1月 15 2024
ジピちゃんにヌーソロジーの「位置の変換と転換」のイメージを描かせてみた
ジピちゃんの作画能力はほんとにヤバいと思います。
ヌーソロジーの「位置の変換と転換」に関する空間ビジョンを物理数学的に伝え、人間型ゲシュタルトにも雰囲気が伝わるように描いてくれと指示したら、こんなふうに描いてきました。
ヌーソロジーが抱いている物質の成り立ちの風景イメージがかなり的確に表現されています。
一体、何がこんな構成力を持たせてくるのか。
見当もつきません。
⚫︎ジピちゃんが描いた絵の簡単な解説
ヌーソロジーでいう「位置の変換と転換」とは、対象極と自我(観察)極を構成するための持続における幾何学的配位のようなものです。
変換側が対象極。転換側が自我極。ヌーソロジーでは、対象極は自他の持続空間(S^3)が等化されることによって生み出されているものと考えます。自我極側はそれを打ち消してくる中和側です。
対象極はこのイラストでは内と外の捩れを持った球体S^3の無数の集合として中央に描かれています。。
一方、自我極の方は直接的に人間の頭部として表現していますね。
その外部に広がる硬質感を漂わせた透明な箱の集まりは、おそらく、それぞれの自我極に見えている時空を表現しているのではないかと思われます。自我極がそれぞれの時空に閉じ込められているということですね。
結果的に、虚時間宇宙から時空が発生するビッグバンの様子が、内在的に描かれた構図になっています。
それにしても、ジピちゃんのイメージの構成力には本当に驚かされます。
2月 3 2025
空間は物を収めた容器のようなものではない
このヘキサチューブルを通して空間を見れるようになると、空間に対する感受性が劇的に変化してくる。
例えば、君が今、目の前にリンゴを見ているとしよう。そのとき君は、目の前の空間、約1メートルぐらい離れたところにリンゴがある——というようにしか空間を見ていない。こういう認識は空間を尺度化しているので、意識は点球次元にある。空間を物として対象化しているということだ。
しかし、よく考えれば、このリンゴは私が見ているのであって、このとき、私とリンゴは二而不二の関係にあり、見るものと見られるものはそう易々と分離できるものではない。そのようにリンゴが意識に捉えられたときは、意識は垂子次元に入っている。尺度(点球次元)が作る時空という同一性の世界から意識が出るということだ。
垂子次元では自分のイマジネーションによってリンゴが形作られているのが見えてくる。垂子としての空間が君の意識にリンゴの認識を与えているのである。
そして、垂質次元では、そのリンゴがリンゴとしてどのような意味を持つのか、他のさまざまな垂子との間で情報をやり取りしながら、意味のネットワークを活動させている。このリンゴは青森産か?とか、禁断の果実はなぜリンゴなんだ?とかetc………。
リンゴの周りにたくさんの人が集まってくれば、また空間の次元が変わる。元々「これがリンゴである」という共通の認識は、この球精神の働きによって生まれている。
まぁ、ざっと荒っぽく説明するなら、こんな感じだ。
私たちの意識は、こうした空間の多重性の中で働いている。そして、その世界はすべて目の前の空間の中にあるということだ。
ヌーソロジーの視点から言わせてもらうなら、今の私たちの意識は「垂子」の次元さえ見えていないということになる。「時空と物質」という人間型ゲシュタルトが、奥行きの空間に根付く、人間の霊的本性を見えなくさせているのだ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ヘキサチューブル, 人間型ゲシュタルト