9月 18 2024
ケイブコンパスが表現しようとしているもの
人間の意識の構造を示すためのモデルの一つとして、ヌーソロジーでは「ケイブコンパス」というダイアグラムを用いている。これは例えて言うなら、無意識の海を航海していくための羅針盤のようなものだ。
人間の認識は現象世界が顕わになったところからスタートしている。フッサールがいう非本来的現出というやつだ。
その意味で、人間は本来的な現出というものを知らない。世界がどうやって目の前に現れてきたのか、そのことについてはまったくの無知だということ。
一つの事物の知覚においても、それは同じ。それがなぜ「ひとつの事物」の知覚として、目の前で成立しているのかについて考えようとはしない。
それすら知らないのだから、自我がどうして「この私」として知覚されているのか——なんて知る由もない。そういう自我は受動的に与えられたものであり、当然、こんな自我は本来的自我とはとても呼べる代物ではない。
そのように、受動的に与えられた回路でグルグルと回って流動しているのが人間の意識というものだと考えるといい。だから、当然のことながら、人間においては、感覚・感情のみならず、思考にしても受動的にグルグルと回されて生産されてくる運命にある。
つまり、能動的で、意思的なものに思えている私たちの思考も、実のところ、非本来的なものにすぎず、そのほとんどは自動機械のように動いているてるってこと。
こうした受動的な意識の流れが、OCOT情報がノスと呼ぶもので、ケイブコンパスでは、赤色の流動で示されている。本来的なものの方がヌースで、こちらは青色で表されている。
人間は赤のノスしか意識化できていない。というか、それが人間の経験的意識なのである。そして、これは青のヌースに支配されている。こちらが無意識だ。
実際は、青のヌースを先手に持った意識が、本来的人間であり、こちらの流れは、本来的現出というものが何かを知っている。つまり、存在と自分が一致しているということだ。
⚫物の内部へと侵入していく知性の時代
とにかく、人間の知性は今、物質の構造の探究から、意識の構造の探究へと向かいつつあります。
しかし、それは同時に、人間が脱人間化して、今まで科学が明らかにしてきた物質の構造へと、人間の意識自身が生成していくことでもあるのです。
人間の意識進化とはそういうものです——とOCOTなら言うでしょう(笑)
9月 19 2024
ヌーソロジーは哲学的には現象学の系譜にあたる
内なる人間が外なる世界とどのように接続しているのか、思考がその捻れの中に入り込むことは、ほんとうに不可能なのだろうか。
もし可能だとすれば、それは一体いかなる条件によってなのか。それが現象学としての正しい問い立てではないかと思ってる。
哲学はカント以来、対象が認識に従うとして、内なる人間の優位性に頓着してきた。しかし、この優位性が外なる世界へとつながりを持ち、その外なる世界が、内なる私のめくれとして顕現(エピファニー)してこない限り、現象学の大いなる野望たる「内在から超越」へと至る経路など、決して開いてくることはないだろう。
その意味では、現象学いうところの「還元」は、未だ絶対的な根源には立てていない。すべてを還元するとは、人間的経験のすべてをカッコに入れ、自らを無と仮定し、そこから創造の場へと立ち出でることであり、何者でもないものとなって、世界が成立するための条件を思考していくことにほかならない。
そのような原-世界においては、当然、物質と意識は同時発生的なものとなるだろう。また、そのような場所こそが、創造的思考者が立つ始まりの大地と呼べるものである。
私を絶対的な根元へと戻すところからしか真の現象学は始まらない。「世界は未だビッグバン前夜の中でまどろんでいる」というヌーソロジーの考え方も、こうした「還元」の構えに由来するものだと思って欲しい。
⚫︎星を継ぐものたち
現象学といえば、フッサールは観測者の位置のことを絶対的零点(ヌルプンクト)と呼んでいた。これはヌーソロジーが観測者の位置を「無限遠点」と呼ぶことに対応している。
身体は、常にこの絶対的零点、言い換えるなら、絶対的な〈ここ〉を内在させていて、どんな対象もこの身体と関係を結ぶことよって、〈そこ〉〈あそこ〉〈かしこ〉となる。
ヌーソロジー的には、この〈ここ〉と〈そこ〉〈あそこ〉〈かしこ〉を結ぶラインが4次元に相当する。
君も、僕も、彼も、彼女も、本当は、そのような絶対的零点に生きているのである。
とすれば、この絶対的零点としての〈ここ〉がたくさんより集まっている場所が、真の意味での人間の世界であり、その場所は、事物が存在する地上とは全くの別空間になっているということは、何となく察しがつく。
OCOT情報では、この絶対的零点が星とダイレクトにつながっているという。何ともロマンに満ちた話ではないか。私たちは、本当は、星を継ぐものたちかもしれないのである。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: カント, フッサール