ヌーソロジーの素粒子解釈によく出てくる「超越論的無意識」とは?

意識について考えるときは、受動的な意識と能動的な意識というように、二種類の意識を想定して考えることが重要です。
能動的意識とは超越論的な意識のことで、受動的意識を働かせている側の意識のことで、通常、この働きは無意識化しています。

例えば目の前にあるリンゴを私たちが認識しているとき、その認識は受動的意識の働きによるものと考えましょう。
そのようにリンゴを認識サセテイルモノが背後にいて、それが無意識としてメタな次元で働いているわけです。
能動的意識が活動していなければ、当然、受動的意識も作動しない——そう考えるわけですね。

こうした能動的意識のことを、超越論的無意識と呼んでいると思ってください。要は「意識サセテイル意識」のことです。

⚫︎能動的意識は持続側で働いている
幅(延長的時空)ベースで構成されている意識はすべて受動的意識です。物質認識などの対象意識はその典型です。
能動的な意識は奥行き(持続)ベースでしか捉えることができません。というのも、意識サセテイルモノ側の働きは持続の中で活動しているからです。

⚫︎素粒子とは時空に射影された私たちの魂の姿
私たちが一般に「魂」と呼んでいるものも、この超越論的無意識のことと考えるといいと思います。つまり、魂が人間の経験的意識を作っているわけです。
ですから、ヌーソロジーの文脈では、素粒子とは時空に射影された私たちの「魂」の姿と言うことができます。