2月 21 2008
ヌース理論とシュタイナー思想の類似点(重要)
現在、ヌースアカデメイア・ブログの方でヌース理論に関する質問を受け付けているが(質問はこちらから → ヌースアカデメイアブログ)、なぜかシュタイナーの「人智学」とヌース理論の関連性に関する質問が多い。僕自身、シュタイナーは斜め読みしかしたことがないので、正確なところは分からないが、空間認識からみたヌース理論とシュタイナー思想の感覚的な一致点をざっと書いておこうと思う。おそらく、ヌース理論でいう大系観察子の領域まで辿らなければ、シュタイナー理論?全体との相性の善し悪しは確認できないが、ヌース理論が顕在化の作業を進めている次元観察子ψ1〜ψ12の領域はどうもシュタイナーの言う自我形成の発達プロセスとピッタリと当てはまっているような感じがする(潜在化においては偶数系が先手を取ります。煩雑になるので双対性=ψ*側を含んだ説明は割愛します。最後にチラっと顔を出しますが、はっきりとはまだ見えていません)——。
今回の『人神・アドバンスト・エディション』では身体における前-後軸と素粒子空間(SU(2)=3次元球面)の関係性のみに絞って、その幾何学的な空間構造を紹介したが、素粒子構造は本でも書いたように「コーラ(受容器)」の形を意味するものであって、その中に投げ入れられてくる具体的な意識の表象は一切持ってはいない。そのことをしっかりと踏まえた上で次の一連の解説を読んでほしい。
●物質体/エーテル体………ψ8〜ψ7
純粋な前-後方向(人間の意識ではない)は、実は前次元までの全体構造(ヌースでは「総体における定質と性質」といいます)が凝縮化されてくる場所になっている。シュタイナー的に言えば、これら総体における対化はエーテル体(ψ1-3-5-7/人間の外面領域=「前」)と物質体(ψ2-4-6-8/人間の内面領域=「後ろ」)の関係性に当たるようだ。これらの対化の形成はそれぞれが、知覚機能(外面)と肉体形成に至るまでの発生のプロセス全体(内面)に相当しており、より簡潔な表現をすれば、受胎期における母胎内領域という言い方ができる。ラカン的に言えば、これは人間の意識には接触不可能な「現実界」と呼ばれる場所である。ラカンはそこに「黄金比Φ」の本質があると考えた。
総体における定質と性質が凝縮化されて送り出されてくるという意味では、物質体はその背景にイデアとしての正20面体構造を持っており、エーテル体は同じくその背景に12個の五茫星形からなる正12面体を持っている。人間の世界は自らの所以であるその「総体」を再度、奪回するために、「そこ」へと向かう新たな「方向性の対化」として発現してきているようだ(あくまでも方向性であって、「そこ」の形成力は最終構成においてしか生まれてこない)。胎児の形成はその意味で前次元の総体形成の精神(観察精神)に由来するものと考えていい。それゆえに、赤ん坊はオギャーとこの人間世界に生まれたときに、すでに物質体とエーテル体を完備して生まれてくることになる。
人間の意識ではNOOS(精神の力の流れ)とNOS(付帯質の力の流れ)の先手後手関係が逆転しているので、まずは物質体(人間の内面の基礎的な場となるもの)が先手を取り、エーテル体(人間の外面の基礎的な場=五感知覚を司る差異の系列機構)が後手に回る。生まれ落ちた瞬間に、感覚器官は出来上がっていても知覚自体はまだ機能していないのもこのためである。
●アストラル体………ψ10
胎児が地上に産み落とされ、触覚(ψ1)、味覚、嗅覚(ψ3?)、視覚(ψ5)、聴覚(ψ7)等の官感の機能が十全な状態まで発達してくると、今度は物質体とエーテル体、それら両者の等化運動としてアストラル体の成長が開始される。アストラル体はヌース理論でいう次元観察子ψ10に当たり、別名「感性(かんせい)」と呼ばれる。精神分析的に言えばこれは「想像界」のことである。一方のエーテル体全体は次元観察子ψ7に当たり、これはヌース理論では球精神(きゅうせいしん)と呼ばれる。おそらく五感による感覚世界の全体性の意味だろう。
アストラル体とエーテル体は空間的には、おおむね人間の意識が前-後軸と呼ぶ方向の「前」方向に重畳して存在させられており、アストラル体はエーテル体領域を基盤にして想像的自我の基礎を作るために、自身の位置をエーテル体から剥離させ、自己中心化の位置を形成していく。これがラカンのいう鏡像段階並びに、フロイトのいう、口唇期-肛門期-男根期という無意識発達のプロセスに相当している。
しかし、この自己中心化はアストラル体自体がもともとψ9=思形の反映としての存在であるために、対象、自己、相手、他者一般との区別感覚は希薄には存在しているものの、分断状態はまだかなり曖昧な状態である。これは幼稚園児ぐらいの子供の他者に対する振る舞いを見ても多少の想像がつく(けがをしたともだちが泣き出すと、自分がけがをしたと思い一緒に泣いたりする)。アストラル体の形成は年齢にして7~8歳当たりまでと考えるといい(次元観察子の形成プロセスと地球の公転数はより上位の観察子構造である大系観察子Ωとの関係で直接結ばれおり、どうもホロニックに共振しているようだ)。アストラル体自体はメンタル体の作用が発現してくる以前では、あくまでも、人間の外面領域全体を一気に交差して行く方向性を持つだけである(今度の本で示したケイブコンパスにおけるψ9〜ψ10の矢印の形を参照のこと)。
●メンタル体………ψ9
アストラル体、すなわち空間的な前-後感覚が十分に発達してくると、今度はメンタル体が発現してくる。これがヌース理論でいう次元観察子ψ9-思形(思形)と呼ばれるものである。これは発達心理学的に言えば、7~8歳~13~14歳の間ぐらいまでの間に発達を遂げていく意識領域と言ってよい。フロイトの言う学童期に当たる。メンタル体の発現によって、人間の内面領域としての物質体を交差(観察)する意識の方向性が生み出され始め、ここに初めて外在世界の(物理学的な時空概念とはまた意味が違うので注意)認識が確立されてくる。つまり、これがヌース理論が「人間の内面の意識」と呼ぶものだ。
メンタル体は言語機能と密接な関係を持っており、現実界が作り出していた対化間における黄金比的接続(キアスム)のすべてを切断する力を持っており、物質体として生成されている事物の分断化を挙行していく。つまり「ことわり=事割り=理」が形成されていくわけである。フロイト-ラカンの文脈で言えば「去勢」である。これは空間認識的には左右方向からの視線の発生と考えていい。分かり易く言えば、アストラル体が形成していた前-後方向の感覚を真横から観て取る観察力が意識上に発達してくるということを意味している。その意味で、メンタル体は、モノの厚みや、空間の奥行き、そして、距離感覚、そして、過去/現在/未来といった漠然とした時間感覚を意識に提供し、世界の3次元的な配置を言語活動と共に思考概念として形成していくことになる。ただし、この3次元性には現代科学が持っているような計量概念は伴わない。非常にアバウトな延長性と考えてもらえぱいい。計量概念が生み出されるためには「精神の等化」という力が必要で、これは次に触れるψ11レベルの前半期に形成されていく。
このメンタル体の発達はだいたい第二次性徴期の完成に当たる13~14歳当たりで完成に行き着く。いうまでもなく、これはラカン的に言えば「象徴界」の形成と同じ意味を持つ。つまり、意識が言語的共同体=社会に参入させられるわけだ。
●近代的自我とセクシュアリティー………ψ12〜ψ11
そこから、アストラル体とメンタル体の等化・中和運動としての定質と性質の方向性が生み出され始めるが、意識はここで「異性」を欲望し始め、自我形成のために必要不可欠な恋愛体(これは造語)の生産を開始する。転倒した接神体験である。当然のことながら、ここでも、人間の意識はNOSを先手にしているので、人間の内面の意識(物質体+メンタル体)の特性へ傾きがちな男性の場合の方が先手を取り、物質的結合(肉体的結合)の欲求が女性よりも先に起こってる。人間の外面の意識(エーテル体+アストラル体)の特性へと傾いている女性の方は、男性に一歩遅れ、その後、外面結合(精神的結合)を先手に取って恋愛体の対化を形成していく。これらは一言で言えば「はめたい」か「一緒にいたい」かの違いと思えばいいい。わぁっ、急に分かりやすくなった!!
ヌース理論から見ると、この自我形成の精神運動はこのアストラル体とメンタル体の等化運動としての次元観察子ψ11=定質〜ψ12=性質(人間においてはψ12側が先手)に対応してくる。空間認識的には、これは上-下軸からの視線として発現してくる。その理由はおおよそ次の通りだ。
実際、自分自身の意識を確認してみれば分かるが、奥行き方向を奥行きとして見る(感性の力のこと)ためには、誰でも必ず真横から観察の矢を介入させる必要がある。さきほど示した思形=ψ9の力がそれに当たる。ψ11〜ψ12段階においては、その真横から見た軸を今度は知覚正面となる前後軸(感性=ψ10)と同一化させていくような回転が始まるわけだ。
少し意識を集中させれば、実際にそうした回転運動が意識内で起こっていることにすぐ気がつくはずだ。これが「定質・性質=思形と感性の等化と中和」と呼ばれる働きが起こっているカタチの方向性のことである。このときの回転を司っているところの軸が上-下軸になっていると考えればいい。この回転によって、想像的自我としてのアストラル体はエーテル体との分離を余儀なくされ、いわゆる脱中心化を起こし、客観的対象=人間の内面の意識領域との結合を余儀なくされる。このことは肉体が他の対象と同じレベルの物質に落とされることを意味している(もっといろいろな働きがあるのだが長くなってしまうので、ここでは簡単に止めておく)。つまり、上-下軸とは近代的自我が持った個体化の意思の方向だという言い方もできるだろう。この完成の時期はとりあえずは、ヌース的な換算では、14歳の約2倍の28歳ぐらいの時期に当たる。占星術でいうところのサターンリターンだ。
●最終構成………ψ14〜ψ13
一方で、これら潜在化(方向性のみ)として働いていたψ8〜ψ7(4次元)、ψ10〜ψ9(5次元)、ψ12〜ψ11(6次元)の方向性は凝縮化されて、反対側のψ*1〜ψ*2、ψ*3〜ψ*4、ψ*5〜ψ*6に入り込んでくるような構造が精神構造には存在している。その意味で言えば、人間の意識次元ははψ14(オシリスの生殖器)への侵入によって、ψ*7である現実界を奪還できることになる。現在のところ、これが「位置の交替化(対化における内在と外在の変換=総体における”対化の等化”と言う)」の本質的意味ではないかと考えている。人間次元における最終構成とはこのψ14へと人間の意識の流れが進んで行くときに、そこで反転(捻れ)を挙行して、この流れをψ*13として見る顕在化のためのNOOSの作用のことを意味する。これがおそらく「復活したオシリスの生殖器」の意味ではないかと考えている。
●個体の心理発達と人類の心理発達はともに観察子構造が暗躍している
実を言うと、これら3段階の空間認識軸の遷移は人間の世界認識の在り方自身の歴史的発達とも対応している。シュタイナーもたぶんそのことについても触れていたのではないかと思うが、これら三つの発達段階(資本主義機械には前期/後期があるので4段階という言い方もできる)をドゥルーズ=ガタリは『アンチオイディプス』で順に、原始土地機械、専制君主機械、資本主義機械と呼び、エーテル体形成力の奪回のことをアルトーの言葉を借りて「器官なき身体(原始土地機械を生産する機械)」とスタイリッシュに呼んでいる。
あれっ、話が飛んじゃった。とにかく、ヌース理論はシュタイナーとも深い関連性を持っているようです。いずれゆっくりやりましょう。要は、ヌース理論から見ると、哲学も、宗教も、オカルティズムも、物理学も実はみ〜んな同じことをやっているのですね。ちなみに次元観察子が顕在化していくプロセスの全体性は幾何学的にはおそらく7次元球面を構成しており、これが凝縮化によって人間の外面のカタチである3次元球面と重なり、近代自我にとっての人間の内面の意識である4次元の双対時空に張りついているだけです。ですから、重力が交差して作り出されているこの4次元時空認識を今度は逆に去勢して、4次元空間側に反転を挙行すればいいだけのことなんですね。これらの仕組みがありありと全部見えてきたときに、エーテル体は自らその形成力の起源であったものを想起し、地球は金星になります。つまり、宇宙的妊娠が起こるということです。
ほんまか?
うそやろ。
みなさ〜ん、もうすぐ最終構成ですよぉ〜。僕らの無意識を支配している前-後軸(4次元)、左-右軸(5次元)、上-下軸(6次元)は、現在、すべて7次元で統合されて、人間の内面の意識の方向性を4次元時空側から4次元空間側に反転させようとしています。これがヌース理論がいう「人間の意識の覚醒」です。だから、もうすぐ、前後軸のみの時代、4次元認識の時代がやってきますよ〜。っつーか、正確には次に生まれ出てくるための新しい人間のための前-後軸を作る時代といった方がいいのかな。。。僕がいつも「受胎」と言ってるやつ。というわけで、もうまもなく、宇宙空間の広がりなんて概念(人類共通の上下軸=セトの下降螺旋力によって大地に深く突き刺されたエクスカリバー)は簡単に抜けちゃうからね。さよなら、重力。さよなら、アインシュタイン。さよなら、お父さん。こんにちは、新しいお母さん。。現実界(Φ)へレッツラゴー!!
3月 15 2008
太陽と月に背いて(5)
駄弁を続けます。
●有機的なものから無機的なものへの侵入
物質的なものを巡る科学的思考と霊的なものを巡る宗教的思考。シリウスとはこれら両者を一つのものの表と裏として見なすことのできる知性が存在している領域です。理性的な思考と感性的な思考の断裂の狭間にそれらをつなぐ純粋思考を持った天使世界が存在しています。この天使たちが思考対象としているものがヌース理論でいうところの「観察子」という概念だと考えていいと思います。ここはダイナミックに生死を繰り返す有機体の世界を卒業して、創造に着手する無機物の場所でもありますから、ある意味鉱物的な世界、つまり、幾何学的な世界となります。パワーストーンに秘められたあの不思議な力は、シリウスに居住するこうした知的精神体によってもたらされているもののようです。
コ : 古代人が共通して巨石文明を持っていたのはなぜですか?
オ : 石には何か別の次元が関与できたのではないかと思います。石には人間の意識を(進化の)方向に関与させる調整質が含まれています。それ(その調整)を行うためにやった(巨石を使った)のです。石とは力の方向性(精神のカタチが存在する場所への方向性)の対化。
この鉱物的な知性が観察子と深く関係しています。ヌース理論でいう観察子とは無意識構造を象(かたど)っている空間のカタチのことを意味しますが、このカタチは人間の意識に捉えられている物質的な表象や心的な表象とは一切無縁のものです。つまり、この純粋思考においては、理性が作り出した容器図式にもとづく論理も、その反動として動いている情動的な生産物も、一切立ち入ることはできません(スピノザという哲学者が言った「第三種の認識」に似ています)。なぜなら、この純粋思考というのは、理性や感情を人間の意識に提供している無意識の機構そのものだからです。分りやすく言えば、人間が持った様々な意識の様態が種々のアプリケーションだとすれば、それらを動かしているOSと言えばいいのでしょうか。いや、この純粋思考への移行は、もっと言えば、人間の意識自体を動かしているOS自体を全く違うOSに入れ替える作業と言っていいのかもしれません。多くの人にヌース理論が難しいと感じられる所以は、この異質性にあります。
確かに日常的な思考からヌース的思考への切り替えは厄介な作業なのですが、僕の拙い経験から言って、このOSの切り替えには一つのコツがあります。それは一言で言えば「時計的な時間を無視しちゃえば?」ということです。とにかく時計的な時間などは存在してない、と言う立ち位置から自分を取り巻く世界について思考の再構成を試みることです。ヌースの世界観から見ると、時計的な時間は深淵です。ここは無底、つまり底がありません。思考が時間にトラップされてしまうと、思考は空間に直線という迷路を生み出し、思考を悪無限の中に放り込むことになるわけです。この宇宙はいつ始まったのか、この宇宙はいつ終わるのか、宇宙に果てはあるのか、人間は死んだらどうなるなのかetc。。こうした疑問は、問い立ての仕方自体が時間の罠に引っかかっているために、どのようなロジックを持ってこようとも決して答えが出てくることはありません。だから、ここは「時間など存在しない」という思い切った跳躍が必要なのです。時間が導入された世界には3次元空間という深い闇がパックリと口を開けて、人間の意識をカオスの中に呑み込んでいます。もちろん、このカオスは「悪」ではありません。むしろこのカオスがなければ宇宙は生命(生物)を生み出すことはなかったと言えます。生命とは光と闇の混合の上でしか成立しないからです。
●時空=自我=炭素
いずれヌース理論の中でもはっきりと示すことができると思いますが、人間が作り出しているこの4次元時空という概念こそが生命生成の本質力となるものです。そして、生命生成におけるカオスの基盤に横たわっているのが想像的自我という人間の意識のセンターとなっているものなのです。この想像的自我を象っている空間構造は、素粒子次元ではニュートリノ、元素次元では炭素、などと深い関係を持って存在させられています。
つまり、ヌース理論でいう覚醒意識(顕在化)から見ると、炭素という元素、3次元空間認識を作り出す時間概念、そして想像的自我のカタチはすべて同じもののように見えるということです(ちなみにこのカタチは「止核精神」と呼ばれ、幾何形状としては正四面体です)。2冊目の著書『シリウス革命』で、植物とは人間の思考が物質化したもの、動物とは人間の感情が物質化したものと書きましたが、物質的に見て、生命体の根本に炭素という元素が重要な役割を果たしているのも、炭素が自我が持った空間構造の物質的射影だからと考えて下さい。
おいおい、半田、飛ばすのは止めろ。時間がないと言ったって現にあるじゃないか。
そんな声が聞こえてきそうですが(^^)、時間感覚をマヒさせていくためには、ただ時間などない、と決めてかかるだけでは無理です。時間とは無意識の構造が提供している一種の霊力ですから、時間感覚を希薄にするためには時間がどこで生成されてくるのか、まずはその場所を見つけ出し、その生成機構をありありと目撃する必要があります。この時間の生産機構を見ている場所は時間がない世界となります。つまり、次のようなことです。
時間がない世界において世界がどのようになっているのか、その具体的なランドスケープを感覚化するための知覚能力とそれらを一つの世界イメージとして結ぶ概念力を意識に作り出せばいいのです。いくら時間がないないと心で思ってみても、どうしても時間があるように感じてしまうのは、僕ら人間の意識が時間概念のない世界における具体的な大地や都市や交通網や、そこで行なわれている経済活動をイメージできていないからにすぎません。そこには一体どういう人々が居住しており、そこでは一体何が交換され、そこで一体どのような会話が交わされているのか、こうした非日常的日常というか、日常的非日常の様子がありありとした情景として見えてくれば、もはや時間という神霊は僕らのもとから立ち去っていきます。いや、正確に言えば、時間がある世界と時間がない世界を自由に行き来できる意識形態が作り出されてくるということです。こうした意識形態を持ったニュータイプたちがヌース理論でいうところの「トランスフォーマー(変換人)」という存在です。これは言い換えれば、意識進化へと一歩踏み出した次元両性類としての人間と言えます。この新しいタイプの人間は、下半身は今まで通り水(3次元空間)の中を彷徨う魚の姿をしていますが、上半身は光に満ちた大気の空間に出て肺呼吸ができる生き物たちです。古代バビロニアの伝説にあるあのオアンネスも、ドゴン伝説に登場してくるシリウスから飛来した両生類的生き物と言われているあのノンモも、ヌース理論から見れば、こうした3次元世界と4次元以上の高次元空間を行き来できるトランスフォーマーの異名にすぎません。そして、連中はかつてこの地球上に存在していたのです。。。いや、ずっと、存在し続けている。。。
次回は時間概念を脆弱化させていくためのいくつかの空間概念について話してみようと思います。——つづく
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 3 • Tags: シリウス革命, スピノザ, ニュートリノ, 素粒子