11月 15 2008
時間と別れるための50の方法(50)
●「陽子とは愛」が意味すること
スピノールの回転のヌーソロジー的解釈を一通り終えたところで、OCOTがなぜ「陽子とは愛」と言ったのかを考えてみましょう。
陽子は、皆さんもご存知の通り、物質の核をなす粒子です。この陽子は現代物理学では二つのアップクォーク(u)と一つのダウンクォーク(d)で構成された複合粒子として存在しています。
陽子 uud(アップクォーク2個とダウンクォーク1個の意)
uクォークとdクォークはスピン±1/2を持つ粒子でその自転角運動量は電子と同じでスピノールになっています。ここで、今までお話してきた次元観察子ψ5をアップクォーク、同じく次元観察子ψ6をダウンクォークのスピンとして解釈してみます。すると陽子に含まれている二つ目のアップクォークが持つスピンは、この次元観察子ψ5とψ6を等化する回転が持ったスピンとして解釈することができます。この回転が意味するところは、自他を統合するところに無数の自他関係の対化を構成する自由度を設けているということでもあります。結果的にスピノールの回転の次元そのものは、主-客関係が形作られていた空間より、より大きな対称性を持った次元観察子ψ7を作り出してくることになります。物理学ではこのようなスピノール自体の回転によって生まれるスピンをアイソスピンと呼んでいて、ψ5やψ6のスピンとは区別して考えるようです(下図1参照)。
アイソスピンはスピノール空間における球空間の回転軸のようなものに当たると考えば分かり易いかもしれません。その意味で、このアイソスピンの内部自由度もSU(2)=S^3になります。この自由度が形作られている空間がψ7の球空間で、シリウスではこれを「球精神」と呼んでいます。球精神……どこかで聞いたことがある言葉ですね。いやいや、あれは「精神球」だったような。精神球とは現在の人間が巨大な空間の広がりとして認識している場所のことです。それが反転したもの。。。これが球精神です。あ〜、もう面倒臭いったらありゃしない。。果たして球精神って何でしょ?
実はOCOT情報は球精神は人間の意識では客観的な点概念として働いている力のことだと伝えてきています。目の前の空間の中に、「ここに客観的な点を打ちます」と言って、多くの人がそれを了解したときには、その点自身が陽子になっているということです。もちろん、前にも言ったように、点概念とはそのまま「点球」のことを意味しますから、これはモノとしての客観的球体概念と言い換えても同じです。人間は点や球の概念の背景にこうした球精神の力が働いているということも露知らずに、そのまま、無意識に球精神の力を借りて、モノの境界面の描像を宇宙空間の果てにまで拡大して、空間の広がりを概念化している………それが精神球だということです。この球精神と精神球の反転関係は次元観察子ψ9の領域に入るとはっきりと見えてきます。
さて、クォークのuスピンが観測者の絶対的前を意味し、それが主体の精神の在処だとすれば、この陽子のアイソスピンとは人間全員の「前」を綜合した空間であり、そこはまた人間の意識における持続の全体性が息づいている場でもあるということになります。このことは言い換えれば、主体が人間全体の観察の視線が焦点化されていると考えているところには陽子が生じるということでもあり、モノが陽子でできているのも、このような主客認識の一致点が空間構造として物質生成の根底にセットされているからです。観念論と実在論の見事な調和がここにはあります。これまで哲学を呪い続けてきた「もの自体」という亡霊を払拭することができてくるわけです。
コ : では、愛の達成が人類の最終的な目的ではないのですね。
オ : はい、さきほども申し上げたように、あなたのおっしゃっている愛とは、人間に進化の方向を与えているものであって 目的ではありません。むしろ、スタートです。
コ : 愛がスタート………。
(『シリウス革命p.98』)
人類の過去の歴史の中で何度も声だかに叫ばれながらも空しいリフレインとなり続けてきた「愛」。OCOT情報によれば、その愛が2013年から結実を開始すると言います。正直、「ほんまかいな」というのが大方の人たちの反応でしょう。現実の世の中を見てもそのような気配は一向に感じ取ることはできませんし、むしろ、社会のいたるところでルサンチマンが増殖してきており、世界全体が受動的ニヒリズムへとまっしぐらに堕ちて行っているようにも見えます。一体OCOTは人間の何を見てこのような予言めいたことを言っているのでしょうか。このことについては僕自身、いろいろな可能性を探りました。結果的に下した決断は、OCOT予言の真意の理解のためには、人間が長年抱き続けてきた愛のイメージをその根底から変える必要があるということです。
普通、「愛」というと、男女の性愛や、隣人愛、人類愛など、他者に対する慈しみの感情を指します。こうした感情は今までは人間の精神面や心の問題とされ、認識の問題とは区別して語られるのが常でした。しかし、認識を無視したこのような愛の在り方は虚妄だとも言えます。なぜなら、人が他者への愛を諭すとき、大方の場合、他者は自分の外部に想定された別の主体的存在となっているからです。「他者」をはじめから〈外部〉において、そこで「他者」との融合を切々と訴えたとしても、実際には「他者」を遠ざけていることにしかならず、せいぜい、折り合いをつけてうまくやっていく程度のことしかできません。こうした疎遠さの中で、どんなに「わたしはあなたを愛しています」と叫んでみたところで、そこでは「他者」は永遠に自己の〈外部〉に放擲されたものでしかなく、根本的に断絶を持った「他者」でしかありえないのです。
ですから、自他一体という愛のかたちを形成するためには、人間におけるこうした旧態依然とした〈自己-他者〉図式を払拭し、他者を絶対的外部に置かないような世界像を作り出す必要があります。たとえば、前回示した図のように、多くの人間が一つのモノを取り巻いて観察している様子を想像してみましょう。そのとき僕らは見ている主体が「多」で、見られている客体が「一」だと考えています。この認識は僕らにとって極めて自然なものであり、別に無理してそのように見ているわけではありませんね。モノには無数のアスベクトがあるにもかかわらず、そのアスベクトの「一」への統合がなぜかモノ側ではいたって自然に起こっている。それならば、いっそのこと、主体が今見えているモノの像側にいるとする考え方と感覚を作り出せば、主体の交換がいとも簡単に成立し、愛が一気に現実化することになるわけです。
このためには、いつも言っているように、モノの手前側に想定されている鏡像を消してしまわなければなりません。もちろん、この作業は鏡像的自我自体が時空という概念で統制された世界体系(人間の内面の意識)によって幾重にもガードされているので、そんなに容易なことではありません。しかし、もし、そのガートを突き崩せるだけの別の認識の体系が作り出されてくれば、愛はごく自然な身振りで天から舞い降りてきて、人間を次なるステップへと進ませることができるのではないかと考えています。愛とは陽子である——これほど痛快な落ちを用意している神さま。あなたはつくづくセンスがいいお方だ!!——つづく
12月 9 2008
時間と別れるための50の方法(57)
●止核と核散について………トランスフォーマー型ゲシュタルトが持つ意義
正六面体と正八面体の4つの階層によって構造化されたプラトン座標の機構。これは次元観察子の骨組みと言っていいものに当たりますが、ここで見ていただきたいのは、正八面体における3本の立体対角線と正六面体における4本の立体対角線の関係です(下図1)。
これらの立体対角線の長さは正八面体を1とすると正六面体は√3です。正八面体と正六面体が持っているこの立体対角線の数「3」と「4」の関係は、神秘学の系譜が「3」と「4」を宇宙の成り立ちの根本的要素と見るのと同じで、ヌーソロジーの観点から見てもとても奥深いものを感じさせます。つまり、観察子のシステムというのは、ユークリッド次元でいうとそれこそn次元(n→∞)に向かって限りなく続いていくのですが、しかし、「数が1から4までしか存在しない」のと同じ理由で、空間も実は3次元的な観念と4次元的な観念がベースとなって、5次元以上の空間というのは、実は、3次元的なものと4次元的なものの反復による多重化によって構造化されているにすぎないということなのです。
そのように考えた場合、プラトン立体というのは確かに「立体」という名が冠せられてはいるのですが、実は、通常考えられているような3次元ユークリッド空間内の立体的な表象として捉えられるべき形状ではなく、空間の根底にセットされた本源的な観念の機構のようなものではないかと考えられます。
そのような理由からかどうかは分りませんが、OCOTは、この正八面体のことを「核(かく)」、正六面体のことを「核散(かくさん)」と呼び、次元構成をコントロールしていくための調整質と見なしているようです。核とは文字通り、意識の働きの中核を意味する言葉で、核散はその中核を解体させることを意味します。
プラトン座標ではこの正八面体と正六面体が三重構造をもって構成されているわけですが、この「核」と「核散」が持った働きの三重性は、スピリチュアルな数字遊びが好きな方には「6・6・6」と「7・7・7」と言った方がピンとくるのかもしれません。ここでの「6」は正八面体が持った方向性の数(±x、±y、±z)を意味し、これが三重構造をとっている「6・6・6」では、次元観察子のシステムは観察子の連結の要となっている4次元性を見失い、各々の観察子階層の差異が見えなくさせられてしまいます。このとき「核」は「止核」していると言い、特に次元観察子ψ1~ψ2での止核力は「スマル(核質化した不連続質の意)」と呼ばれます。これはいわゆるモノの自己同一性を作り出している力のことです。物質概念のことですね。
一方、ここでいう「7」とは、観察子の差異を見出す√3エッジとしての4次元性のことです。この「7・7・7」の方では核散ルートの方向性が開かれ、「核」は「6・6・6」の差異を見せてくると同時に、解体を余儀なくされていきます。そして、言うまでもなく、この「核」から「核散」への接続は、現在ヌーソロジーが行なっている「人間型ゲシュタルト」から「トランスフォーマー型ゲシュタルト」への移設作業のことを意味しています。ちなみに、この場合の「8・8・8」とは、「7・7・7」の付帯質として存在させられている時間の働きに相当していると言えるでしょう。
意識が「核質」に止められ「止核」して働いてる状態が『シリウス革命』でも紹介した「調整期」に当たり、核散に入っている状態が「覚醒期」に相当します。覚醒期においては、タカヒマラにおける止核作用が解除されて核散が生起し、中和作用(付帯質の働き)が等化作用(新しい精神の働き)へと変換されていくことになります。
ここで、プラトン座標の正六面体と正八面体に双対の正四面体を書き加え、拡散方向である4次元から垂直に見下ろしてみることにしましょう。すると下図2のような次元観察子のパースベクティブ(透視図)が目の前の空間に出現してきます。ヘクサグラムの多重構造です。この図形はヌーソロジーではシリウス次元を象徴する形の意味を持ちます。つまり、付帯質(人間の状態)を精神(ヒト)へと反転させていく次元です。付帯質が六茫星でそこに直立する軸が精神だと考えておいて下さい。
コ : ヘクサグラムとは何ですか?
オ : 中性質があるということです。意識が通る道のようなもの。(シリウスファイル)
「意識が通る道」というのはヌース(旋回的知性)のルートと同じ意味を持ちます。この道は視線を軸とする回転によって螺旋状に運動しながら観察子の次元を上昇させていくことになります。もちろん、その反映としてのノスも逆方向に交差しながら通過していきます。六茫星(ヘクサグラム)はシリウスの象徴です。次元上昇へのゲートがパックリと開かれている状態と考えて下さい。楽園への扉がやっと開いたということでしょう。この中性質についてはまだ解読が不十分なので、ここでは説明できません。解読が深まったら、いずれ、DNA構造について語るときに詳しく解説していきます。
――つづく
By kohsen • 時間と別れるための50の方法 • 0 • Tags: シリウス革命, スマル, タカヒマラ, トランスフォーマー型ゲシュタルト, プラトン立体, ユークリッド, 中性質, 人間型ゲシュタルト, 付帯質, 神秘学