11月 6 2017
ケイブコンパスの読みが的確でこっちも刺激される
うちの奥さんが『シュタイナー思想とヌーソロジー』の半田パートについての感想を書いてくれています。次元観察子についての心理学方面からの解読にはちょっと驚かされました。よく理解してくれている、というか、書いた本人より分かっていたりして(笑)
別に身内だからと言ってヨイショしているわけではなく、ヌーソロジーが提供する無意識の構造論に対して、こういう形で具体的に考え、肉付けをしていってもらえると、ヌース冥利に尽きます。
ヌーソロジー自体が、現在の物質的世界観に対するオルタナティブを作っていくためのプラットフォームとして構築していっているものなので、こうした研究によって構造イメージにより膨らみが出てくることは、個人的にもとてもハッピーなことなのです。
12月 8 2017
新世界
神は内側から世界を創造する。
しかし、人間は外側からしか世界を思考することができない。
そのため、人間が作り出す制作物はすべてが外側からの想像力によるものとなる。
神が世界を創造する方向と人間が文明を創造する方向は真逆であるということ。
もちろん、これは宇宙にとっては予定調和の一環だろう。
しかし、この転倒が行き過ぎるときがやってくる。
鍋の底はいつかは抜けるものなのだ。
光の中に電磁波が混じること。
食べ物の中に添加物が入ること。
元素の中にTRUが加わること。
体内にナノマシンが侵入していくこと……etc。
もちろん、私たちはよかれと思って様々な技術を開発していくわけだが、
時が来れば、それらは、すべて破壊的創造となる。
それもまた予定されていたこと。
価値転換の時が来ている。
内側から世界の風景をイメージできる想像力を持つこと。
『シュタイナー思想とヌーソロジー』は、
その一つの在り方について書いた本だとも言える。
要は、人間ではなく、神と同じ方向で事物を思考できないか、
それを試みているわけだ。
「ヌース」の意味がもともとは神的知性であるのだから、
ヌーソロジー(ヌースの学)を名乗るからには、これは当然のことと言える。
人間につねに外側から思考を強制しているもの。
それが自我の神だ。
自我の神においては、本来は無限小にいる神が、
あたかも無限大にいるかのように錯覚されている。
天にまします我らが神よ——。
ユダヤ-キリスト教的一神。
天津神。
ビッグバンをイメージする巨大な一つの目。
今までは無限小の神に人間が語りかけることは禁じられていた。
内側から世界を思考することは不可能だった。
しかし、すでにゲートは開き始めている。
それによって、空間は幅から奥行きへ、
時間は一瞬の現在から永遠の現在へとその質を変えつつある。
さぁ、
新しい思考を!!
新しい感情を!!
新しい人間を!!
※下画像はhttps://fineartamerica.com/よりお借りしました。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 1 • Tags: シュタイナー思想とヌーソロジー