主観空間(自分がいる空間)と客観空間(外から見た空間)はまったく違う場所にあるということにそろそろ気づこう

客観と主観の混乱は、物理学者たちの間でも普通に起こっている。例えば「シュレディンガーの猫」。この例えは、量子力学的な重ね合わせをマクロスケールの物理的現実に誤って適用したことによる混乱の好例だ。

量子力学的な重ね合わせの世界は、あくまでも主観空間において起こっている出来事である。主観空間自体がミクロスケールの空間なのだ。これを客観空間の延長線上で捉えようとするから話がおかしくなる。
主観空間は持続空間であり、状態の重ね合わせとは、この持続空間内での認識の重ね合わせを意味している。つまり、量子状態とは、観測者の意識の内部世界として理解されるべきものであり、それをマクロスケールの猫の生き死に接続させて考えること自体がカテゴリーエラーなのだ。

何度も言うが、量子世界は対象ではない。私たちの認知構造を支えている無意識の機構だ。私たちの本性は時空に住むものではない。

ちなみに、ヌーソロジーが主観空間と呼んでいるものは、客観空間をすべて取り去ったところに出現してくる空間のこと部あり、別の言い方をするなら始源(アルケー)のことです。だから、そこに素粒子が現れてくるのです。
この始まりの位置に立ち戻ってこそ、私たちは初めて自らの意識の方向性を逆転させることができてきます。