11月 30 2016
1994年制作のヌース辞書が出てきた
書棚を整理していたら、1994年に制作したヌース辞書が出てきた。久しぶりに見る。
―人間の反対-形質を持つもの。モノの中にいるもう一方の自分を人間が見出すときに生まれる進化の方向性の力。形質が生み出されることによって付帯質の外面から付帯質の内面へと次元が変わり表相が中和され、人間の最終構成が生まれる―と書いてある。
当時は訳の分からないまま書いていたが、今は手に取るように意味が分かる。形質とは虚軸(奥行き)のことだ。本当の幾何学は虚軸が構成する持続空間において作られている。この方向に人間が意識を向けるようになれば、人間は表象の思考を漸減させていく(表相の中和)。
付帯質の外面から付帯質の内面への次元変換とは、世界が対象の外部性から内部性へと移動するという意味だ。人間が4次元認識を獲得するという意味でもあるだろう。今は人間はまだこの「人間の反対」との交差を持てていない。ヌーソロジーが開いているのはこの「人間の反対」の空間だと考えるといい。
人間の反対とは哲学的に言えば超越論的自我のことだ。人間は経験的自我。経験的自我は時空(幅化した世界)をフランチャイズとしており、超越論的自我は素粒子空間(奥行き化した空間)をフランチャイズとしている。超越論的空間が経験の中に介入してくるとき、空間は元素体となる。それが最終構成。
無茶苦茶ぶっ飛んで聞こえるかもしれないけど、近い将来には共通了解がとれてくるのではないかと思う。それにしても、ドゥルーズ哲学そのものやなぁ。改めてドゥルーズの凄さを感じます。
8月 2 2017
【ヌースの基本概念】人間の外面・内面とその役割
前回はヌーソロジーの初っ端に出てくる「人間の外面・内面」という概念を幾何学的に解説して、それを複素空間と結びつけて話したわけだけど、今日は、それぞれの空間が意識の中でどういう役割をしているのか、そのことについて少し話しておくね。
前回挙げた図からも、人間の外面が見る空間、人間の内面が見られる空間になっているのはすぐに分かると思うんだけど、まずは、「ものが見える」ということについて、この二つの空間を通して考えることが必要。
人間の内面は奥行きが幅化しているので、そこには実は瞬間しかない。一方、人間の外面の方は純粋な奥行きなので、そこには持続しかなく、現在という瞬間性はない。
ここまではいいかな?
実は、「ものが見える」という出来事は、この二つの空間の接点で起こっているということ。
禅の言葉に隻手の音声(セキシュノオンジョウ)というのがあるよね。両手をポン!と叩いて、さて、どっちの手が鳴ったか?というアレ。
ものが見えるという状況もこれと同じで、ものの見えが継起している瞬間的な現在と、その現在が過ぎ去っても、それを記憶として支えている持続がないと、「見える」という認識は成り立たないってこと。
今も、そういうカタチで君の目の前の風景は成立している。
まずはこのことを強く意識してみてね。
そうすると、「見られる幅の空間」が瞬間を提供し、「見る奥行きの空間」が持続を提供していると言っていることの意味が次第に、実際の感覚として立ち上がってくると思うよ。
これがOCOTのいう付帯質と精神の基本的な関係だね。
付帯質(幅)で覆われた3次元世界のことをなぜOCOTが「無の力」と言ってるかが、分かるよね。そこには瞬間しかないんだよ。
でも、僕らが普通「物質」と呼んでいるものは、3次元世界の中にあると思われているよね。
そういう世界で、物質なんてものが存在できるかい?
このへんのところ、よ~く、考えてね。
ホント、今の物質的世界観ってのはムチャクチャなの。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 付帯質