5月 12 2023
“非常識”と”当たり前”の狭間で
ヌーソロジーが用いる概念装置の中でもNC(ヌースコントラクション)の汎用性は特に高いように感じている。形はとてもシンプルなんだけど、この中に素粒子と人間の意識を一致させるための考え方が凝縮されている。まさに高次元へのポータル(入口)が奥行きだとすれば、このNCはその高次元を航行するためのポッド(乗り物)だ(上図参照)。
OCOT情報では進化が開始されると「物が垂質に見えてくる」と言っていたが、その意味もよく分かるようになった。空間の質を奥行きに変えると、自己の見回しによる周囲の空間は3次元射影空間に変質し、その反転空間が3次元空間内の様々な位置(点球)へと射影されてくるのだ(下図参照)。
この射影は例のキットカット実験で、自分の視線が回転して見えるキットカット缶の表面を舐めていく様子に表れている。この射影は奥行きが持続空間として物の内部に収縮して入り込んでいる様子でもある。
3次元射影空間は数学的に素粒子の状態を記述する複素ヒルベルト空間と繋がっている。つまり、これは私たちの主観空間自体が時空上では物質粒子として見えている可能性があるということだ。というか、ヌーソロジーは最初っからその過程でロジックを組み立てているのだが。。
そのような素粒子観をベースにして存在世界を主客一体の観点から再構成して見れるようになっていくことが、OCOT情報がいうところの「人間の意識進化」というものである。彼によれば、進化するのは”人間”ではなく、”人間の意識”である。ここ、とても大事なところ。
生物学のように生物としての人間が進化して別の生命形態に進化するわけでじゃない。人間は人間でそのままである。進化するのは意識の方だ。進化した意識は今の説明でもわかるように物質世界を再構成していくgenesisの力へと変わっていく。
人間型ゲシュタルトからすれば非常識な話だが、トランスフォーマー型ゲシュタルトからすれば当たり前の話。この”非常識”と”当たり前”のバランス感覚をしっかりと取りながら、これからもトランスフォルムの作業を続けたいと思ってる。
5月 15 2023
空間を自己と他者の精神が充満する場に!
ヌーソロジーでいう「垂質の反映」側に複素ヒルベルト空間を配置してみた。反転していない側なので、こちらの方がヌースの量子解釈が分かりやすいかも。観測者の観測の指向性がそのまま固有ベクトルとなって固有状態を生み出す。固有状態は垂子に対応し、そこに時間発展|Φ(t)>が作用し、固有関数Φ2(x,t)として記述される(下図参照)
持続空間という概念を持ち込まないと、複素数で示される量子構造の本質は分からないということがこの図からも推察される。量子は小さいものではなく、主観空間から見れば自分を取り巻くマクロ的空間そのものだということ。ただし、主観空間は射影空間になっており、客観時空ではミクロに縮んでいる。
「私たちが見ている世界は量子の内部だ」というヌーソロジーの主張が、これで少しは分かってもらえるのではないか。この方向に私たちの空間認識はシフトしていくことが望ましい。それによって、主客一致の宇宙観の足場を作ることができる。
ラカンの精神分析が云うように、今の私たちは大文字の他者の視線による支配のなかで空間を構成し、自分の拠点を時空に置いてしまっている。主体の空間を取り戻し、そこから再度、空間を持続空間として構成し、自他の精神が充満する場として空間を再構成しないといけない。物質はそこから始まっている。
根気のいる作業になるのは必至だが、人間型ゲシュタルトを解体していこう。今の意識の方向性では精神的存在としての人間は壊滅していく一方だ。人間を存在そのものへと変形(トランスフォーム)させていく方法はこうした空間認識の変容にしかないように思っている。
内なる光の声に耳を傾け、 自己の本性を取り戻すために………。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ラカン, 人間型ゲシュタルト, 複素ヒルベルト空間