12月 17 2024
ヌーソロジーは、観測者は無限遠点から世界を見ていると考え、そこに現れる4次元空間を持続空間として解釈する(下図参照)。このアプローチが意味するのは、観測者の意識は本来、空間と時間を超えた場に位置しているということだ。 このような前提をセットしてこそ、存在世界は全く別の方向へと開いていくことになる。
1. 〈他者-構造〉=AdS空間としての3次元知覚 ヌーソロジーが言う「他者構造としてのAdS空間」とは、私たちが通常「3次元世界」として認識している空間が、実際には他者の視点を通じて構成されている空間であるということを意味するものだ。 つまり、「目から外の空間を見ている」とする常識的な空間理解は、私たちが直接体験している空間ではなく、他者の視点が意識の中に組み込まれ、それを通して、自己が肉体的な統一像として把握された結果生じているものなのだ。 このように〈他者-構造〉による認識は、物質的存在としての自分や世界を形成し、あたかも「自己という主体が物質である」とする錯覚を引き起こす。
2. 無限遠点としての観察位置と「持続空間」としての4次元 ヌーソロジーでは、観測者の意識の位置を「無限遠点」として考える。それによって、今まで無限に広がっていると思われていた3次元空間は丸められ、4次元空間への直立性が現れる。 この無限遠点は、決して延長的な無限性を意味するものではなく、次元の遷移を表すものであり、対象の観察というものが、本来、絶対的な視点からなされていることを示している。ヌーソロジーでは、この4次元の直立性を持続空間として解釈し、この軸が意識の基盤として働いていると考える。
3. 物質的観察の限界と観察次元の直交性 現代科学では脳に意識の位置を考えるが、物質世界を観察する「主体」が脳という同じ物質的な次元に位置すると考えるのは矛盾している。物質が物質を観察することは原理的に不可能であり、観察するものと観察されるものの間には次元的な差異が不可欠だ。 これは、観察が「物質の外側」から行われるべきであり、観察者自身は3次元空間に直交する次元に位置する必要があることを意味する。ここで生まれている次元的な差異が、物理的世界と精神的認識を分かつ境界となっているのである。
4. 素粒子構造としての観察者 ヌーソロジーでは、この4次元の場が素粒子と接続している考え、素粒子構造を人間の無意識の構造とみなし、この構造において物理的な実在の基盤が形成されていると考える。 つまり、4次元において、物質と精神の接続が起こっているわけだが、そこで精神は物質の起源にもなっているわけだ。
結論 したがって、ヌーソロジーの観点か見ると、私たちの3次元空間における知覚や認識は、〈他者-構造〉=AdS空間から〈自己-構造〉=CFT空間へ向けての反射であり、そこでの主体の意味合いは、物質世界から一転、高次元の創造空間へと向けて立ち上げられている創造的意志という意味合いになる。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: Ads, CFT
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半田広宣(ハンダコウセン)
著書 「奥行きの子どもたち」「人類が神を見る日」「光の箱舟」他
12月 17 2024
AdS空間からCFT空間へ
ヌーソロジーは、観測者は無限遠点から世界を見ていると考え、そこに現れる4次元空間を持続空間として解釈する(下図参照)。このアプローチが意味するのは、観測者の意識は本来、空間と時間を超えた場に位置しているということだ。
このような前提をセットしてこそ、存在世界は全く別の方向へと開いていくことになる。
1. 〈他者-構造〉=AdS空間としての3次元知覚
ヌーソロジーが言う「他者構造としてのAdS空間」とは、私たちが通常「3次元世界」として認識している空間が、実際には他者の視点を通じて構成されている空間であるということを意味するものだ。
つまり、「目から外の空間を見ている」とする常識的な空間理解は、私たちが直接体験している空間ではなく、他者の視点が意識の中に組み込まれ、それを通して、自己が肉体的な統一像として把握された結果生じているものなのだ。
このように〈他者-構造〉による認識は、物質的存在としての自分や世界を形成し、あたかも「自己という主体が物質である」とする錯覚を引き起こす。
2. 無限遠点としての観察位置と「持続空間」としての4次元
ヌーソロジーでは、観測者の意識の位置を「無限遠点」として考える。それによって、今まで無限に広がっていると思われていた3次元空間は丸められ、4次元空間への直立性が現れる。
この無限遠点は、決して延長的な無限性を意味するものではなく、次元の遷移を表すものであり、対象の観察というものが、本来、絶対的な視点からなされていることを示している。ヌーソロジーでは、この4次元の直立性を持続空間として解釈し、この軸が意識の基盤として働いていると考える。
3. 物質的観察の限界と観察次元の直交性
現代科学では脳に意識の位置を考えるが、物質世界を観察する「主体」が脳という同じ物質的な次元に位置すると考えるのは矛盾している。物質が物質を観察することは原理的に不可能であり、観察するものと観察されるものの間には次元的な差異が不可欠だ。
これは、観察が「物質の外側」から行われるべきであり、観察者自身は3次元空間に直交する次元に位置する必要があることを意味する。ここで生まれている次元的な差異が、物理的世界と精神的認識を分かつ境界となっているのである。
4. 素粒子構造としての観察者
ヌーソロジーでは、この4次元の場が素粒子と接続している考え、素粒子構造を人間の無意識の構造とみなし、この構造において物理的な実在の基盤が形成されていると考える。
つまり、4次元において、物質と精神の接続が起こっているわけだが、そこで精神は物質の起源にもなっているわけだ。
結論
したがって、ヌーソロジーの観点か見ると、私たちの3次元空間における知覚や認識は、〈他者-構造〉=AdS空間から〈自己-構造〉=CFT空間へ向けての反射であり、そこでの主体の意味合いは、物質世界から一転、高次元の創造空間へと向けて立ち上げられている創造的意志という意味合いになる。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: Ads, CFT