5月 25 2012
空間と放射能
今日、ツイッターで呟いた内容をリライトしてみた。
空間をモノの容器のように見立てるのが僕らの常識となっているけど、そういうリアルはもう終わるんじゃないかって思っている。こうした常識はたぶん空間を幅でみようとする無意識的な欲望に駆り立てられているだけだ。何度も言ってることだけど、空間の根源的性格は幅ではなく奥行きにある。
奥行きとは言い換えれば、眼差しのことだ。空間が存在として開示するのは、空間が眼差しの充溢として変容を遂げたとき以外あり得ない。その意味で僕らはまだ存在としての空間に接していない。妙によそよそしい空間。命が何一つ吹き込まれていない空間。そして、眼差しが存在しない空間。そんな空間は「虚無」でしかない。
奥行きが眼差しでもあるというのは誰にもすぐに分かる表現だと思うのだけど、奥行きのみならず、幅や高さもまた、その方向を奥行きとして見ている眼差しが自分の中にあることに気づこう。横からの眼差しは奥行きを幅に変える。つまり、奥行きを存在から切り離す。これは、ドゥルーズ風に言うならば巻き込みを繰り広げへと展開させる「異化させるもの」の力だ。
高さ方向から入射してくる眼差しはどうだろう。「それでも地球は回っている」。これは歴史を中世から近代へと発展させる原動力ともなった眼差しである。この眼差しは、奥行きと幅を十字の関係として見ている。宇宙空間から見れば大地には直交する眼差しで作られた無数の十字架が散在させられていることだろう。この第三の眼差しにとっては地上での奥行きと幅は対称性を持って回転している。つまり、そこでは奥行きは幅と同一視させられ、かつ、その幅は単なる幅ではなく、眼差しが入り込んだ幅である。つまり、主体はここで超自我を自らの中に内在させ、自らの視線で自らを監視するようになるのだ。
直観すべきことは、こうした諸々の眼差しの種族たちは時空に存在するものではないということである。左右からの眼差しによって奥行きが幅に変えられるのならば、むしろ、こうした眼差したちは時空よりもメタな空間で活動している僕ら自身の身体性から派生してきていると考えなければならない。そして、言うまでもなく、こうした身体性の一部として時空が作り出されているにすぎないのだ。
眼差しは知覚的事実として、一切距離というものを持たない。それは数学的には射影のようにして無限小空間の中に縮約されている。ちょっと想像してみよう。前後も、左右も、そして上下もそれぞれ無限小にまで潰された空間の姿を。それは時空と呼んでいる僕らが慣れ親しんだ場所では極小の点状の構成物となって出現するしかないのがすぐに分かるはずだ。眼差しによって構成された身体の中では宇宙はこうした一点の中に沈み込んでいる。
そして、こうした沈み込みの身体こそが科学者たちが「素粒子」と呼んでいるものだと想定してみよう。そうすれば、「見るものとは見られるものである」というあの神秘家たちの達観が、はっきりとした知性のもとに浮上してくるのが分かるはずだ。なぜなら、僕らにとって見られるものとは物質のことであり、その物質は素粒子からできているからである。
しかし、残念なことに、僕らの眼差しは視線と呼び名を変え、まるで夢遊病者のように時空の中をさまよっている。実のところ、そこには何もない。なぜなら、そこには眼差しがないのだから。眼差しの身体の忘却。これは存在の忘却、いや、そうした眼差しを正当な眼差しだと主張することは存在の殺傷に等しい。
当然のことながら、この傷は存在にとっては堪え難い痛みとなっていることだろう。そこで存在はこの傷によって裂開した自らの組織の修復を諮ろうとする。つまり、存在自らが消失していく眼差しを補おうとするのだ。それは、時空においては素粒子の崩壊、並びに、それらの壊変として現れる。これが放射能である。放射能の本質は存在からの人間の逸脱なのである。
原子力という技術はその意味で人間精神の破壊を加速させるために出現している存在の外部にある何か全く別の力だ——もし、世界最終戦争というものがあるのならば、その戦いは核戦争などといった矮小な規模のものではなく、存在世界全体とその外部にあるこの不気味な力との戦いのことなのだろう。
そして、それはもう始まっているのかもしれない。
(上の画像はhttp://rit_hp.web.fc2.com/gallery/star/07.htmlからお借りしました。)
2月 1 2013
「奥行き」攻めで行こう!!
2013年は「奥行き」攻めで行こうと思ってる。霊的な空間の存在を知性的に目覚めさせるには、これが一番という結論にたどり着いたもので。。長年いろいろと考えてきたのだけど、奥行きは物理学が虚軸で表現しているものだという確信がほぼ固まった。人間の知覚にとって奥行き方向に長さが見えないのは、奥行きが外部側(延長)を内部側(持続)に畳み込んでいるからだ。つまり、奥行きはドゥルーズのいう差異の「巻き込み/implication」の軸になっている。
問題は奥行きの中に自らの純粋持続を感じとる感覚能力が現代人はかなりマヒしてしまっているということ。この感覚を取り戻すための分かりやすく、かつ強度のある表現を考えないといけない。この難所さえクリアできれば、多くの人たちに魂(無意識)を構成する7つの球空間の階層が意識に自然に知覚でき始めるのではないかと強く感じている。ここで生じてくる知覚はもちろん「超感覚的知覚」と呼ばれるものなのだけど、この知覚は神秘家たちが見てきたビジョンのように決して主観的なものではなく、他者とも十分に相互了解が可能となるようなイデア的知覚として出現してくるはずだ。
このとき見えてくる7つの空間階層が物理学者たちが素粒子のシステムと呼んでいたものに相当してくる。ここで「呼んでいたもの」というように、過去形で示しているのは、この七つの球空間が人間の無意識で活動しているときの次元と、それが人間の意識によって見出されたときの次元とは、正確に言って次元が異なるものとして把握しなくてはならないからだ。この七つの球空間は哲学者たちが長年「場所=コーラ」と呼んできたものにも当たると考えられるのだが、コーラは「永遠の処女」と呼ばれるように、本来、意識ではアンタッチャブルなものになっている機構だろうと思う。だから、コーラが意識によって開示されるときはそれはもはやコーラではなくなる。だから、発見される前はコーラと呼べるが、発見されればそれはイデアへと変容しており、コーラとは別ものと考えなくてはならないということだ。この違いが物質的には素粒子と元素体(原子番号1〜14)の違いとなって現れている。
さて、この「発見されたコーラ」だが、その空間階層はとても単純な構成を持っており、図で示すと下図のような形をしている。図では4つまでの階層しか描いていないが、この階層が7階層あると考えてもらえばいい。この図が表現されている空間のベースは複素2次元空間というもので、ベースとなる球体は3次元球面というカタチだ。これは奥行きを虚軸に見立て、知覚正面を実2次元と見なしたときの空間と思ってもらえばいい。ここに示したそれぞれの球空間は時間的に表現すれば、各々が3軸で回転していて、それぞれの空間階層にリンクを張っている。一見して分かるように構造がフラクタルになっているので、各階層はそれぞれがバイナリーに繋がっていて、リゾーム化している。
触りだけ簡単に説明しておくと、第一階層の球体は僕らが普通に認識している一つのモノを象る次元を表していると考えてもらえばいい。いわゆるモノの内部のかさばりの空間だ。人間は現在、この第一階層の球体でしか宇宙を見ていないと言える。この空間は触覚空間であり、人間の世界認識に長さや大きさという尺度を与えている元となっている力を提供しているところと考えてほしい。これは長さや大きさという概念の起源が、本来はモノの端と端をむすんだ空間にあるということを意味している。これはユークリッド空間概念の起源でもあり(等長変換を要請するという意味で)、物理学でいうところのスカラー空間だ。
人間がモノを観察するとき、モノは人間の観察位置に関係なくその場でグルグルと回転することができるのが分かる。このとき、モノの背景空間は回転してはいない。すでに、ここでモノの内部とモノの外部の空間は次元が違うことに気づかなくてはならない。背景空間を回転させるためには、観測者自身がモノの周囲を回らなくてはならないが、これはモノの外部に至ってはじめて、観測者が出現する余地が与えられてくるということを意味している。それが第二の球空間の次元形成を意味している。こういう回転による次元上昇の流れで、実はこの空間は7つの次元階層を作っていっている。それを多くの人々に超感覚的知覚として発見させていくのが、ヌーソロジーの担った役割なのだろう。
宇宙を大きさで把握して記述すること。これは現代の物質主義が持った尺度の体制そのものだ。もし、空間がこうした階層次元を持って活動しているとするなら、現在、人間が持ったこの尺度の体制による認識はこの第一の球空間のみでしか宇宙を見ていないということになる。言い換えれば、意識がこの第一の球体の中にガッツリと幽閉されているわけだ。「宇宙の大きさは半径137億光年である」とか、「ビッグバンによって宇宙が生まれた」などと言った科学的な言説は、物質的思考がこの第一の球空間でしか宇宙を見ていないということの最も顕著な現れだ。そうした認識はOCOT情報に言わせれば「次元が全く見えていない」意識による架空のフィクションにすぎない。
OCOT情報は「人間の世界はミクロすぎてよく見えない」と言うのだが、それは彼らにとって人間の大方の世界認識がこのように最も次元的ミクロな球体を使ってしか為されていないからだろう。ヌーソロジーのいう次元の「顕在化」とはこの無意識構造と言ってもよい七つの球空間の階層性を人間の意識が発見していくことに相当している。その発見が、今年から始まるとOCOT情報は明言している。つまりは、魂の反撃が開始されるというわけだ。こりゃほんま存在を賭けた宇宙戦争やで。。お楽しみに。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 9 • Tags: コーラ, ドゥルーズ, ユークリッド, 奥行き, 素粒子