1月 27 2023
コンピュータビジョンVSリアルビジョン
OCOT情報では自然が生成するものとテクノロジーが生成するものとは方向がまったく逆だと言います。
代表的なものとしては、太陽の核融合と人工核融合。原理は似ているように見えてもまったく違うものだということです。物質だけで見ていては決して分からない何かがここにはあるのでしょう。
哲学者のハイデガーもまた、こうしたテクノロジーのことを「挑発」と呼んで、生成(ポイエーシス)とは区別します。人間の生活に役立つよう、その用立てのために自然を挑発する行為、とでも言いたいのでしょう。そして、この用立ての体制をゲシュテル(集-立)と呼んで強く批判します。彼はテクノロジーの中に何を見ていたのでしょうか。
ゲシュテルには「骸骨」の意味もあります。このゲシュテルが支配していくところには最高度の危機が訪れると言うんですね。ただ、この”危機”は科学テクノロジーが自然破壊をもたらすからなどといった単純な理由ではありません。ハイデガーはゲシュテルが真理の輝きと働きとを偽装するからだと言います。
主観と客観の間に「物」があり、近代以降、その主観と客観の関係に転倒が起こったとすれば、その間にあった「物」の場にも転倒が起こったのかもしれません。近代以降、単なる対象と化した物の場にこれまた転倒した擬似的生成の場が重なり合ってくる。テクノロジーとは、おそらく、そのような場の力で成り立っているのでしょう。
そして、この話には続きがあります。OCOT曰く「人間の最終構成」においてはさらなる転倒が起こると言います。それが21世紀になって台頭してきたデジタル空間のことです。この空間は他者の他者として自己をアイデンティファイしていた近代的人間が、そのまた他者へと堕していくような次元です。メタバースにおけるアバターのようなものでしょうか?
「人間の最終構成」とは付帯質の内面(物の内部)へと人間が戻って行く契機のことを言うのですが、同じ「物の内部」と言っても、そこには二つの方向性があるということなのでしょう。コンピュータビジョンとしての4元数空間の中へと入るか、リアルビジョンとしての4元数空間の中へと入るか。私たちに許されたこれからの未来の選択は、おそらくこの二択です。
いずれにしろ、今起こっていることは、私たちが住み慣れた近代的空間の二つの方向への引き裂きだと思います。人間という概念は近代の産物ですから、近い将来、人間はいなくなっていくということですね。
これからは、デジタル空間の肯定的使用というのがカギになってくるのでしょうね。リアル空間(現実界)の反映物としてデジタル空間を使用するということ。そのためにはリアル空間が見えていないとダメで、ヌーソロジーはそのリアル空間を浮上させていく作業のようなものです。
2月 1 2023
夜明け前
空間には一次的な空間と二次的な空間がある。一次的な空間が奥行きで、二次的な空間が幅。というのも、奥行きナシでは幅なんて見えないから。人間の場合、なぜか幅が先手に来て、奥行きが後手に回ってしまっている。奥行きに幅をあてがって、奥行きが分からなくなってしまっているということ。
奥行きとは持続としての精神の場。つまり君自身。物質のすべては、この奥行きから作り出されているのだけど、幅が先手に回った意識にはこのことがまったく分からない。自分と物質なんて何の関係もないと思ってる。
だから、空間に3次元を見ている限り、人間は自分のことなど永遠に分からない。ほんとうの自分の亡骸を物質として見続けるだけ。自分に目覚めたいのなら奥行きに目覚めよう。そして、そこから世界を再構成していくこと。
「ずん!!」と一気に入ればいい、奥行きに。それによって初めて実像としての宇宙が君の前に現れてくる。姿も見えず声も聞こえないかもしれないけど、そこには過去のすべての死者たちが姿を変えて生きている世界がある。そうやって生者と死者を繋ぐイメージを作ること。秘儀参入の場なんだよ、奥行きは。
幅の空間世界から、この奥行きの空間の生態を事細かに調べているのが量子力学の世界だと思うといいよ。つまり量子力学というのは、奥行きの世界の詳細な地図になっているということ。そこでは奥行きと幅の関係が虚軸と実軸として表現されていて、奥行きに幅が従者のように付き従っている。
存在の外に疎外されていた人間が存在の内に入っていくという歩み入り。この風景が見えてくると、物理学者たちによる長年の営為の意味がはっきりと分かってくる。それは「存在の声に傾聴しながらそれを正しく守り言葉にもたらす」ことに努めてきたということ。ロゴスからプシュケーへの橋渡しだ。
あとはヌース(能動知性)の登場を待つのみ。世界は今、そのような状態にある。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ロゴス, 量子力学