3月 9 2022
存在の死と復活
自然と人工物の違いは調整質ψ9~10(思形と感性)に生じている現象と、中性質(ψ11~12)に生じている現象の違いだろう。中性質では調整質が転倒し、人間固有の生成場が生じている。シミュラークル回路。言葉(内面)と知覚(外面)間の生殖器官。資本主義機械のエンジンだ。(ψは潜在化で偶数先手)
ドゥルーズ=ガタリに即して言えば、調整質ψ9~10(思形と感性)は専制君主機械と原始土地機械に対応する。中性質(ψ11~12)の方は文字通り資本主義機械だ。この機械はパラノのスキゾという二つの極性を持つが、すでにこの無意識機械の働きも終わり、時代はψ13~14の領域に入っている。最終構成だ。
ヌーソロジーの文脈では、この領域は今まで”死”の領域として活動していた場所である。その領域が今開きつつあるということ。ヌーソロジーの出現もその一環だ。この領域は従来のψ1~12までの無意識の流動をまるごと反転させてくる。
意識を形作っていた空間が裏返され、今まで無意識として潜在化して領域が顕在化してくるのだ。”死”が開き出すと言ってもいい。しかし、この”死”の開きにおいて、自己側のそれへと身を翻すか、他者側のそれへと身を委ねるかという選択を存在世界はそれぞれの個に要求してくる。もちろん無意識的に。
人間の存在自体が他者構造に先導されて生じているものなので、そのまま惰性に任せれば、必ず他者側の死の開きへと呑み込まれていく。それが今、世界全体に起こっているコンピュータ社会への移行だと考えるといい。持続(精神)が物質という影へとまるまる移設されて行っているのである。
ここは無意識に巨大な捻れが生じる領域なのだ。その捻れが存在論的差異の顕現というものだ。存在論的差異は存在の覚醒でもあるので反映を持つ。それがコンピュータというものの正体だと見破らないといけない。よって、今後のテクノロジーの発達は存在自体の復活と死の隣り合わせの出来事となる。
しかし、危機のあるところ、救うものもまた育つ。
ハイデガー
コ : VRとは何ですか?
オ : 人間自体が神となった世界のようなものです。
シリウスファイル
4月 8 2022
来るべき世界のための惑星芸術
最終構成では民主主義は消滅して行く。これは近代理性に裏打ちされた自由・平等の主体たる自我概念が通用しない時代に入っていくということでもある。国家や巨大IT企業など、最初はDXフル装備の権威主義のもとに世界はディストピア化して行き、その後に、新しい民主主義が芽吹いてくるのではないかと思う。
僕個人はこの民主主義のことをMona-Democracy(モナデモクラシー)という語感でイメージしている。ここでは縮めてMonacracy(モナクラシー)と読んでみよう。モナドとデモクラシーの合体語だ。要は近代自我ではなく、霊的個体化した者たちによる民主主義。だから、古い民主主義のように人間中心主義ではまったくない。そこでは鉱物も植物も動物もすべてが民衆。
モナクラシーの大地は4次元空間であり、そこで暮らす人々はコミュニケーションではなく、コミュニオンによって結ばれている。コミュニオンとはヌースによる精神流動のことで、この流動は、最初は人間の意識の量子同調から始まる。
モナクラシーの社会は社会契約ではなく、存在契約で成り立っており、自己と他者は物においてつながっている。物が自己と他者を等化しているという前提に立って、自然全体を精神の共同体として見なすわけだ。
当然、ここにおいての自己や他者とは持続に位置を持つ自己や他者であり、当然のことながら死者たちをも含む。物質的自然はこれら全モナドの生産によるものであり、当然、旧体制の自我もそれに含まれる。中心は集合主体としての物であり、彼らの知覚にはそれは大地としての地球として捉えられてくる。
旧体制からこの新体制への移行期では物質的身体の維持も必要なので、従来型の国家というマクロな政治システムを解体し、数万人単位のミクロな行政システムをブロックチェーンで組織化し、それらをAIでスマート化させ、マクロ行政やマクロ経済の均衡を取っていく。
問題は旧来型社会の欲望の質的変化が起こりうるかどうか。旧来型であれば、それはビジョンの達成であったり、金や地位や名誉を得るという極めて自我的なものだったわけだが、こうしたモナクラシー社会を推進して行くためのインセンティブとは何かということ。ここが難しい。。
不死というのはどうだろう。モナクラシー的社会は人間に不死をもたらす。。そうなれば、みんなこぞってそちらに動き出すのでは(笑)
資本主義社会が唯一恐れているものは器官なき身体の登場だとドゥルーズは語っていた。これは逆に言えば器官なき身体が到来しない限り、資本主義に終わりはこないということ。しかし、資本主義が末法万年が如く続くのならば世界に未来はない。器官なき身体とは不死なる人間のことでもある。
実際に不死になるかどうかは別として、あたかも自分が不死になるかのような感覚を与える新しい世界観を作り出すこと。それがヌーソロジーがやっているゲシュタルト変革だ。自らのうちに眠る器官なき身体を一つのアーキテクチャーとしてデザインしていくこと。その意味でヌーソロジーはアートである。自らが地球になるための惑星芸術である。
下写真/Francois Morellet Reinstallations
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ドゥルーズ