7月 8 2019
物のトポロジーと元止揚空間―主客一体の思考様式を立ち上げるために
物質は霊の影だという話はよく聞く。物理でも物質は高次元空間の射影だという話をする学者もいる。しかし、具体的にどのような射影なのかという話についてはサッパリだ。昨日、半ば冗談で紹介した「変換人適性テスト」には、そういった「物のトポロジー」について思考するためのヒントが含まれてる。
鉱物に始まって、植物、動物、人間の身体・・・どれも「物」だ。しかし、その中身となると、順を追って高度に有機体化されていき、ふくよかに組織化されていく。科学は還元論的、機械論的にこれらの構造を分析していくわけだが、その思考には「もの」のトポロジーが欠如している。
物質が単なる部品の寄せ集めじゃないことは今の科学も重々承知している。しかし、3次元的なゲシュタルトしかないために、高次で律動する宇宙生命の表現の形式が見えていない。
物質の真の在り方、有り様、つまり「物のトポロジー」が見えなければ、物質について立てられる問いは、すべて見当はずれの問いにならざるを得ない。
ということで、もう一度前回の動画を見てみよう。
言うまでもなく、この動画は実際の物の回転をアニメーションで表現したものだ。普通の認識では単に目の前で物の回転が起こっているようにしか見えない。しかし、持続空間認識が立ち上がってくると、ここには四つの回転の階層があることが分かってくる。
その回転の層が人間の意識における「元止揚空間」を規定している。
時間と空間の中に物があるという認識はそろそろ止めにしよう。それじゃあ、自然が正しく把握されていない。
物は自らの内部から時間と空間を開き、その開きと同時に、自分の姿を毎瞬、毎瞬の中に湧き出る泉のごとく浮かび上がらせている。その開花のシステムが無限に多層化し波打っているのが目の前の正しい自然の姿だ。
元止揚空間とは、その感覚を復活させるためのアプリケーションソフトのようなものだと考えるといい。
6月 5 2020
十牛図の「返本還源(へんぽんげんげん)」と「入テン垂手(にってんすいしゅ)」
持続としての奥行きは延長としての幅に存在論的に先行する。奥行きは時空に穿たれた不可視の穴である。僕にしろ、君にしろ、実のところ全員がこの穴の住人であり、この穴の群れはその内部で巨大な蟻塚のようにして宙空構造を形作り、それがめくれ上がってくるとき、幅とともに光を吐き出すのだ。
光を受け取るのではなく、光を放つ側へと回り込むイメージを持つこと。それによって、私たちは物側へと立ち、自分を示すものを、それがそれ自身の方から現れてくる通りに、それ自身の方から見ることができるようになってくる(ヌーソロジーでいう思形=ψ9の顕在化のイメージ)。
ヌースでいう思形=ψ9の顕在化とは、十牛図に描かれている第九の境位としての「返本還源(へんぽんげんげん)」のイメージに近い。すなわち「本に返り、源に還る」ということだ。文字通り、自らを然らしむ、真の自己における自然の在り方ということになるだろう。(下図上参照)
OCOT情報ではこの思形=ψ9のことを「平形投影(ヘイケイトウエイ)」と呼んでいる。平形とは言うものの、これは光とともに発出する3次元空間のことだ。そこに投影されてくるものとは自他の最初の結びとしての精神。それを空間に投影してくるものとはΨ9の時間自身である。
水面から立ち上がる光………例のアクアフラットの幾何学がこの「返本還源(へんぽんげんげん)」を成り立たせていることになる。
思形=ψ9が第九の境位の「返本還源(へんぽんげんげん)」のイメージなら、自ずと第十の境位の「入テン垂手(にってんすいしゅ)」は感性=ψ10に対応することになる。(下図下参照)
第一の境位の始まりに戻るということだ。そこには、真の自己によるかつての自己(始まりの自己)との出会いの場が存在している。真の自己が自分自身を物質と出現させ(思形=ψ9)、それを見たものが再び、真の自己へと戻ろうと欲する(感性=ψ10)その円環。
これらψ9とψ10の「間」に当たる場所が、ヌーソロジーで元止揚空間(ψ7~8)と呼ばれる領域であり、物理学的には、この場所が物質を生成する基礎的な場所となっている。→核子(陽子と中性子)
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 元止揚空間, 奥行き