12月 12 2008
時間と別れるための50の方法(58)
●ケイブコンパスと元止揚空間
さて、ヌーソロジーが用いる次元観察子という耳慣れない概念について、その第一番目から第八番目に当たるものまでを解説してきましたが、とりあえずここでまとめの意味でも、今まで説明してきた次元観察子ψ1~ψ8の概念をケイブコンパス上で整理して配置しておきたいと思います。
「ケイブコンパス」というのは『シリウス革命』で紹介した「プレアデスプレート」という人間の意識次元の構造を表したモデルの改訂版のようなものです。「プレアデスプレート」は人間の意識発達を観察子の序数に沿って順序づけた円環モデルだったのですが、このモデルでは観察子相互の有機的な連結がうまく表せませんでした。どうしたものかと煮え切らない気分でいたときに、2001年になってドゥルーズ・ガタリの『アンチオイディプス』『千のプラトー』という二冊の書物と出会い、「プレアデスプレート」は一気に「ケイブコンパス」へと生まれ変わりました。あのときのコンバージェンスは強烈でした。四方八方に飛散していたヌーソロジーの世界イメージがドゥルーズ・ガタリの思想線に吸い付けられるようにことごとく一致していったからです。この「ケイブコンパス」のモデルが出来上がって、ヌーソロジーは単にオカルティックな知識だけではなく、現代思想の潮流とも接続が容易になったと言えます。
「ケイブコンパス」とは、言ってみれば無意識構造の海(人間の外面の意識の総体領域)を航海していくための羅針盤のようなものです。ヌーソロジーはこのケイブコンパスによって、フロイトから発した無意識研究の成果として著されてきた様々な諸理論、例えば、ピアジェやエリクソンが示した発達心理学や、ラカンの示した精神分析、さらにはユング派のノイマンが示した人類の歴史的な集合無意識の発達構造の仕組み等を、単に観念的なモデルではなく、今まで皆さんに解説してきた次元観察子ψ7〜ψ8を土台とした次元観察子ψ9〜ψ10、ψ11〜ψ12の空間構造の流れの中にマッピングしていくことになります。
ケイブコンパスが誘導していく無意識構造の世界は、最終的に元素番号1番と2番の水素-ヘリウム構造とシンクロしてきます。にわかには信じ難いかもしれませんが、これは人間の意識-無意識構造が実のところ、水素-ヘリウム構造の中で律動させられていたということを意味しています。今になって思えば、交信初期にOCOTがなぜ太陽の核融合の話にあれだけこだわっていたのかが分る気もします。
「では、あなたは太陽の本質について何か完全な解答をお持ちだというのですか。」
「完全とは申しませんが、プレアデス的統制より本質を捕らえているのではないかと思います。」
「なるほど、では、その本質について聞かせてほしいものです。」
わたしは科学を馬鹿にされたような気がして、やや挑戦的な口調になった。
「太陽とは、オリオンからプレアデスへと向かう意識の流動を、逆方向へと向かわせる力の総体が、人間の意識に現れている部分です。人間が進化の方向へ意識の反転を行うための鏡のような役目を持っています。オリオンが持った無限力の下次元的射影という表現もできますね。」
意識の反転のためのカガミ………………? あまりに抽象的で難解な表現だった。
『2013 : 人類が神を見る日/アドバンストエディション 』p.41
このケイブコンパスが露にしていく世界は、密教的に言えば、以前もご紹介したように胎蔵界曼荼羅に描かれた世界のことであり、カバラで言うならば、アッシャー界におけるマルクト(地球)-イエソド(月)–ネツァク(金星)-ホド(水星)-ティファレト(太陽)までの働きを含んだものと言えるのではないかと思います。
ケイブコンパスの全体性は、人間の無意識を構成するψ1~ψ14、ψ*1~ψ*14という合計28個の次元観察子の配置関係から構成されています。人間の外面側であるミクロ空間側ではこれらは素粒子構造の全体性を表しており、一方の人間の内面側であるマクロ空間側では「28」という数からも想像されるように、地球-月間を支配する28日の月の自転、公転周期に反映されてくることになります。まだ漠としたイメージでしかありませんが、ヌーソロジーでは素粒子空間と地球-月空間は7次元球面の表裏、同様に原子空間と太陽系空間もより高次の空間における同じ構造体の表裏関係として把握されてくるのではないかと予想しています。人間の内面の意識ではミクロとマクロが等化できていないので、「小さなものが大きなものを作る」という機械主義、還元主義的な世界観に入り込んでいますが、4次元に始まる高次元知覚能力が生まれてくれば、ミクロ世界とマクロ世界は同一のものの正反方向における射影のように見えてくるのではないかということです。
このシリーズで詳しくご紹介してきた次元観察子ψ1~ψ8は、こうした新しい宇宙ビジョンを描像化していく上で最も基礎となるプラットフォームとなっており、この基礎の部分をヌーソロジーでは「元止揚空間(げんしようくうかん)」と呼んでいます。「元止揚」という言葉の由来は、この空間領域が、前次元の人間の意識進化が作り上げたヒトの精神の力によって止揚されてきたものだと考えているところにあります。つまり、どうも旧次元の人間の意識進化の集大成がこの次元の人間の意識を支えるための土台として押し上げられてきているようなのです。
ヒトの精神と付帯質とは、観察子で言えば大系観察子Ω7とΩ8に当たるもので、これは人間の意識の覚醒において生起する次元観察子ψ1〜ψ14の顕在化が作り出していきます。その意味で次元観察子の顕在化を進めて行くトランスフォーマーとは、ヒトの精神の構築に着手する者という言い方ができるかもしれません。ケイブコンパス全体の構造を意識が知覚できたときに、トランスフォーマーはヒトの意識へと進化を果たすことになるのでしょう。ヌーソロジーが目指すとりあえずのゴールです。
人間の意識におけるψ7〜ψ8=Ω1〜Ω2………終了済み
人間の意識におけるψ9~ψ10=Ω3〜Ω4………終了済み
人間の意識におけるψ11~ψ12=Ω5〜Ω6………2012年に終了予定
人間の意識におけるψ13~ψ14(顕在化)=Ω7〜Ω8………2013年より突入予定
こうして作り出されたヒトの精神と付帯質である大系観察子のΩ7〜Ω8が、今度は、次の次元の人間の元止揚であるψ*7〜ψ*8を作り出し、次の次元の人間の意識はこのψ*7〜ψ*8を土台にして再び、ψ*9~ψ*10、ψ*11~ψ*12というように、胎蔵界曼荼羅の世界を経験していくことになるということです。『シリウス革命』で書いた宇宙的輪廻の具体的な仕組みがここにはあります。
この元止揚のシステムは、このシリーズの第56回目に紹介した「凝縮化」という作用によってもたらされてきます。凝縮化は次元観察子ψ、大系観察子Ω、脈性観察子φというタカヒマラを構成するすべての観察子の律動に一貫して貫かれている法則性です。この凝縮化は凝縮化に凝縮化を多重に重ね合わせていくことによって、最終的にはタカヒマラのすべてがψ1~ψ2領域に入り込んでくるような仕組みになっています。つまり、タカヒマラに凝縮化の仕組みが存在しているからこそ、タカヒマラで律動するすべての高次元精神の活動はモノ(ψ1~ψ2領域)の中にその影を作り出すことができているわけです。そして、その最たるものが、言うまでもなく、人間の肉体です。
ヒトへの道のりはまだまだ長いです。ゆっくり行きましょう。ちなみにヌーソロジーのシンポルナンバーである「2013」とは、位置の変換(顕在化)が始まる年です。手前味噌になりますが、現在ヌーソロジーが行なっていることが、多くの人に認知され始めるということかな?いや、そうした動きはヌーソロジーのみならず、世界の様々なところで起こってきていますから、霊性奪回の動きが社会的な潮流となり始めることを言うのでしょう。ヌーソロジー的に言えば、2012年で人間の意識は次元観察子ψ11~ψ12の段階が生み出してきた近代合理主義、科学主義、個人主義、さらには資本主義に終止符を打って、ψ13〜ψ14という位置の変換のステージへと突入していくことになります。OCOT情報をまともに受け取るならば、このステージは実は驚くほど短いんですね。たった24年で終了するようです。というのも、位置の変換の時期においては、どうも1年と次元観察子の1単位が同期するような仕組みがあるようで。。。ということは、2013+24=2037ですから、西暦2037年には位置の変換が完全化し、新しい人間の精神が元止揚として誕生してくるということになるのでしょうか。もし、アセンションというものが劇的な自然現象の変化として現れるというのならば、この2037年の方が本命かもしれません。「入神」です。人間の意識がヒトの精神に入ること。そのとき存在世界全体が反転を起こすことになります。ほんまかいな(笑)――つづく
1月 19 2009
交信記録19940205
交信記録19940205
人間において食べるという行為は意識において何を意味しているのですか。
形作る次元を内面に生み出すということ。表相から内面に働きかけるということです。定質の対化によって元止揚を生み出していくためには必要な行為です。
元止揚とは何ですか。
反映としての覚醒作用を意味します。中和の交差の上次元に働かされるもの。変換作用が作り出されるときに働きに変えられるもの。人間の意識の方向性を反映から次元に変えるもの。
生態系における食物連鎖とは何ですか。
位置の交差の次元と反映が生まれるまでは必要な次元です。
変換人の次元に入るとものを食べなくてもよくなるのですか。
位置を形作る必要がないので食べるという行為はなくなります。人間の意識が上次元を関与するようになればそのような状態になるでしょう。
■解説
この交信内容に登場する内面、定質の対化、元止揚というのは、おそらく人間の意識次元におけるそれではなくヒトの次元におけるものだと考えられる。ヒトの意識構造は人間の意識構造と相似関係こそ持つものの、あくまでも比喩的な言い方だが約七倍の大きさを持っている。
人間の意識構造 ψ1〜ψ14
ヒトの意識構造 Ω1〜Ω14(まだ定かではない)
(ψ7=Ω1)
つまり、次元観察子ψ11が人間の意識の定質だとすれば、これはヒトの意識構造においては大系観察子のΩ5に相当し、ヒトの意識の定質はΩ11に当たる。その意味で人間がものを食べるという行為はヒトの意識の定質の対化であるΩ11〜Ω*11当たりに関係を持っているということになる。
食べることが肉体を保持するための必要不可欠な行為であることには違いないが、同時に、食べることは精神を保持するための行為でもある。一体、食べることの精神における本質とは何なのだろうか。わたしたちはなぜ生き物を食べるという、一見、残酷に見えるこの行為を必要としなければ生きられないのか——。
『シリウス革命』にも書いたが、OCOT情報によれば、自然界の生物とは人間自身が持った情念と思考の物質投影物ということになっている。植物が思考で動物が感情に対応しているというのだが、もしそれがほんとうならば、「わたし」が何かを思考したとき「わたし」は地球上のある種の植物へと変身しているということになる。「わたし」の中に怒りであれ、妬みであれ、喜びであれ、何かが感情としてうごめくとき、そのエネルギーは無時間の空間の中のどこかで純粋なアニマの形を取って、ある種の動物へと変態しているのだ。それは野をかける子ウサギのときもあれば、地を這い回るトカゲのときもあるだろう。
こうした考え方は何もOCOTの専売特許ではない。たとえば、ドゴン族の伝承では、ひとりの人間が死ぬとき、自然界のすべての動植物の一対もまた死ぬと言い伝えられていた。これもまた、人間の意識自身の中に全生物種のゾーエーが凝縮されているとする思想を反映している。
人間の内在野の中にある霊的自然。そこで連なっている霊的な連鎖体と、物質的生命としての生態系を重ねてイメージしたとき、無数の補食行為とはリゾーム状に張り巡らされた霊的なネットワークにおける交通空間の在り方のように見えないこともない。たとえば、悲しみの感情が慰めの感情により沈められたり、怒りの感情が冷静な思考によっていさめられたり、愛の感情が嫉妬の感情によって憎悪の感情に変わったりと、意識はつねに流動を繰り返しながら生成変化を行っている。この状態を動植物の間の食の流れと想像してみるのだ。一見、惨いことのように見える補食の行為もこうしたイマジネーションのもとでは生命システム自体が持った内部コミュニケーションのように見えてきはしないだろうか。
で、問題は人間だ。幸運にも今の人間は食物連鎖の頂きに立つ唯一の種として生きている。もし、人間という種が神の精神の投影物ならば、人間が経験する思考や感情はおそらく神が味わっている霊の果肉だということになるだろう。僕ら人間の肉が生態系から収穫された様々な食物を味わうように、その霊である神もまた人間の意識の中でさまざまな意識的果肉を人間の経験として味わっているということだ。その意味で言えば、この人間の身体にはありとあらゆる思考、そしておよそ想像される限りのすべての感情のもととなる情動のロゴスが充満していると言っていい。酸いも、甘いも、辛いも、苦いも、美味も、珍味も、そして毒も。。神の精神はその全肯定としての自身の履歴を生態系の多様性として反映させ、その完成を人間の身体として表現し、再び、今、始源の大地に立っている。。。
By kohsen • 04_シリウスファイル解説 • 2 • Tags: シリウス革命, ロゴス, 大系観察子, 表相