7月 15 2014
モノとタマの重なり
『妖怪から学ぶ世界の不思議』 ——甲田博士がモノとタマを巡って妖怪論のレクチャーをするようだ。案内文を読んでるとヌーソロジーの視点ととても関係がありそう。
http://kokucheese.com/event/index/131699/
※6/1イベント終了
【甲田博士のレクチャー紹介文】私たちの祖先は、モノ(物)を単なる”物質”だとは考えていませんでした。モノは物質であると同時にタマ(霊)であり、時に不思議な作用をおよぼすものと考えていたのです。そしてこのタマとモノはちょうど裏側から重なるようにして存在していると考えてきたのです…。
タマとモノがちょうど裏側から重なるように存在していた——このへんはOCOTが伝えてきたことと全く同じことを言っている。OCOTは人間の意識が覚醒を起こすと「モノは垂質に見えてきます」と言っていた。OCOTに拠れば、「垂質」というのは観測者の周りに広がっている空間のことを指すらしいのだが、しかし、一体なぜそんなものがモノと同じものに見え出すと言うのか。
こうした認識にたどり着くために空間に対してどのような見方をとればいいのか、それこそ長い年月をかけていろいろな思考を試みてきた。古代の日本人たちが自然に感覚化していたタマとモノの重畳。現代人がこの感覚を奪回するためにはおそらく純粋思考以外にその方途はないだろう。
身体から広がる空間には実は二つの種類がある。一つは後ろ方向を半径として回転させて生まれている空間、もう一つは前方向を半径として回転させて生まれている空間である。この二つの空間は互いに反転しているのだが、現在の人間の空間認識には後ろを半径としたそれしか認識に上がっていない。
OCOT情報がこここでいっている「垂質」とは「前方向を半径として回転させて生まれている空間」のことであり、後ろ方向のそれは「垂質の反映」と呼ばれる。人間は他者に見られることによって自分の周囲の空間を概念化しているので、自身に実際に見えている空間側(前のそれ)は認識からこぽれ落ちてしまうのだ。
この認識からこぼれ落ちてしまった「前」の空間こそが実はOCOT情報がいう「垂質」であり、僕らの中でうごめいている霊の実体である。僕が「奥行き」こそが人間の実存の場であるといつも言ってるのも、この前=奥行きにこそ僕ら一人一人の純粋持続(記憶が把持されているところ)が息づいていると直観しているからだ。
言うまでもなく、後ろを半径とした球空間と前を半径とした球空間は互いに反転している。人間の肉体はその意味ではこの相互に反転する空間の間で蝶番のような役割を果たしている。僕らが外在と呼んでいる世界は言うまでもなく「後ろを半径に持つ球空間」の方である。肉体の移動や運動はこの「後ろに半径を持つ球空間」の中で概念化されている。
一方、「前を半径とする球空間」において身体は全く動いていない。というのも、何を見ようが、どこに赴こうが身体にとって前は常に前でしかないからだ。
観点において自らが自転するとき、確かに前は球状の空間を作り出しているイメージがある。しかし、このイメージだけではOCOT情報のいう「垂質」を作り出すことはできない。それではまだ「垂質の反映」のイメージがまとわりついているのだ。垂質と垂質の反映の関係は互いに反転しているのであるから、この自転する観点を球面化させ反転させたときに垂質の本来のカタチというものが顕在化してくることになる。垂質が「霊」であるのならば、その球面で覆われた球空間こそが、すなわち僕らの「霊」と呼んでいいものになるだろう。
この段階までイメージできてくれば、最初に書いた「タマとモノの重なり」が見えるまでもう一歩というところまで来ている。モノは空間的にも時間的にも局所的な存在だが、タマは非局所的存在だ。人間がモノを認識できるのは、こうした無時間・非局所としてのタマの重なりがあってこそなのだ。
モノが垂質に見えてくる時代がもうすぐやってくる。それは同時に魂が肉体から離れ「霊化していく」ことを意味している。
9月 16 2014
内から生まれでるカタチ
OCOT情報は「表相」という概念を極めて重要視します。表相とは「一つの対象の見え」を支えている空間概念のことです。この表相が人間の意識における最小の次元であり、かつ最大の次元だといいます。別名、点意志とも呼んでいます。
最小の表相から最大の表相までを辿って行く思考の旅。それを決行していくのがヌーソロジー(旋回する知性の学)と呼んでいいでしょう。その行程の中に無意識の全貌が隠されています。
表相は物理学ではおそらく i ℏ (ディラック定数)として表されているものに当たるのではないかと思っています。これは位置xと運動量pの交換関係で示される差異ですが、この差異は存在における本源的な差異とも呼べるものであり、世界が「見え」として開いている表現であるようにも感じています。
i=虚軸は奥行きに当たります。これが精神の住まいを意味しており、その中には純粋持続が息づいていると考えられます。ℏは開示された視野面に当たり、この面が想像力のベースになっているように感じています。物理的には、奥行きが電場、視野面が磁場のもとになっているものと言っていいのかもしれません。持続力と想像力が電場と磁場の本質だという意味です。
ℏと虚軸はちょうど円に突き刺さった軸のイメージになりますが、ここで軸をグルグルと回転させるところに生まれてくるのが光子で、この光子は人間の意識に点の観念を提供してくることになります。
光子が物質の大本の起源だと考えると、自然界のすべての物質は精神が物質の内部側から形作っていったものと考えなくてはいけません。人間の認識は常に物質の外部側からしかアクセスできませんから、人間が作り出す物質(変形や化学処理を含む)には精神の力が作用していないということになります。
こうした状況をOCOT情報は「人間が作り出すものにはすべて付帯質が反映されている」という言い方をします。これは言い換えれば、生命の生成力が備わっていないという意味です。
物質科学は自然を単に原子の束としてしか見ません。それも当然のことながら、それらはすべて外部から対象として見られた原子です。そのような認識のもとで展開された思考によって生み出されてくる化合物は、自然界を充たしている化合物とは異質なものなのです。
空間に生まれでてきているカタチとは精神の表出です。カタチを見る方向に入っている意識をカタチを作り上げている方向に侵入させていかなくてはなりません。カタチを作り上げていくこの力のことをOCOT情報は「形質」と呼んでいます。そして、この形質の第一生態がこそが虚軸、すなわち奥行きと考えるといいでしょう。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, 付帯質, 奥行き, 形質, 表相