9月 22 2017
人の性格のタイプは幼児期の意識環境で決定づけられるということなのか
嫁さんがヌーソロジーの構造論を使って、人の性格がどのように決定づけられていくかという話をしている。観察子を実際にイメージしながら読むと、かなり面白い。
http://hoshinokatachimi.blog.jp/archives/3026770.html
今回の嫁の記事は個人的にとても面白かった。世界を飲みこもうとしても飲み込めないところに起こる不満の感情。一方、世界に飲み込まれる恐怖からくる底知れぬ不安の感情。フロイトのいう口唇期に誰もがこの意識流動の天秤にかけられる。ここでの初期条件が、その後の意識のクセとしてずっと尾を引き続ける。
嫁によれば、ワシはタイプ4の典型らしい。要は、ψ4側へと飲み込まれる恐怖に恐ろしく敏感なタイプ。だからこそ、クソッとなって、ψ3側(特異化)へ向かおうともがく。内面化(一般化)されてたまるか、というヤツだ。ヌーソロジーもその産物ということになろうか(笑)。嫁によれば、このタイプはアーティストに多いとのこと。フムフム。
そう言えば、小学生のとき初めて団地を見たとき、ゾッとした記憶がある。そのとき「こんなところには絶対住まん」と固く心に誓った自分がいた(笑)。これもタイプ4の性というものだろう。
潜在化(通常の人間の意識)において感性が感じ取る人間の外面というものは、自由を求める衝動と密接に結びついているのかもしれん。しかし、潜在化においてはまだその方向がはっきりと意識に上がっていない。そこで、その自由への欲望が様々な知覚物で代用されることになる。いわゆる、嗜好物だ。ラカンのいう対象a。しかし、感性が感性である限り、それは、そのものをつかむことはできず、絶えずカラ回りし続ける。それが、シオリズムがいうところの欲望の馬人参。
その意味で言うなら、おそらく、人間の外面の顕在化とは、己自身の欲望の根拠を見出すことと同じ。自由の現実化の段階に入る、ということなのだろう。
そう言えば、最近は、物に対する欲望がほとんどない。。
単なる年のせいもあるけどね(笑)
10月 18 2017
高次の現実——まずは、自分を形作っている回転マシーンの存在を知ること
時間と空間が意識に生み出されている仕組みは、複素空間の組織化という観点から言うなら、極めて単純なものなんだよね。
その原因は、主体が自らの虚軸(奥行き)の位置を他者の奥行きに同調させているところにあるんだ。——あの人からは世界はコレコレのように見えているだろう——という想像の視線だね。
虚軸は持続軸でもあるので、前後、左右、上下、どの方向にもセットすることができちゃう。僕たちの場合、このセッティングが左右方向や上下方向に大きく偏向しちゃってる。それによって、何が起こっているか—。
単純だ。本来、前方向にある奥行きが幅に乗っ取られるという状況が起こっている。これが3次元認識というやつだと思うといいよ。つまりは、僕らは、自分の眼差しの中で生きるのではなく、他者の眼差しを通して世界を見ることが普通になってしまっている、ということ。
ちょっと、残酷な言い方をするなら、最初から他者に食われている、ということ。
これによって、僕たちは自分の本当の住処を忘れてしまう。その痕跡は、かろうじて物理学的な遺跡の中に光のスピンとして残されている。幅の空間上で+1、−1としてプロットされる虚軸。それがそうだ。
光にはスピン0というものもあるが、これが、左右方向に回り込んで働いている奥行きのことだと考えるといい。横倒しにされてしまっている僕ら自身のことだ。スピン0は物理的な観測にはかからないとされている。当たり前だよね。それは、時間として外的空間に同一化しているから。
つまり、人が客観的に世界を見ているときは、奥行きは量子的空間(持続/こころ)から追い出されているということ。
こうして、横からの奥行きと幅(それぞれ時間と空間と呼ばれている)が世界を覆うことによって、本来の奥行きは幅によって上塗りされたものとして現れる。
これは、幅化してしまった奥行きが、その下で活動する真の奥行き=持続(精神)を感じ取ろうとしているということだ。これが、感性=知覚世界と呼んでいるものと考えるといい。
幅化した奥行きは、下に沈んだ自分の本性である真の奥行きを把みたいのだが、横側からの視線がそれを許さない。そこに「常に真の奥行きをつかみ損ねる」という、欲望の空回りの運動が生じてくる。
ラカンの言葉で言うなら、こうして、象徴界(横からの視線=時間)、想像界(幅化した奥行き=空間)、現実界(本来の奥行き)というトリアーデが、人間の欲望を駆動させる基本的なトポロジーとして組織化される、という仕組みになっている。
かつてシオリズムが語っていた「3つのL」、いわゆる、Like(同一化)、Long(差異化への欲望)、Love(愛)という、死ぬまで止まることのない自虐的な回転マシーンがここに働いているということだね。あ~あ、という感じ。
まずは、このマシーン(無意識の欲望機械)の回路を明確にカタチとして意識にあげることが大事。で、それが今までの自分という存在の骨になっていることを嫌というほど思い知ること。それがヌーソロジーでいう「顕在化の次元」の第一段階になる。
抽象的な話に聞こえるかもしれないけど、これが「高次の現実」のもっとも具体的な姿なんだよね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: もののケのしおり