トランスフォーマーに変身していくための基礎的な空間感覚

1.お馴染みの図だと思いますが、ヌーソロジーを学んでいる人は、言語空間(人間の内面)と知覚空間(人間の外面)の違いを分かるようになっておきましょう。この両者を振り分けているのは「物」です。もっとも近代以降は両者の関係が逆転していますが……。
ここでいう逆転とは、リンゴの手前方向が「いる」になって、リンゴへの方向が「ある」になっているということ。この「ある」が”対象化”です。「いるもの」が「ある」になって、「あるもの」が「いる」になってる。近代意識の錯誤はほんと厄介です。
これ、何とか解体して行きましょう。人間の意識のトランスフォルムはそこからしか始まりません。

2.「ある」空間の方は概念です。つまり実際に見えている世界ではないということ。「いる」空間の方は観念です。つまり実際に見えている世界だということ。私たちが一般に「外」と呼んでいるのが思形空間。「内」と呼んでいるのが感性空間です。男性は思形空間に、女性は感性空間にそれぞれ傾きがちです。

3.「ある」空間と「いる」空間。これらは言葉の空間とイメージの空間と言い換えることができます。記号論的にはシニフィアンとシニフェの関係。意識はまずは「いる」に始まり、そこから「ある」が生じてきて、その「ある」が「いる」へと変換されるときに生まれてくるのが意味(シニフェ)です。

4.「ある」空間と「いる」空間は、自己と他者では真逆に構成されています。つまり、自己は「いるもの」ですが、自己にとって他者は「あるもの」でしかない。これが自他のあいだに立ちはだかる巨大な壁です。しかし、同時に「あるもの」は他者との共同によって生まれてきているものでもある……。

5.哲学はこの「いるもの」の世界を”内在”、一方の「あるもの」の世界のことを”超越”と呼んでいます。今のように「いるもの」が「あるもの」の世界に抑圧されている限り、世界は超越的であり、それがどこからやって来たのかは分からない…神という概念の発生もまたこの”超越”が原因です。

6.「いる」世界には本来、時間はありません。「いる」とは持続感覚の別名です。時間は「ある」をあらしめるために生じてくるもので、その本質は瞬間性です。これら持続と瞬間の関係は下図の鉛筆の芯で描かれた4次元の方向性の違いとして表現されています。

7.こうした「ある」空間と「いる」空間の自他における双対構造を4次元の奥行きのもとに射影を通してミクロへと収縮させているのが素粒子です。それが見えたときに「なる」空間が開いてきます。「なる」空間とは、「いる」空間と「ある」空間のあいだで活動している物自体の世界です。
ヌーソロジーが素粒子のことを人間の無意識構造と呼んでいる背景には、こうした一連の空間に対する解釈があるからだと思ってください。物質の謎、生命の謎は、すべて空間の中に潜在化している私たちの意識にあります。