6月 29 2018
空間認識の反転を促していくために
ヌーソロジーの基本概念である「人間の内面」と「人間の外面」について、別角度で分かりやすく説明しておこうね。自分を観察者としたとき、下図1のように自分をイメージしているのが「人間の内面」。下図2のようにイメージしているのが「人間の外面」。
人間の内面の意識は、図2の状態までも「対象の知覚」と呼び、図1の構図の中で理解しようとする。常に、図1の構図が基本にあって、そこをフランチャイズにして世界イメージを作っているわけだね。これが「あるもの」の世界であり、ヌーソロジーが人間型ゲシュタルトと呼ぶ世界。
人間の内面で知覚をイメージしてしまうと、リンゴに光が当たり、その反射光が目に入り、視神経を刺激して視覚中枢に入る―みたいな説明になっちゃう。「意識は脳で生まれてる」なんて考え方も、これと同類。
人間の外面は人間の内面の一部ではなく、全くの異次元と考えるのがヌーソロジー。図1が外在(あるものの世界)とするなら、図2は内在(いるものの世界)と言っていい空間で、決して、3次元空間の一部ではないということ。
本当は人間の外面が基盤となって、人間の内面ができあがっているのに、それが引っ繰り返っちゃってるのが今の人間の世界。だから、すべてが無茶苦茶になっている。この転倒を是正して、世界を正常な状態に戻そうぜ、と言ってるわけだね。
こうしたリセットは、哲学でいう「現象学的還元」に似てるように思えるけど、実は全く違う。というのも、ヌーソロジーの場合は、いつも言ってるように、人間の外面を複素空間として考えるから、つまり、人間の外面はミクロ世界側へと反転して活動している場所になっているということ。
ちなみに、OCOT情報では、このような反転認識の生起のことを「核質の解体」と呼んでいます。核質の解体のあとに生まれてくるのが「無核質」の世界です。核質とは分かりやすく言うなら、物質概念のことで、無核質の世界では、物質概念は存在しなくなります。
無核質の世界風景を作っていくのが、変換人型ゲシュタルトです。
まだヌーソロジーに慣れてない人は、下の二つの図を見比べながら、じっくり考えてみてね。
3月 28 2024
空間認識の変革の意図
「X」の方でキシトルさんという方から、「空間の革命を開始しよう!!」のテキストに対して、次のような投稿があった。
・これは、シンプルに表現するなら、わたしたちの意識や意図そのものが、量子、素粒子を産み出し、様々なドラマを展開している、と解釈して間違いないでしょうか?
それに対して、次のようなレスを返した。
・逆ではないでしょうか。ヌーソロジーの解釈では量子や素粒子は超越論的なものなので、量子や素粒子の意図そのものが、私たち人間の経験的な意識を産み出し、様々なドラマを展開させている——そのような言い方になるのではないかと思います。
キシトルさんはとても感の良い方で、すぐにこのレスの意味を汲み取ってくれ、次のようにレスを送り返してくれた。
・ほー、なーるほど~(^-^)まったく逆ですね。私たちは自分の意図と意志で生きていると思い込んでいるけれど、実は量子や素粒子の意図で踊っているようなもの。もういちど、イメージを転換し、拡張してみます(^_-)-☆
こうしたやり取りをする中で、僕の中でもヌーソロジーが「空間認識の変革」を訴えることの意図がクリアになった。以下は、このポストに対する僕からのレス。
・はい、ヌーソロジーがいう変換人型ゲシュタルトと呼んでいる空間認識の変革の意図もそこにあります。
ヌーソロジーが提案する考え方は、量子力学と素粒子物理学を、単に物理的な実体に関する学問と見るのではなく、それらを存在の基礎として位置づけて、それらを無意識の層、つまり人間の経験的意識を形成する基層としてみなす考え方を作っていくところにあります。
僕はいつも、この基層をドゥルーズに習って「サセテイルモノ」と呼んでいますが、これは、量子や素粒子を人間の意識に対象認識や自己感覚、時間と空間といった客観感覚を提供している基盤的な要素として捉え直す必要があると考えているからです。
こうした視点から、ヌーソロジーは、物理的な法則や数学的な構造を単なる外部の現象ではなく、人間の内部的な認識と感覚の構成要素として見ます。比喩的にいうならば、素粒子のシステムこそが私たちの本当の意味での「脳」だということです。
その理解によって、いずれは物質と精神の垣根が取り外されていくのだと思っています。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ドゥルーズ, 変換人型ゲシュタルト, 素粒子