8月 17 2016
Oさんの回転ビデオと「アヌビスの円」
鉱物は意識を持つか?とか、コンピュータは意識を持つか?などといった問いは問い自体が間違っています。というのも、こうした問いの前提には意識が物質に従属したものであるという了解があるからです。こういう考え方をしている限り、意識については何も分からないでしょう。
今、わたしたちに望まれている新しい思考法は人間の意識を物質進化の結果と見なす世界観ではなく、物質進化の原因と見なす世界観です。その意味で、新しい唯物論は「物自体」への回帰ではなく、「物自体」の進化を目指すものでなくてはなりません。その力が新たな物質進化を作り出す原動力となります。
この「物自体」の進化へと向かうためには、物質の即自を見出すことが必要です。この即自の次元は人間の意識においては相関主義の位相、つまり、経験的世界/超越論的世界における意識の反復の位相の中に眠っています。
この位相を構造化しているものが素粒子です。
形而上学的主観主義とも呼べるこうした思考にリアルを感じるためには、認識の位置を物質的なもの、つまり、時間と空間の外に出さないといけません。3次元的物体である肉体から無限遠点へと主体の位置を移動させるのです。
たった、それだけの変更で、現代物理学が展開している素粒子理論が「物自体」の世界への入り口であることが分かってきます。つまり、人間の意識とは空間が素粒子に方向付けられることによって働いているということです。
現在の科学技術はこの力を時空内部の物質の内部に転倒させて利用しています。電子技術や核技術といった類いのことです。これから「物自体」の空間が開いてくることにより、その転倒世界も開いてきます。信じられないような技術がたくさん出現してくるでしょう。でも、その技術に呑み込まれてはいけません。
その技術を裏で確実化させている「物自体」の世界の開きの方に意識を向けておくことが必要です。というのも、そちらが実体だからです。ヌーソロジーはその実体を保持するために出現してきた人間精神の守護者だと強く感じています。
「物自体」の世界の開きを呼び込んでくる力。これは神話的にいうと亡きオシリスの14番目の部位と言ってもいいでしょう。これは精神が完全に脱性化されたもの、溶けた霊と言っても構いません。時間のことです。これを新しい生殖器へと変えるのが女神イシスの役割です。
OCOT情報的に言うなら、存在世界を中和(中間休止状態/プレアデス)させたものとして働いていたオリオン(真実の観察精神)が方向を回転させ、プレアデスに新しい精神を発出させる―これは直線的な時間概念が精神(純粋持続体)へと変態を起こすことをいいます。神話でいうなら、これがシリウス(受胎したイシス)です。「物自体」への差異化が起こるということですね。創造空間への侵入のことです。
ここで、いつものプルタルコスからの引用を上げておきましょう。―アヌビスは水平な円であり、これにより「目に見えないもの」、すなわちネフテュスと「目に見えるもの」、すなわちイシスが分割される。この円は光と闇の境界に存在し、光と闇に共有されている―
で、実はここにある「アヌビスの円」というのが、昨日、Oさんに送っていただいた回転ビデオが表現しているものなんです^^。意識が肉体(闇)に止まるか、「物自体(光の中)」へと侵入していくかの分岐が、この回転のビデオには表現されている。。。と言っておけば、皆、考えてくれるだろうか(笑)
9月 23 2016
ヌースフィアとしての地球に出るために
地球は1自転して1日。一般化している時計は短針が2回転して1日。1日を24等分したのは古代エジプト人たちだ。しかし、なぜ黄道12宮に同調した12等分ではダメだったのか。たとえ彼らの無意識がそうさせたにせよ、ここには現代人には想像もつかない深い意図が隠されている。
そもそもなぜ地球は回っているのか。それを考えなくてはならない。そこでは昼と夜が交替し、覚醒と眠りが交替し、自己における社会的個と精神的個の役割が交替する。OCOT情報はこうした2極間を交替化させていく力のことを「精神」と呼んでいる。
つまり、地球の1日もまた「精神」の表現なのである。
昼の間、人は社会的動物になる。事物は太陽のもとに明るみに出され、人はそこで言語活動を営む。夜間、人は精神的動物となり、本来の自己と向き合う。一人部屋の中で、または眠りの中で、または夢の中で。
ここには意識の反復がある。昼半球と夜半球は単に物理的に光と闇のヴェールとして地球を覆っているわけではない。そこには魂的な空間が重なって”在る”のだ。昼は他者世界に呑み込まれ、夜は自己の巣へと戻るという魂における振動の空間が。
この空間をアグエイアス(シャルダン)のように精神圏(ヌースフィア)と呼んでいいかもしれない。昼とは他者、夜とは自己と見なせば、このヌースフィアにおいて魂は常に自己領域と他者領域の間をめぐって生きていることになる。
ここにさっき言った「2回転して元の位置に戻る」という精神の特性があると考えてみてはどうだろう。一回転では世界は完結しない。そこには自分とは異なるものを巡る周回が必要なのだ。そして、重要なことは、この2回転で完結している、真の自己を発見することだ。
その意味でいうなら、ヌースフィアとしての地球の1自転の中には通常の回転での2回転分が含まれてると考えなくてはいけないのかもしれない。そして、古代エジプト人たちはそのことに薄っすらと気づいていた。。いや、その記憶を持っていたと云うべきか。
ガイア仮説以降、地球意識なる言葉が今では普通に横行しているが、この「意識」という言葉を従来の人間型ゲシュタルト(物質の複雑な組成から意識が発生するといったような)で連想してはいけない。ヌースフィアの空間がもし「2回転して元の位置に戻る」ような特性を持つなら、それは4次元空間だ。
この点に関してOCOT情報は面白いことを言っている。
―地球とは陽子と同じものです―
このことの意味が分かれば、おそらく、わたしたちは銀河の住人となることができるだろう。
内へ、果てしなく内へ。
星々はそこにある。
そして、そこはまた地上でもある。
それが彼らが「オリオン」と呼ぶ場所である。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, オリオン, ヌースフィア