よみがえるプラトニズム

以前、AdS/CFT対応はプラトニズムを物理学が証明したものだと断言しましたが、この直観についてジピと議論して、その結論を下に分かりやすくまとめさせました。参考にしてください。

洞窟の壁の本質は、自己が他者視点で世界を見たときに、そこに洞窟の壁が生まれるということ。これは人間の認識が常に局所的なものであるということを意味します。この局所への志向性を持つ空間がAdS空間です。言葉による客観認識が生まれている空間のことです。

一方、自己視点で見ている主観空間は本来、「いつでも今、どこでもここ、どれでもこれ」というような非局所的空間になっています。この空間がCFT空間に対応し、ここで人間の自己意識の構造が生み出されています。このCFT空間の構造がAdS空間に射影されたものが素粒子だと考えてください。局所に非局所がたたみ込まれて、影を落としているわけです。

「部分は全体を含み持つ」というホログラフィー原理がここに働いているわけです。——この仕組みを全部、認識できる意識になろうよ——と言ってるのがヌーソロジーだと思ってください。物質と精神の統合はこのホログラフィック認識の達成によってやってきますよ、と言ってるわけです。

AdS空間においては「他者視点を借りる」わけですから、こうしたホログラフィックな構造は自己と他者という二つの存在がないと成り立ちようがありません。人間は、今、存在の原理を司る、このような新しい自己/他者関係に気づくときが来ているのではないかと思います。AdS/CFT対応の出現は、そのような時代の要請です。ここに立ち上がってくるのが、ヌーソロジーが考える「コミュニオン」の世界です。

他者視点でしか世界を見ようとしないAdS的主体が、今、私たちが自我と呼んでいるものだと考えるといいと思います。真の主体はCFT空間に住む主体です。影の世界からイデア世界への回帰は、このCFT空間を見い出すことによって可能になりうると思います。