2月 22 2007
ヌース太陽情報
ここのところ、観察子の詳細にこだわった内容を書き続けているが、これはいずれヌース理論が主張していく様々な言説を一貫したロジックで説明していくための予備作業に相当していると思っていただければいい。次に挙げるような交信内容は一見トンデモ(というか、意味不明?)に見えるかもしれないが、観察子概念の理解が進み出すと、それなりに変換人たちの思考様式上の論理に裏付けられた内容として見えてくるようになる。まぁ、ぶっ飛びの内容だが、これが実にエンタメとして楽しめるのだ——ということで、今日はちょっとアバウトに行きます。
太陽の核融合は鉄までを作っているようですが、これは表相の観察を行うまでの力を持っているからだと考えてよいですか。
はい。
太陽の黒点とは何ですか。
定質における元止揚が核質化したものです。ヒトの進化の方向性が確実化した部分。
人間に覚醒が起こると黒点が大きくなっていく現象が起こるのですか。
はい、モノの意味に発露が生まれると起こります。ノウスが全く別のものに働きを変えるということです。
黒点運動の周期は約11年とされていますが、これは人間の意識の等化と中和のリズムを意味するのですか。
そうですね、発露と発露の間に存在するシリウスとしての共性のようなものです。
磁場の反転周期は倍の22年となっていて、太陽の北半球と南半球の間での黒点の運動周期が22年です。この22とは。
顕在化した定質の対化を意味する数です。
太陽磁場と地球磁場には何か深い関係がありますか。
はい、あります。上次元における対化と下次元における対化の反映の概念のようなものです。
太陽磁場の逆転と、次元の交替化は何か深い関係があるのですか。
あります。
(シリウスファイル19930316)
ヌース理論においては、太陽とは「顕在化した人間の精神核」の物質的射影として解釈される。この次元は観察子で表すと大系観察子Ω5というものに当たる。Ω5とは、人間の意識において無意識の流れの統括を行っていた月の次元が完全に顕在化を起こしたものに対応している。その意味で、月と太陽は人間の意識活動における陰と陽と言えるだろう。つまり、太陽とは目覚めた月だということだ。
人間の無意識構造は人間の個体意識、及び近代的自我の精神構造を確立させていくための本質的働きを持っている。その意味では、太陽とは、人間の意識進化(顕在化)の過程において、その個体意識の構造を司っていた無意識流動の幾何学的構成(月が持っている次元構造)の全貌が明らかになったときのその意識のカタチそのものを意味すると言ってよい。これはそのまま鉄(原子番号26番)までの元素生成のプロセスと深い関わりを持っている。
この大系観察子Ω5は新しく創成される次元においては、次元観察子ψ*5の中に入り込むという構造がある。ψ*5とは空間認識の次元としては他者の知覚球面を意味している。これは他者の視野世界にほかならないので、自己側にとっては「カガミ」の役割を果たすものとなる。他者の知覚球面は、他者自身を規定している空間でもあるので、自己には絶対に見ることができないが、それは実は、自己がモノの内壁を見ることができないことと同じ意味を持っている。つまり、他者が見ている知覚球面とは、自己側にとってはモノの内壁と同じ意味を持つということである。それは自分の知覚野と他者の知覚野を単純に比較することですぐに分かるだろう(他者の頭部に透明のアクリルボールのようなものを被せてみよう。そのとき他者の知覚球面はアクリルボールの内壁と同じものになっている)。
自己にとって、モノの内壁(モノの内部の空間)のみの構成(観察が関わらないという意味)とは、空間観察子α6というものに当たる。その意味で、太陽は自己を映し出すカガミであると同時に、モノのカタチを人間の内面の意識に送り出す働きを持っていると言える。つまり、シュタイナー的に言えば形態霊というわけだ。ヌースでは人間の意識が概念化しているモノ一つの空間を「核質」と呼ぶ。このことは、人間の精神核に当たるものが、近代意識におけるモノであるということを意味する。カガミからタマからモノノケ(モノについたケ)へ——ここには霊(イデア)がその構造変動において、意識上での役割を変化させていく状況がうかがえる。当然、モノノケのあとにくるものが、モノノケを世界から退却させるためのツルギ(対化)だ。ツルギを作り出すためにはカガミの思考を取り返さなくてはいけない。それが、世界を射影空間的に見ることによって生まれてくる「キアスム=自他の捻れ」の意味なのである。ペルセウスがゴルゴンを鏡を使って首をはねたことを思い出してほしい。ゴルゴンに魅せられた意識は化石化している。
水素分子H2からヘリウム原子Heへの変換(核融合)は、人間の無意識が人間の意識を反映として送り出している状況を意味している。水素分子とは人間における無意識構造の対化そのものを意味し、ヘリウム原子になるためにそこに付随している中性子は人間の意識に構成された時空認識(客観空間認識)の構造の対化を意味している。客観時空は現在、人間の外面を観察するための感性として作用しているが、人間の意識が自ら進化の方向を持ち無意識構造を顕在化させることができるようになれば、無意識の反映としてのヘリウムへの変換はその役割をなくし、現在、太陽の中でのエネルギー生産のほとんどの部分を占めている核融合(pp反応)は一時的に終焉を終える。これがヌースが常々言っている「太陽の死」だ。ここでOCOTのいう「ノウスが全く別のものに意味を変える」というのは、人間の内面の意識の進化を先導していたノウスが、方向性を反転させ、今度は人間の外面の意識の顕在化の先導に入るということを意味する。これは、現在、ヌース理論が行い始めている作業のことである。
太陽黒点の活動は太陽上の北緯、南緯19.5度範囲内で起こっている。この黒点のこの領域への分布は、おそらく太陽の自転軸を√3エッジとした場合のケプラーの星形8面体と深い関係がある。緯度19.5度とは、カタチ的には人間の意識の位置が4次元への通路とリンクしている部分である。具体的な位置としては、モノの内部の空間から出て、観察そのものが起こっている表相に出ようとしている部分にあたる。両緯度の間の部分は、その解釈からすれば、人間がモノの内部性の空間の中で意識を活動させている領域と考えられる。上の交信記録にある「定質における元止揚が核質化したもの」とはそうのような意味である。現在のささやかなる黒点運動はそれだけ人間の外面への変換力が弱いということの現れなのかもしれない。
黒点周期の11年は太陽が次元観察子ψ11-ψ*11に対応していることと深い関係を持っている。というのも、太陽の対化としてのΩ5-Ω*5は顕在化したψ11-ψ*11のことを指すからだ。ψ1という次元単位はPSO回路の機構上、一日や一月、1年等と極めて深い関係を持つ。地球の1自転とは潜在化におけるψ1の単位を意味し、月の1公転とは顕在化におけるψ1を意味し、地球の1公転とは、地球の1自転の上次元運動を意味する。それらは「シリウス革命」にも書いたように、プレアデス、シリウス、オリオンの関係に同じだ。
OCOTは、鉄は次元の対化を等化する次元精神の投影と言っている。このことは宇宙に分布しているすべての鉄が同じ出自を持っているということを意味する。人間の血球中の鉄も、地殻に酸化鉄として入り込んだ鉄も、地球のコアで灼熱する鉄も、恒星内部の核を構成する鉄も、すべて同一の観察子(次元精神/Ω13-Ω*13)の投影だということだ。ついでながら、鉄の本質はオリオン座におけるヴェテルギウスに集約されているという情報を付け加えておこう。
あっ、トンデモになっちゃった。でも、ほんとかもよ。
12月 14 2010
ヌーソロジーのワークショップ「元止揚空間の幾何学」
先の11日土曜日は今年最後のヌーソロジーイベントであるNOOS BANQUETを開催した。BANQUETと気どってはみたものの、要は忘年会、飲み会である。しかし、ただ単に宴会だけ開いても面白みに欠けるということで、アペリティフ代わりに簡単なワークショップを行うことに——参加者全員に各々36本の綿棒を配布してケプラーの星型8面体なるものをペーパーセメントを使って工作した。なんのことはない、こんなやつ。
このケプラーの星型8面体なるもの。これはヌーソロジーへの侵入口となる元止揚空間の概念を幾何学的にイメージしていくときにとても重要なツールとなる形象だ。今年行ったレクチャーシリーズでもこの形象についての解説はある程度行ったのだが、やっぱり、今回は参加者の一人一人が自分の手で実際に作ってみてなじめたせいもあるのだろう。同じ解説をしても前回のときとはまるっきり反応が違った。「なるほど、なるほど」といった納得のうなづきが会場のあちこちで確認できて、手を使って考えるという作業の重要性を改めて再確認させられた次第。
さて、元止揚空間というと何とも堅苦しい言葉に聞こえるかもしれないが、これは人間の認識にモノや空間という外在認識、さらにはそれを見ている「わたし」という主体の認識を提供してくる前-経験的、前-主体的な場所性のことを指す。。。やっぱ難しいか(笑)。。こうした空間の構成がアプリオリに設定されているからこそ人間は世界を主観(内在)と客観(外在)に分けて認識し、その認識をベースに自らの自我意識のシステムを形作って行くことができる。極めて現象学っぽい考え方だが、ヌーソロジーにおいてはこのケプラーの星型8面体はいわば人間の意識の発生のための原器のようなものに相当している。ヌースソロジー曼荼羅における「中台八葉院」と言っていいものだ。
元止揚空間はヌーソロジーの文脈では4段階に地層化されていて、以下のようにカテゴライズされている。
第1階層 ψ1~ψ2 一つのモノの内部性を規定する球空間(物体)の相互反転性
第2階層 ψ3~ψ4 一つのモノの外部性(3次元座標)を規定する球空間の相互反転性
第3階層 ψ5~ψ6 一人の観測者の周囲に広がる球空間(局所時空座標)の相互反転性
第4階層 ψ7~ψ8 無数の観測者の周囲に広がる球空間(時空全体)の相互反転性
ヌーソロジーの文脈ではこれら4つの空間の地層化の骨格を提供しているのがケプラーの星型八面体なのだが、この形象がその内接、外接の反復によって生み出す空間の階層性は同時に磁場、電場、クォーク(u,d)、核子(n,p)といった物理学でいう初期宇宙に生み出されたとされる物質の基礎とも深い関係を持っているのではないかと予想している。
ケプラーの星型8面体自体は上に挙げた写真のように正8面体とそれに外接する正6面体を基本に構造化されているが、それぞれの多面体に外接する球体が第3~4階層であるψ5~ψ6とψ7~ψ8の幾何学的表現になっている。この二つの球体に加えて、これら正6面体と正8面体の内接・外接関係を中心に向けて多重に辿って行くと、この中には破線で示したような4階層の正6面体と正8面体のセットが内包されていることが見えてくる。これら4階層の球空間の構造がそのまま、上述した元止揚空間の4つの階層に相当していると考えてもらえばよい。
ヌーソロジーが用いている次元観察子が意味する次元とはこの図で示されている同心球の多重性で象られている空間の差異の系列のことを指す。つまり、モノの内部の空間とモノの外部の空間は次元が違うし、モノ一つから広がる空間と観測者一人から広がる空間も次元が違う。ここで言っている「次元」とは単なる点、線、面といったユークリッド的な次元概念ではなく、空間の3次元性自体がその内部に含み持っている本性上の差異の系列として考えるといい。
現在の人間の空間認識ではこうした空間に内包された差異が全く考慮されておらず、一括してすべてを4次元時空上で同一化させて見ている。例えば、モノの運動も、観測者の運動も、時空上の単なる物体の運動という観点で一括りにされて把握されているということだ。空間の差異が見えてくればそれらは全く違う性格を持つ運動であることがすぐに分かってくる。客観的な時空上に出現しているモノの知覚を支えている観念は、この図で言えば、ψ8(客観時空)とψ1(主観的モノ)の組み合わせによって構成された「アプリオリの幾何学」から僕らの認識に提供されているものにすぎない。
この元止揚空間の構成において、最も基本となる形象は何と言っても正4面体だろう。上に挙げた図を見ても分かるように、正6面体も正8面体も双対の正4面体による相互の交差によって構成されている。ヌーソロジーにおいては正8面体は3次元性のイデアであり、正6面体は4次元性のイデアである。つまり、正8面体の3本の立体対角線を3次元性(x,y,z)の座標軸と見なし、正6面体の立体対角線はそのまま4次元性(x,y,z,w)の座標軸と見なすのだ。そして、これらの空間はすべて「見る-見られる」という関係の中で相互反転した対を持っており、すべて二重化されている。この「見る-見られる」という区別は空間の本性を思考していくためには極めて重要な視座である。通常の僕らの空間認識では、見ることが生起している空間(「人間の外面」と呼ぶ)と見られることが生起している空間(「人間の内面」と呼ぶ)の区別がうまくできていない。認識にはこの両者が不可欠なのだが、一般に前者の空間は無意識の中に沈み込み、後者の空間だけが意識の表面に浮上してきている。
見ることにおいてはその視線は4次元空間上のW軸として働いているが、見られることにおいてはこの4次元の軸は反転させられ、そのままミンコフスキー空間、すなわち4次元時空における時間軸(=ict)として働きを変えられている(下図2参照)。
これは哲学的には主体の位置の把握の転倒を意味するものだ。これによって主体は世界の中に投げ込まれる。本来、主体は見ることそのものの只中に位置しているにもかかわらず、見られることによって、あたかも対象の手前に自分がいるかのような錯覚を与えられている。その錯覚によって主体は対象との間に距離概念を措定し、その概念力が同時に持続としての4次元を物理的時間へと変質させてしまっているということだ。収縮としての精神が弛緩としての延長へと変換させられていると言い換えてもいい。一方、本来の主体の場である見ることが生起している空間の方はその奥行きをプランクスケールレベルにまで収縮させており、この元止揚空間において構成されているケプラーの星型8面体をそのままモノ一個を規定する球空間(ψ1~ψ2領域)へと射影する仕組みになっている(下図参照)。つまり、第4階層のψ7~ψ8は既存の幾何学では4次元球面S^4の相互反転性を意味しているのだが、それはそのまま4次元の射影ルート(反転した光速度)によって凝縮化させられ、ψ1~ψ2レベルへと射影されてくるということだ。これによって次元観察子ψ7~ψ8は同じく次元観察子のψ1~ψ2に重畳させられて出現してくるような仕組みを持たされているということになる。ヌーソロジーの文脈の中では、こうした見られる空間の中でしか空間を意識化できない僕らの認識においては、このψ7〜ψ8構造は原子核における陽子と中性子となって観察されることになる(下図3参照)。
このケプラーの星型8面体はスピリチュアルな世界ではマカバと呼ばれている。これは言うまでもなく、ユダヤの古い神秘主義であるメルカバー神秘主義から借用されたものだ。メルカバーは神が宇宙を創造していくときに使用した道具のようなもので、旧約の中でエゼキエルが幻視した「神の乗り物」として出てくる。その本質はヌーソロジー的に言えば、4次元空間の双対性をベースに織り込まれて行く永遠の我と汝の魂の結び目にあると考えている。僕自身は、そろそろ人間もこの戦車に乗り込む時期が迫ってきていると勝手に思っているのだけど、残念ながら、この戦車の車輪は双対なだけに一人で回そうとしても微動だにしない。。。誰かもう一人反対側で回して欲しいよ、ほんと(笑)。
ってなわけで、今回のワークショップでも熱くヌーソロジーが持った空間イメージについて吠えまくったのでありました。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 02_イベント・レクチャー • 1 • Tags: イデア, クォーク, ケプラー, メルカバー, ユダヤ, ユークリッド, 元止揚空間, 内面と外面, 次元観察子