8月 9 2013
時間・資本主義・自我
以前、モノ周りの空間を3次元、身体周りの空間を4次元と言いました(ユークリッド空間での表現です)。この場合の身体周りの空間とは奥行きにおいて開かれている空間のことを指します。そして、この奥行きにおいて開かれている空間がモノ周りの空間(幅で構成された空間と考えて結構です)と同じと見なされたとき、奥行きはその違いを時間として現わしてきます。
いずれにしろ、モノに従属して身体が表象されているような空間は、その意味で「身体なき空間」と呼んでいいと思います。こうした空間は虚無の空間です。空間は身体がなければ何ものでもありません。空間を方向付けているのも身体だし、空間を切り開くのも身体、空間上に線を引くのも身体であるということをわたしたちは憶い出す必要があります。
歴史のこの末端にまで来て、世界がこの身体なき4次元時空に覆い尽くされてしまったことにはそれなりの理由があります。それはOCOT情報では「人間の最終構成」と呼ばれているもので、性質という力の最終段階を意味しています。この「人間の最終構成」とは、喩えて言えば成熟した卵の完成のようなもので、4次元時空の中では自らを内部から破裂させるための内破力が蓄積され充満しているのです。この内破力がしきい値に達すると、4次元時空は裂開を開始します。
ここでいう裂開とは決して悪い意味ではありません。植物が一つの種子から双葉をなし、双葉から無数の葉が育ち、茎が幹となり、花が咲き、やがてはたわわな果実を実らせるように、空間自身が自らを実り多きものに変態させていくことを言います。
この裂開の連続的な展開において重要な役割を果たすのが空間に内在させられている双子性です。人間は現在、この空間内部の双子性のことを自己と他者と呼んでいます。4次元時空という宇宙卵の中ではこの双子性の力は卵が持った時間という同一性の圧力の中でうまく分離することができないでいます。いや、正確に言えば、自己が自分のうちに他者を含み、他者が自分のうちに自己を含むという関係が互いに対立し合い、互いの交通関係がうまく開かれていないのです。
この遮断の役割を果たしているのが時間です。時間は暗黙の申し合わせ事項として自己と他者をつねに一つの精神の流れの中に一体化させるのですが、その一体化がモノの空間の中で為されているので、身体の空間側へとうまく接続しなくなっています。このことは資本主義と無関係ではありません。Time is moneyと言われるように、時間は貨幣に換算可能なものです。その意味では、空間にもまして、もっとも巨大な資本と呼んでいいものと言えます。
人間は身体が内在させている夢の資本を、時間的未来に投射することによって、社会や文明を時間の中で貨幣の力を借りて構築していくわけですが、ここには常に身体空間から物質空間への資本のすり替えが起こっていることに気づく必要があります。資本主義はcapitalismと言いますが、このcapitalのcapには「先端」という意味があります。時間が流れることは人間の先端が常に開かれて行く状況を意味しており、この先端はいずれ出会う異性との接触を果たすためのcap(=生殖器)でもあるということなのです。
現在、宇宙の裂開力(これをエロスと呼んでいいとも思いますが)は時間の中に閉じ込められて資本主義の原動力として働いています。そこでは本来、双子によって為されるべき交換の力が時間=貨幣という単一の価値に還元され、単性生殖のような運動を行っています。所有すること、領土化すること、支配すること。これらはすべて単性生殖に内在する欲望です。自我の欲動の回路と言い換えてもいいでしょう。
その意味で、この時間という最終的な自我の形態の中には「女は存在しない」とも言えます。わたしたちが女(=宇宙の受胎力)を取り戻すためには、モノの空間の中に埋もれた身体空間を、身体空間そのものとして浮上させる必要があるのです。
そのとき、かつて自己と他者と呼ばれていたものは、宇宙的女と宇宙的男という男女の双子へと変身を果たすことになると思います。この双子の間において交わされてく交換力が、卵の裂開力となって万物を生成へと導くのだと思っています。そこがシリウスです。
12月 4 2020
ヌーソロジーでいう「最終構成」とは何か
コロナ禍も手伝って、社会やビジネスのスタイルが大きく様変わりしていっている。国を初め、企業もそのほとんどがIT戦略を「大いに加速」する方向に向かっている。
GAFAなんかのビッグテックも、スタートアップ系よりもARやVR、フィンテック、クラウド、IoT等の様々な分野の中堅企業の買収に大量の資金を注ぎ込む方向へと方針を転換したようだ。こうなると、当然、世界のIT化は今まで以上に加速されてくる。
これから先、ビッグデータを処理するためにより高性能のコンピュータが要請され、量子コンピュータの研究開発はますます活気付いてくることは間違いない。
ヌーソロジーの文脈からすれば、量子コンピュータとは人間の無意識を物質的方向で用立てしようとするところに登場してきている技術であるから、今から起こってくることは、物の内部に物質意識として入っていくか、精神として入っていくかという意識の方向性の分離ということになる。ヌーソロジーでは、こうした方向性の二分化のことを人間の「最終構成」と呼んでいる。
象徴化して言えば、前者はトランスヒューマニズム。後者はトランスフォーマリズム。トランスフォーマリズムとは意識形態自体を高次元認識に変形させていく考え方のことをいう。まぁ、電脳で融合を果たしていく方向か、生身の精神実体(これが量子に当たる)でのそれかといった関係だ。これら両者が、これからの時代の新しい二極となって、時代は言わば量子の鏡像と実像との抗争のようなものに入っていくことになる。人間の意識がネット社会のみに偏りを持つなら、おそらく、すべては前者に領土化されていくことになるだろう。この領土化は絶対的領土化であり、トランフォーマリズムの空間以外、逃げ場はない。
奇妙なことを言ってるように聞こえるかもしれないが、ヌーソロジーから見ると、「奥行き」が虚軸(精神)であることの理解が生まれなければ、この変動には気づけないということだ。トランスヒューマニズムとトランスフォーマリズムは、人間の意識という次元を挟んで、互いにねじれ合って表裏の関係で蠢いている。その意味では、ヌーソロジーの思考はコンピュータ社会が裏側の補完として人間に要請してきているものとも言えるだろう。
その補完性の内実の典型的な例として、量子コンピュータが用いている量子ビット空間を挙げることができる。これは、実は、自己から見た他者側の3次元球面(SU(2))になっている。この方向性を自己側に反転させるために働いているのがヌーソロジーの思考だと考えると、トランスヒューマニズムとトランスフォーマリズムの対峙性がよく理解できてくるのではないかと思う。
念のために量子ビット空間(ブロッホ球と言います)の図を挙げておこう。
(https://tobata.kyutech.ac.jpから引用)
ヌース用語ではこの空間は「垂質次元」に対応している。知覚正面自身を回転させて回転軸が作られていれば、以前紹介したキットカット実験で直感されてくる球空間と同じものである(ブロッホ球はSU(2)ベースのモデルなので、3次元の実空間とは対応していないことに注意してください。半回転で3次元空間の一回転の意味を持っています。この意味についても考えて見るといいと思います)。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: SU(2), 人間の最終構成, 奥行き