだね。
自己視点から見ると「私」なんてものは存在しておらず、そこには世界しかない。
それか本当の主体。
非人称の主体のことだね。
「君」とか「御前」とか呼んでもいいと思うけど。
CFT空間というのは、こうした「君」が此岸と彼岸から二人現れてくる空間のことだよ。
ヌーソロジーが「君と君の君」と呼んでいる世界。
いいよね。
そこには、私がいない・・・。
こういう世界を作っていかないと——
詩人リルケは、このような世界のことを「世界内部空間無と呼んだ。
でも、未だ世界が外部で満ちているということは、文学や哲学の力で、そこに入って行くことはまだ難しかったということだろう。
でも、今は科学が発達してきて、量子力学までたどり着いた。
CFTの世界だ。
だからこそ、どんな人でも、この世界内部空間へと入っていける切符を手に入れたということ。
もっとも、当の科学者たちが、そのことに気づいていなのだけどね。
12月 29 2024
「世界内部空間」としての「君と君の君」の世界
「私」と名指されたものは、外側から名付けられたもの。
つまり、他者視点から見た自己のことだね。
自己視点から見ると「私」なんてものは存在しておらず、そこには世界しかない。
それか本当の主体。
非人称の主体のことだね。
「君」とか「御前」とか呼んでもいいと思うけど。
CFT空間というのは、こうした「君」が此岸と彼岸から二人現れてくる空間のことだよ。
ヌーソロジーが「君と君の君」と呼んでいる世界。
いいよね。
そこには、私がいない・・・。
こういう世界を作っていかないと——
詩人リルケは、このような世界のことを「世界内部空間無と呼んだ。
でも、未だ世界が外部で満ちているということは、文学や哲学の力で、そこに入って行くことはまだ難しかったということだろう。
でも、今は科学が発達してきて、量子力学までたどり着いた。
CFTの世界だ。
だからこそ、どんな人でも、この世界内部空間へと入っていける切符を手に入れたということ。
もっとも、当の科学者たちが、そのことに気づいていなのだけどね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: CFT, 量子力学