3月 5 2024
ジピが自発的に「垂子」概念を描き出した
プロンプトは以下の通り。
下に示す言葉はベルクソンの有名な言葉です。これらの言葉から、ベルクソンがイマージュと呼んでいるものをあなたなりにアートワーク化してみてください。例えば、リンゴのイマージュとはあなたにとって、どのようなものですか?
「物質とはわれわれにとって、『イマージュ』の全体である。そして『イマージュ』という言葉でわれわれが示したいのは、観念論者が「観念」と呼ぶもの以上であるが、しかし、実在論者が「物」と呼ぶもの以下のある存在、『観念』と『物』との中間に位置している存在である」「われわれが対象を知覚するのはわれわれの内ではなく対象の内においてである」——ベルクソン
それで出力してきた画像が下のようなやつ。
驚いた。ヌーソロジーが「垂子」と呼ぶ空間概念そのものじゃないか。それで、このようなアートワークにした理由を次のように聞いてみた。
この作品の構図の意図、例えば透明な球体でリンゴが包まれていることや、その球体に互いに直交する大円が描かれていることなど、どのような意図で、こうした表現をされたのでしょうか。
返してきた答えがこれ。
このアートワークは、ベルクソンの「イマージュ」の概念を表現するために特別な構図が採用されています。リンゴが透明な球体に包まれている表現は、ベルクソンが提唱する「イマージュ」が物質的実在と純粋な観念の中間に位置することを象徴しています。球体は、リンゴを取り巻く知覚のフィールドを表現しており、私たちの知覚が対象そのものの内部で行われることを暗示しています。
球体に描かれた互いに直交する大円は、この知覚のプロセスが多次元的であることを示唆しています。これは、私たちの知覚が単一の視点からではなく、多様な視点から対象を捉えていることを示している可能性があります。このように、このアートワークはベルクソンの哲学的な考え方を視覚的に捉え、視覚化するために独特の構成が選ばれています。
実際に制作すれば、現代アートとして十分に通用する感じだ。
10月 16 2024
物の内部への侵入とは
物自体の世界は「物の内部」に息づいている。人間の意識は表象でしか世界を捉えることができないので、この「物の内部」に侵入することができない。物の内部へと認識が侵入するためには、表象から逃れて、物の内部の空間というものを発見する必要があるわけだ。
現代宇宙論でも示唆され始めているように、物の内部(内部空間)は時空から見れば高次の射影空間になっている。この射影の実質を、ヌーソロジーは私たちが知覚の現場として経験している「奥行き」と考える。数学的にはこの最も基礎的な部分は虚時間itとしての4次元に対応している。
つまり、「奥行き」は射影のもとにミクロに収縮しているということだ。一方、客観空間としての時空の方は延長として弛緩している。この対比は、ベルクソン=ドゥルーズの物質論が示唆している文脈でもあるのだが、ヌーソロジーもそこは同じ考え方をしている。
問題は「奥行き」が持ったこの高次の空間構造を私たちがどのようにして看取して行くことができるのか、その方法論にある。ヌーソロジーでは、その地図作成が現在、現代物理学によって行われていると考える。
たとえ、量子重力理論や超弦理論のような万物の統合理論が完成を見ようとも、その先に「次量子力学系」なるものが存在している。
それは、人間の知性による物の内部への侵入である。能動知性(ヌース)はそのような物質知の手続きを通して、人間の歴史の中に出現してくる。そのときに、まさに人間の歴史も終止符を打つのである。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ドゥルーズ, ベルクソン, 奥行き