3月 24 2005
不惑
今日は、昼間、会社へ出張中の報告をしたあと、早々と退社。現在、自宅に戻ってヌースレクチャーの次回シリーズのためのテキスト製作に時間を割いている。
ヌースレクチャーの歴史は長い。わたしの記憶が正しければ、それは1993年から始まったはずだ。途中、「シリウス革命」の執筆のために1年間休み、2004年もまるまる1年休んだので、総計すると、延べ9年もの間続けていることになる。
9年もやっているのに、どうしてヌース理論が広まらないか。それは簡単である。わたしが言うのも変だが、理論の内容が常に変化していくからだ。その変化に、聞き手がついていけない。——何だ、半田、この前と言ってることが違うじゃないか。この理論はデタラメだ。やめた、やめた、ほな、さいなら。という状況が頻繁に起こるのだ。しかし、これはわたしが優柔不断だからというわけではない。ヌース理論の成立に「シリウスファイル」という例のチャネリング文書が関わっているからである。
ヌース理論は周知の通り、チャネリング文書との格闘の末、この世に出て来たものだ。過去に上梓した著書にも書いているが、この解読作業は血ヘドを吐くくらいに辛いものだった。あくまでも想像にすぎないが、それは古代文字の解読以上の難業だったと言っていいかもしれない。なんせ欠落部分が多すぎるのである。その欠落を補おうとしてOCOTに情報を求めても返答は返ってはこない。結果、あとは自分のオリジナルな思考力、想像力で埋めるしかなくなる。しかし、しばらく経って、理論全体の解像度が増してくると、自分で補っていたつもりの部分が決定的なミスを起こしていることに気づく。ここで自分の考え方に固執していると、もう理論構成自体がにっちもさっちも前に進まなくなってしまう。だから、仕方なしに自説は白紙撤回。一から思考を練り直す。。。「すみません。前回の説明は間違っていました。」こういうことが何度も繰り返される。こうしたことを十数年続けてきた結果、現在のヌース理論があるということだ。
ならば、どうして、完成もしないうちに、ヌースレクチャーなどというものを始めたのか。それも答えは簡単である。シリウスファイルを解読していくためのモティベーションが必要だったからだ。専門の学者でもない自分の拙い話にこうして多くの人が耳を傾けてくれる。それに何よりも多くの人が世界を刷新する新しい思考体系を求めている。その気持ちに後押しされて、次のレクチャーまでにさらに解読をすすめる。間違いが見つかる。再度練り直し。again and again and again…。そうした反復作業があってこそヌース理論はここまでシンプルありながら、様々なジャンルを横断できるトランスクリティーク的な思考装置に育つことができたのだと思う。もちろん、レクチャーは経費の都合などもあり有料でやってきた。過去のレクチャー参加者には本当に感謝以外の何ものでもない。正直、彼らがいなければ今のヌース理論は存在していなかっただろう。所詮、一人でできることなど世の中には何一つないのだ。だから、ヌース理論に著作権などあってはならない。
現在、製作中のレクチャーブックは今後10年は使えるものにしたい。その欲望のために今までの本のようにスラスラと筆が運ばない、というか、キータッチが進まないというのが正直なところだ。過去十数年の思いを込めて、これがヌース理論だ!という本を何とか完成させたいのである。そろそろ、そういう時期に入っている。もちろん、細かい点で、まだ、多くの不備は残されてはいるが、理論の骨格はもう変更されることはない。1989年11月11日生まれ、ヌース理論17歳。早くも不惑の年である。
3月 25 2005
ヌース理論VSエスパーキッズ
今日、夕方、福岡ヌースレクチャーに参加してくれていたTさんから珍しく電話があった。うちの奥さんに占星術を見てほしいというのである。家内は現在、所用で東京に行っている。不在の旨を伝えると、どうしても連絡が取りたいという。そこで、東京での滞在先のホテルを教えた。急用なんですか?と尋ねたところ、予期しない返答が返って来た。
「わたしの知り合いの子供が、先日の博多の地震を予知していたんですね。その子、霊感がとても強い子で。昨日、雪が降ったでしょ。それも続けて予知していたんですよ。その子が、また、博多に地震がくるって言ってるんです。まだ幼稚園に上がる前の子ですよ。それも、この間の地震よりももっと強い地震らしく、今度は直下型みたいなんです。」
「えーっ、それって、いつですか?」
「今度の土、日、月が危ないみたいなんです。」
ち、ちょっと、マッちくれぃ〜。今度の土、日って、それって明日やんけ。。ほんな、アホな。
「本当ですかぁ〜、いゃだなぁ〜。」
と、また、どうせ、ガセだろ、と思いながらも、半分ビビりながら、アホ丸出しの返事しかできないわたし。。。Tさんがさらに執拗に畳かける。
「明日の明け方、午前6時頃が一番危ないみたいです。ちょうど満月でしょ。。半田さんは避難されないんですか。車は今日のうちにガソリン満タンにしておいたほうがいいですよ。うちではもう避難準備しています。」
「いやぁ、まいったなぁ〜。うそでしょ。大丈夫ですよ。。大丈夫。そんなことあり得ない。あり得るはずがない。まず、ないですよ。ない。。。。でも、でも、ちょっと、やだなぁ。。。」
そんなことはあり得るはずがないと思いながらも、内心、一抹の不安がよぎっているのを否定できないわたしがそこにいた。というのも、このTさん、普段から結構、霊感が強い女性なのだ。Tさんの娘さんも不思議な能力を持っている。要は、親子共々、霊感体質で直感がするどいタイプなのだ。娘さんはよく半身が透けて写真に写ったりする。それをいつも直に見て知っていたので、さすがのわたしも、ちと怖くなってしまった。なんせ、昨日の今日である。さっきだって余震があったばかりなのだ。もし前回の地震よりも大きいやつが直下型で襲えば、被害は阪神大震災並みになる。Tさんは、五分五分ぐらいの割合でその子供の予知を信じているようだ。まじに怒るのも大人げないので、結果的に「人を脅かすのはよくないですよ。」と冗談で返すぐらいしかできなかった。最後は「では、家内に電話してみて下さい。」と言って、受話器を置いてはみたものの、やはり、どうも落ち着かない。明日の朝6時か。。。。Fuck!!……こうなったら、その予知能力のあるガキんちょやらと差しで勝負だ。題して、ヌース理論VSエスパーキッズ。
クェッション1
明日の朝6時に博多を直下型の地震が襲うか否か?——じぇったい、ノォォォォォォォ〜!
クェッション2
土、日、月、この3日以内に博多を直下型の地震が襲うか?——これも、じぇったい、ノォォォォォォォ〜!じぇったいにそんなことはありまっしぇ〜ん。ありまっしぇ〜ん。ありまっしぇ〜ん。。。。
どうだ、まいったか。ませた予知ガキめ。ぺっ!。あー、書いてすっとした。今日はこれで熟睡できるな。
地震とはヌース理論の文脈では、精神総体が持った変換作用と見なされる。付帯質の力が精神に変換されるときに起こるものだ。地震が最も頻度を増し、程度がひどくなるのは、まさに、最終構成期においてなのだが、1989年からその時期に入っている。ともあれ、これから日本各地で地震は頻発し始めることだろう。しかし、能力者の予知だの、メディアが流す予測だのに翻弄されてはいけない。不安におびえるよりもいっそのこと、そんなもの絶対に来ないと開き直っている方が、実際にやって来たとき、逆に落ち着いていられるというもんだ。エスパーキッズよ、明日6時、勝負だ。負けたら、普通の子供に戻れよ。
By kohsen • 10_その他 • 5 • Tags: 付帯質