3月 19 2006
ヌースとシュタイナー(2)
ぽぽさんの指摘から、再度、人智学的理念観とヌースの理念観を調整した。
ヌース会議室より転載。。
ぽぽさん、いろいろとありがとうございます。
シュタイナーのライフサイクルを眺めていて、ハタと気づきました。
人間の意識は進化に反映されて生じてくるのでした(笑)。
ということは、人間においては偶数系が先手を取ることになります。
すると、一気にすっきりと収まってくるようです。
かなり大雑把ではありますが、ケイブコンパスの構造との相性はバッチリです。
ただ、メンタル体と自我は辻褄合わせのため、別物と見て当てはめています。
●シュタイナーのライフサイクルのヌース風アレンジ(下図参照)
1、物質体の成長 胎児期
物質体+(エーテル体)+(アストラル体)+(メンタル体)+(自我)
転換位置(ψ8)の形成に当たります。肉体を健全に成長させていくこと。
2、エーテル体の成長 第1七年期(1歳〜7歳)
物質体+エーテル体+(アストラル体)+(メンタル体)+(自我)
変換位置(ψ7)の形成に当たります。知覚・感覚能力を成長させていくこと。
3、アストラル体の成長 第2七年期(8歳〜14歳)
物質体+エーテル体+アストラル体+(メンタル体)+(自我)
感性(ψ10)の形成に当たります。感情・情緒等の育成。
4、メンタル体の成長 第3七年期(15歳〜21歳)
物質体+エーテル体+アストラル体+メンタル体+(自我)
思形(ψ9)の形成に当たります。論理・思考能力等の育成。
5、自我の成長 第4七年期(21歳〜28歳)
物質体+エーテル体+アストラル体+メンタル体+自我
感性と思形の統合能力の形成。性的能力の育成。
4月 26 2006
身体=空間
最近、生業の方が忙しい。喜ばしいことなのだが、一方でヌースの思考空間に身を置く時間が削られるのが何とも残念だ。コウセン2号が欲しい。。
ヴェーダ哲学では十字架は「土地=コルプス」を意味し、それは人間の身体のこととして考えられていた。身体なしでは世界は開示し得ない。身体は次々に未開の現象を切り開く。身体無しにこの「空け」が存在しないことを考えれば、身体とはまさに未開の大地と言っていいものである。身体のあるところ、そこに大地が開かれる。ならば、水の惑星地球のイメージは、僕ら人間の潜在的身体そのものと重なり合う。身体に意味の場が託されているとするならば、人間の思惟の中に湧き上がってくるすべての意味の生成は、この地球に捧げられた供物なのである。
こうした眼差しで地球を見れば、大気圏はさしずめ皮膚の眷属に見えはしないだろうか。大気圏は薄い光のヴェールに覆われているが、以前にも紹介したが、ユダヤ教のミドラーシュの教えによれば、光を表す「Or」が、皮膚を表す「Or」に変化していった とき、ジェンダーの原初的分裂が起り、女性という存在が生まれてきたと説いている。光が皮膚へと変容するとき、僕らは拾い集められた光の集積場所としての身体、つまり土地=コルプスを再獲得することになる。これは霊体としての地球と月との間に敷設された交通空間でもあるだろう。
こうした惑星レベルの神経ネットワークへとジャック・インするためには、空間の重畳を見抜く視力を持つ必要性がある。近代が陥ったモノとしての3次元性と、近代以前の共同体的身体の3次元性(共通感覚的な空間と言っていい)は全く別の空間階層である。これら両方の空間の間にある差異を明確に意識に浮上させることできれば、僕らは科学主義的な見方のみで身体を分析するような愚行は犯さなくなるだろうし、また、逆に、物質を精神より劣ったものとする宗教主義的な見方の愚かさにも気づくことだろう。
具体的な解説は新著の内容に回すが、身体にとっての3次元性をヌース的に説明するとすれば、おおよそ次のようなものになる。
・前後空間………ψ7〜8………元止揚空間(エーテル体/物質体)
・左右空間………ψ9〜10………調整質空間(メンタル体(思形)/アストラル体(感性))
・上下空間………ψ11〜12………中性質空間(自我形成)
・ψ13〜14………対化の交替化の空間へ
これら観察子の序数が持つヒエラルキーの理由づけは極めて単純だ。
まず、ψ7〜ψ8について。意識がただ前後方向に向いているだけでは、前後という方向認識自体が意識に生じることはない。というのも、世界は「前」において開示はするものの、前方向に「世界がある」という「認識」は存在していないからだ。そこにあるのはただ光(見えるということ)に彩られた未解釈の原像であり、この原像は、原-知覚というべき、認識が起る以前の知覚の蠢めく領野でしかない。
「後ろ」は「前」の反映であり、それは光に対して闇を形成している。そこは知覚不能な世界であるから、知覚が存在であるとするなら、無と言ってよい世界である。しかし、この闇を前で見る手段が一つだけある。それが鏡の使用だ。鏡に映し出された「後ろ」。それは「無」へと逆転写された存在の虚像である。言うまでもなく、わたしが見るわたしの顔はこの後ろを率いる王の顔である。こうした暗闇の王を古代の人々はナルシスと呼んだ。——つづく。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 6 • Tags: アストラル, エーテル, ユダヤ, 中性質, 元止揚空間