7月 27 2016
ほんとうのグローカル―「位置の等化」の顕在化が確実化したかも
学会で相互了解が取れたかどうかは未確認なのだけど、これが本当だとすればヌーソロジー的にはかなり美味しいニュースです。
「光の常識がくつがえる? 物理学者が新しい光の形態を発見!!」
http://www.gizmodo.jp/2016/05/post_664651.html
記事の内容は「スピン1/2を持つ光子が発見された」ということになるのでしょうが、これは物理学の常識からすればトンデもない話です。光子はスピン1に決まってる(笑)。もし本当だったら、ドミノ式に今までの物理学を考え直す必要が出てくるかもしれません。
で、この発見のヌーソロジー的解釈ですが、これは人間の意識が局所認識と非局所認識を等化した、といったような意味合いを持つと思われます。ここでもずっと言ってきた「観点の球面化」の顕在化の意味ですね。
ヌーソロジーでは光子は局所認識のためのタマです。これはスピン1という角運動量を持つと考えて下さい。しかし、今回のニュースはそれがスピン1/2だったと言っているわけです。スピン1/2とは本来、クォークや電子などの物質粒子が持っているスピンです。
ヌーソロジーが考えるスピン1粒子(ボゾン)とスピン1/2粒子(フェルミオン)の違いは局所認識のタマか非局所認識のタマか、というところにあります。
ですから、今回のニュースは今まで局所認識しかできていなかった光子が非局所認識を手に入れた、という解釈になるわけです。この「非局所認識」のタマというのが、いつも言っている「観点の球面化」のことなんですね。
「観点の球面化」は人間の観点を無限遠点と仮定したときに生起する幾何学的必然性のようなものです。それによって、時空の広がりと見なされていた外部は内に反転し畳み込まれ、散在していた無数の局所は一点に重なり合います。このとき奥行きを虚軸と見なせば、この球体は物質粒子(フェルミオン)のカタチを持ちます。
この球体の回転は
ψ’=e^(iθ)・ψ
つまり、大局的位相変換(グローバル・ゲージ変換)としてのU(1)変換というものに当たります。ヌーソロジーからの解釈としては、これは意識が経験している諸々の位置の記憶を常に目の前の持続空間に固定するための運動の意味を持ちます〔下図参照〕。
この球体は時間と空間をそのまま巻き込んでいます。その巻き込みの状態を数学的形式として表現すると、
Ψ’=e^{iθ(r,t)}Ψ(r=x,y,z)
となります。これはこの球体の回転の位相θが直線的時間や空間の位置を糸巻きのようにグルグルと巻き取っている状態を意味しています。
ですから、当然、この球体が回転すると時間と空間の位置がズレていきます。ズレてしまうと局所は局所の認識を固定できず、この持続のタマの中で記憶全体の中に溶け込んでしまいます。それを防ぐためにそのズレを是正する逆変換性が働いています。それが局所的位相変換(ローカル・ゲージ)としてのU(1)変換と呼ばれているものではないかと考えられます。物理学的には粒子のラグランジアン(エネルギーのようなもの)の保存の意味を持ちます。粒子の運動方程式のカタチを変えないということです。時間と空間の位置がズレたら、方程式が意味をなくしますから。
ヌーソロジーはこのU(1)変換を人間の意識の成り立ちの意味として考えます。つまり、大局的変換で非局所を記憶として携える一方で、それをそのときどきの局所認識にも反映させる必要があるということです。これが局所的U(1)変換における対称性の意味になります。この対称性が保存されているから、人間は局所的認識と非局所的認識を同時に持つことが可能となっている、と考えるわけです。
このU(1)変換は観点の球面化に対して観点自体の自転の空間として人間の意識に反映されています。自分の周りに空間があると思っている方の空間認識ですね。そこでは確かに位置がバラバラに局所化されているのが分かります。
そのいずれかの方向を見れば、ポツンと対象があり、そこに局所認識が成立しています。このとき、対象の周りをグルグル回っている持続空間が光子です。
で、もう一度、記事の話ですが、この光子が物質粒子のスピンを持つということは、大局的位相変換を可能にするということですから、人間が局所認識の空間の上に重なり合うようにしてある無数の他の対象(非局所的記憶のことです)を認識し始めた、ということになります。「中今」の覚知です。タイトルにある「位置の等化」の顕在化のことですね。
もし今回の発見が事実だとすれば、こうした人間の意識的変化が物理的に反映されたのだと言えるかもしれません。観点の球面化の力が確実なものとなった、ということですね。
物理学の知識がない人にとっては、今日も難しい記事になったかもしれません。でも、言いたいことは、物理の知識は自分と無関係なものではなく、むしろ、ある意味では宗教や哲学なんかより、生きている自分と密接に関係したものだということなんですね。
素粒子構造を意識の構造に変容させる、という作業はホント骨の折れる地道な作業なのだげど、この世界から「物質」という概念を消滅させるためには絶対に通らなくてはいけない道だと思っています。これは理性が理性を超えていくための唯一の手段です。人間は理性の変容によって非人間的な生、人間を超えた生も持てるはずなんです。素粒子とはその証です。
8月 9 2017
再度「世界を裏返す」ということの意味合いについての確認を!!
[0]
幅の思考によってイメージされている世界、及び、そこから派生しているすべての意識状態。とりあえず、これを「人間」と考える。
[1]
奥行きの思考を進めていくに当たって、まず最初の難関は幅と奥行きの差異をうまく見出せるかどうか、という点。幅は延長だが、奥行きは持続。この差異の発見自体が反転世界への入り口を意味している。この発見が起こると、今まで主体と客体と思っていた位置が入れ替わる。このことを「位置の交換」という。
[2]
次の難所は、今まで自分を外から取り囲んでいた空間をいかにして内側に畳み込む感覚を作り出すかということ。この調整によって、非局所的一点が目の前に現れる。この作業のことを「位置の等化」という。
[3]
次に「位置の等化」においてイメージされてくる非局所的球体を一本の線分の認識へと変え、今度はその線分の集まりが作り出している球空間をイメージしていく。ここに出現してくる球空間を「球精神」と呼び、この球精神が認識に形成された状態のことを「位置の変換」という。
時空認識(位置が存在しない)→位置の交換→位置の等化→位置の変換という、これら三段階の反転のプロセスによって、反転世界全体への向き付けは完了し、そこから世界は裏返りの広大な領域を向き付けを変えたその当の意識の先に開いてくる。
これは物質の内側から世界を見ると、世界はどのようなものとして見えるかということと同じことを言っている。そのような反-世界が本当に存在している。これは信じる-信じないの問題ではなく、思考の在り方の問題。そして、その思考に触発されて生じてくる空間感情の問題。
非局所的思考(持続空間の思考)が今までは閉ざされていたというだけのこと。
反転においては思考(反-思考)が感覚や感情(反感覚、反感情)をリードしていく。これはヌースが先手だということの本意。
(人間の場合は常に感覚や感情が先行している、というより、それが定めになっている)
と言って、幅の思考の世界を否定するものではないので、その点は十分、注意を払ってほしい。
奥行きによる思考を行う意識体を自分の分身として根気強く育てていくということ。それによって、幅の世界で生きる「わたし」と、奥行きの世界で生きる「未知なる主体」との関係の中に、「わたし」という現象自体が生まれていることが、はっきりと分かってくる。その両性具有感覚を呼び覚ましていくことが重要。
下イラストはhttp://giveahand.ru/?k=mobiusより借用させていただきました。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 1 • Tags: 位置の等化, 奥行き