3月 15 2019
ヌーソロジーにおけるプラトン立体の世界
OCOT情報の世界は高次の幾何学で成り立っています。高次の幾何学と言っても、決して複雑なものではなく、プラトン立体を基盤とする美しいカタチの世界です。
彼らが「線」と見なすものは、永遠世界における「線」のことです。人間は時間と空間の中に「線」を見ますから、そのような線は一瞬で消え去ってしまいます。
永遠世界における「線」とは、持続空間における「線」のことです。そこには時間が存在していません。時間そのものが空間となり、そこに決して壊れることのない永遠の幾何学が、精神の結晶体のようにして描かれていきます。
OCOT情報に拠れば、人間の魂はそのような結晶体によって構造化されているのだと言います。
4月 21 2020
ヌーソロジーから見た新型コロナウイルス
OCOT情報は何から何までが「対化」という概念で覆い尽くされている。力の対化。方向性の対化。点の対化。地球の対化etc・・・。神を意味する「重心」という概念でさえ「重心の対化」といったように、この「対化」がついてくる。
およそ、どのような存在も双対でないと成り立たない。そして、それらの対化は、すべて人間における自己-他者関係にその淵源を持ち、また、自己-他者関係に焦点化される。
これは、自然の本質が倫理的なものであることを意味している。数学や物理といった理数的な秩序も例外ではない。言い換えるなら、人間の意識におけるあらゆる意味の発生はそのメタ倫理のようなから送り出されているということ。だから、当然、私たちが持った思考活動もその倫理に促されて発生している。
OCOT情報では、倫理的なものは人間の無意識の領野(ヌーソロジーでは「付帯質の内面」と呼びます)の中に隠れているという。その意味では、人間の思考はその無意識の領域を開くために働き続けていると言っても過言じゃない。僕らにはまだ未知のものではあるが、「思考としての愛」が存在しているということだ。
そして、特に面白いのは、この「思考としての愛」の在り方をOCOT情報が「カタチ」と呼んでいることだ。
——人間はまだカタチを持っていません。
——自然と調和して生きるには人間の意識がカタチを見出すことが必要です。云々・・・。
彼らにとっての倫理とは幾何学的に裏付けられてある、ということなのだろう。そして、このカタチが形成されている「付帯質の内面」という領域を支配している幾何学が僕らがプラトン立体と呼んでいるもののことだという。
先日、YOUTUBEでの「ヘキサチューブル談義5」で双対の正四面体(マカバ)について話をしたが、あそこで紹介したカタチに対する考え方も、すべてこうしたOCOT情報を足がかりに組み立てていったものだ。
なんでこんな話をしているかというと、OCOT情報によれば、この「カタチ」が今、世の中を大混乱に落として入れているウイルスの存在と深く関係しているからだ。
OCOTは、ウイルスとはこの「付帯質の内面」の働きが細胞内部に現れてきているものだと言っている。RNAウイルスはカプシドという殻を持ち、その殻の形状には大別して螺旋状ものと正20面体の二つがあるが、OCOT情報では、螺旋状のものが付帯質の内面の始まりに当たり、その終わりが正20面体に当たるという。新型コロナウイルスは正20面体のグループに入る。
周知のように、新型コロナウイルスは今まで人間が社会生活と呼んでいたものをことごとく不能にさせている。当然、今までの僕らの共通感覚からすれば、こやつは魔界からの使者のようにも見えるわけだが、こうしたOCOT情報を通して熟考していくと、どうも様子が違う。
こういう時期に甚だ思慮を欠いた物言いになるかもしれないが、僕自身は、今、ずばり、こう思っている。
―自然に潜む倫理的なものの存在を人間が喪失しつつあるからこそ、自然自体がその補完として付帯質の内面の力を復元しにかかってきている。それがこのウイルスの正体じゃないだろうか―
わたしたちは「対化」として生きている。そして、その間を倫理がつないでいる。それを思い出すこと。OCOT情報から、このウイルス渦を収束に至らしめるための最善の手段を想像するなら、それしかない。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, コロナウイルス, プラトン立体