10月 30 2015
Orとしての光
前回の記事を巡って、物理学者の佐藤さんが反応してくれた。
@kohsen S氏がうまく言い当てているように、内部空間の回転には「i (虚数)=愛」があるが、外部に反転させられた擬回転にはこの肝心の「i」が欠如している。「i」の欠如は、実体を欠くという意味でもあるだろう。ベルクソンのアインシュタイン批判を思い出す。
@satohakase 「アイ」があれば回転(e^iθ)になりますが、「アイ」がなくなれば爆発的増加(e^θ)または減少となるわけですね。自他の分断。
@kohsen ですね。佐藤さんはローレンツ変換における観測者とは何者だと思われますか?
@satohakase 時空ですから観測者が内部に投げ込まれていると思います。
@kohsen ベルクソンのアインシュタイン批判のポイントはそこにありました。時空内部に投げ込まれた観測者が果たして世界を観測(認識)することなどできるのだろうか、と。
@satohakase そうですね。時空においては観察者であるわれわれの「眼」がつぶされていますね。複素数(虚数)の意味を科学者は全く理解していない。
@kohsen 時空にばかり囚われていて、精神の位置が光速度不変の原理となって表現されていることに気づいていないんですよね。残念です。
@satohakase ニュートリノが光速度を超えた、というのはニュースになりますが、光速度不変の原理については思考停止状態で誰も突っ込んで考えようとしないのは残念なことですね。
――物理学の光から、眼差しとしての光へ
肉体の周囲に満ちている光は外部の光だが、同時に内部の光でもある。それはまたわたしの男なるものの部分と女なるものの部分と言い換えてもよいようなものだ。
ユダヤ教のミドラーシュでは、光を表す「Or」が皮膚を表す「Or」に変化していったとき、ジェンダーの原初的分裂が起こり、女性という存在が生まれてきたと説く。
この「Or」とは有機体=OrganのOrのことでもあるのだが、同時にそれは英語の『~か、”もしくは”~か』というときの「Or」の意味を併せ持っている。
つまり、光とは二つの領域にまたがる反復を司るものであるということだ。またそれが皮膚の機能にほかならない。
光とは存在の皮膚である。それは世界を包む光である同時に、世界に包まれた光でもある。光速度をわたしたちの精神の位置へと反転させることが必要だ。あの虚ろなルドンの目玉もアフロディーテの美しさを間近で見れば、目が覚めるだろう。
下の作品はルドン『キュクロプス』(1914年)
3月 21 2017
幅意識と奥行き意識の構想の歴史
テレポーテーションとか、タイムトラベルとかを物質空間でイメージしている人が多いけど、哲学がなさすぎだと思うな。そういったものはすべて持続意識の中でイメージされるべきものであって、外部の延長世界の中で起き得るものじゃない。科学的世界観に最も欠如しているのはこの持続概念なんだよね。
その意味で言えば、ベルクソンとアインシュタインの決裂が20世紀を決定付けたと言っても過言じゃないかもね。アインシュタインにはベルクソンの言ってることが理解できなかった。物理学者は今こそ持続概念を取り込んで量子世界を見直すとき。それさえ始まれば世界は大きく変わっていくと思う。
ただ、ここはかなり厄介なところでもある。科学が持続世界を実体として受け入れることは、人間の霊性を認めることと同じ意味を持つからね。科学が解き明かした物質構造(空間構造)は全く正当なものだとは思うけど、こと物質概念に依拠した世界観は霊性を認めてしまうと木っ端微塵に解体されちゃう。現在の知的権威のプライドがそれを許すはずもない。結局のところは、知的階級の人間性の問題ってことになるのだろうか。
持続空間の存在が最も端的に表現されているのが、前後、左右、上下という身体を中心にした方向の区別だね。これを物理空間のx,y,z軸とごっちゃにしてしまうから、みんな空間の本性が分からなくなる。x,y,z軸というのは見られているもののの空間。前後、左右、上下軸というのは見ているものの空間。後者は不変なんだよね。どこに赴こうが前後は前後だし、左右は左右。身体空間は動いていない。そして、その空間に持続が働いている(反転してるけど)。
多くの人が他者視点に自分の視点を持っていかれているから、当の身体までもx,y,z軸で見てしまう。身体空間の本質は素粒子の空間。そこに気づこうよ。「身体には魂が宿っている」というスピおきまりのクリシェも、「身体は前(奥行き)を通して持続空間に接合している」といったような概念に変えていかないといけないね。
身体空間が目覚めて自然を見出すと、世界にアウラが立ち込めてくるとでもいうのかな、自然はより高次の霊性の塊のように見えてくる。生きていく上で最も重要なのは、この方向感覚なんだ。世界はあるがままで霊界だってこと。
世界を物質と見るのと、霊界と見るのとでは方向が正反対なのが分かるよね。まぁ、これは幅意識と奥行き意識の抗争と言い換えてもいいけどね。人間の歴史も実はこの抗争のもとで発展してきたんだ。もちろん、今までは絶えず幅意識の優勢のもとにね。
でもね、これからは形勢逆転が始まるって話なの。奥行き認識の圧倒的な優勢のもとに幅認識を従属物として使いこなしていくこと。そしたら、世界は垂直性に向かって上昇を始めるって。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 3 • Tags: アインシュタイン, ベルクソン, 奥行き