2月 5 2024
光のスピン
光とは有機体。有機体とはカタチのない精神——ご存知、OCOTの言葉である。
光子はスピン1の粒子に分類されている。
特殊相対性理論によれば、光子はつねに光速で移動するため静止系が存在しない。これは光子のスピンが常に進行方向に沿っていることを意味している。
そのため、光子のスピンはその進行方向に対して「横向き」の成分を持つことができない。そして、この横向きの成分を持てないということが、光子の質量がゼロである原因と言われている。
この「横に向けない」、つまり直線から出られない、という光子の性質が、OCOTが「カタチのない精神」と呼んでいる所以だろう。
つまり、光子とは幅世界の中に落ちて、幅と同一化している私たち自身の奥行きのことである。
奥行きを差異化させること。そうすれば、光の外の光——カタチを持った精神が現れる。
ベルクソン風に言えば、無限に弛緩した精神。それが光の正体だと言っていいような気がする。
それは私たちが認識する空間とほとんど同意だ。空間の中を光が走っているというよりは、光によって時空は作られている。そう考えた方が真実に近い。
とすれば、光のスピンとは収縮した時間ということにでもなるのだろうか。質量への方向が持てない私たちの精神の姿・・・。
3月 29 2024
観測者を空間の中に組み込む
今の物理学の最大の問題点は観測者が常に特権的な位置にいて、物理現象を神のような視座から見てしまっているところにあります。
観測者の観察行為も実際は自然現象の中で起こっていることです。ですから、現象を正しく見るためには、観測者もまた現象の中に含まれているという考え方で、この自然を見る必要があります。ヌーソロジーはその意味で、観測者の視線を空間のそのもの中に組み込もうとしているわけです。
実際、特殊相対性理論では、時間と空間が密接に関連しており、観測者の運動状態に応じて時間の経過が変化することが示されています。これは観測者の視線の中に時間を見ることによって成り立っている理論だともいえます。ただ、組み込み方が中途半端です。
ヌーソロジーの場合は、観測者の視線の中に虚時間の概念をも取り入れるべきだと言ってるようなものです。それによって、4次元空間の性質や量子力学的現象の解釈に新たな視座を提供することができると考えています。ヌーソロジーが「奥行きは4次元空間である」というのも、そのような意図においてだと思ってください。
観測者を空間の中にダイレクトに組み入れましょう。そうすれば、量子と人間の意識の関係も明らかになってくるはずです。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 特殊相対性理論