7月 23 2024
物質粒子はなぜ3世代に分かれているのか
人間の身体空間を対象の空間と同一視することによって、身体固有の空間としての前後・左右・上下という主観的な空間の次元は姿を消す。
意識の台座が身体にあるにもかかわらず、こうした空間の次元が完全に無視されていることが、意識に対する私たちの理解を阻んでいる。
ヌーソロジーの場合、まずは奥行きを持続(虚軸)として考え、時空から差異化させる。そして、前後軸の関係に強アイソスピンのSU(2)を見て、物質粒子としてのuクォークとdクォークに対応させる。
当然、左右・上下にも同様な空間構造が隠されていることだろう。必然的に、それらはsクォークとcクォーク、tクォークとbクォークというように、第二世代、第三世代のクォークに対応させて考えることになる。
クォークとレプトンの違いは、対象極側でのSU(2)の構成か、自我極側でのSU(2)の構成かの違いだろう。
右巻き、左巻きは、自己側から見ているか、他者側から見ているかの違いである。
自己と他者は対等な関係なので、結果的に自己の無意識構造と他者の無意識構造は、正粒子と反粒子の関係として現れることになる。
消えた反粒子の世界——それは他者の意識世界のことなのだ。
2月 6 2025
認識を完全化させましょう
ヌーソロジーが思考しているものは理念です。理念とは概念と実在性との統一のことです。十全な概念という言い方もできます。
私たちが経験するすべての物質的存在は、その中に理念を持っており、理念自体がその理念を表現することにおいてのみ存在しています。
概念とその表現としての実在性との一致。それやっているのが私たちの心のなかに潜む知性の働きと言ってもいいでしょう。
⚫︎ヌーソロジーがやっていること
このような考え方をすると、物質の大元と、私たちの精神の大元は同じものであるという直感が働いてきます。
言い換えるなら、理念を思考する世界では、精神の発生と物質の発生は同じものとして見えなければならないということですね。
その意味で、素粒子を内的なものとして再発見することは、私たちの前に、理念世界の扉が開いてくるということでもあるのです。
それがヌーソロジーがやっていることです。
⚫︎球の理念と球精神
理念の空間は持続として奥行きに息づいています。ですから、理念を思考する者は奥行きに自分自身を見なくてはいけません。
自分の周囲の空間がすべてこの奥行きへと変貌したとき、奥行きは一本の線分と化します。これが線の理念です。
この線分は、物理学でアイソスピンと呼ばれているものにあたります。理念はそこから、無数のアイソスピンが集合している空間に出ます。そこに球の理念が息づいています。
物質の起源はこの球の理念です。ヌーソロジーではこの球の理念のことを「球精神」と呼んでいます。
——死が一本の線であることを目撃したアンリ・ミショー。そして、その記述をただならぬ体験として取り上げたドゥルーズ。無数の死が一つの中心を持つとき、そこに地球の輪郭が現れる。僕らがまだ知らない共同体がそこにはある。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: アイソスピン, 素粒子