3月 27 2005
プロモ作ったぞい
昨日は一日中ストーンズを鳴らしていたせいで、わたしの中の音楽魂がムクムクと勃起してきた。もう年なので、あちら同様、半立ちではあるが、ループミュージックとやらでちょっと遊んでみよっかなぁ。。。とかなんとか言ってるいるうちに、なんと昨夜は徹夜になってしまったのであった。
この間、購入したIMacG5にはGarage Bandというコンピュータミュージック専用ソフトがついている。専用ソフトと言っても、子供のオモチャみたいなもので、サンプリングのループ音源がちょっこっと入っていて、ミキサーと呼ぶにはあまりに悲しすぎるショボイ音混ぜ機械がプログラムされている。昔、曲を書いていた頃は4トラックでよく宅録したものだ。ローランドやコルグが懐かしい。。。とは、いえ、この機械、遊びだしたら結構面白い。まっ、ループは初体験だからな。。音源が少なすぎるのが難だが、ちょっくら何か作ってみるべぇか。。とかなんとかやっているうちに、この間、作りかけていたNC generatorの3Dアニメーションと組み合わせて、何と生まれて初めてのビデオクリップ製作にまで手が伸びてしまった。。。ありがたいことに、Macちゃん、imovieという映像編集ソフトまでついているのよねぇー。となんだかんだ言ってるうちに、もう、昼じゃん。肝心のテキストブックはどうした。。まぁ、たまにはいいっか。
しかし、便利になったものだねぇー。便利になったはいいが、こんなんじゃ曲作る喜びなんてないなぁ。。ぶつぶつ。しかし、映像と音楽を一人で組み合わすことができるってのは、なかなか快感ね。ふむふむ。よーし、ここは原始土地機械に生きる野生人たちのステップの雰囲気を出して、地鳴りベースでいくか。。。でも、ループだけじゃ面白くないなぁ。。身体の音を入れんとね、スマル一直線だもんな。。よっしゃ、息を入れてやれ。あと、うちにかみさんのポロいシンセがあったな。よし!、ひと味隠し味を入れちゃろうやないけ。。
ってな具合で、まるで料理を作っているような雰囲気で一曲できあがり。ループだから、ミニマル。ミニマルは構成なんか考えなくていいから楽なのだ。おっ、なかなか、かっこいいじゃん。ケミカルブラザーズなんてチョロいもんだぜ。。へん!だ。
というわけで、現在製作中の新しいヌースの装置、NC generatorのイメージビデオができましたとさ。おひまな方は見て下さい。カフェ・ネプと被るけど、フロントページにある下の段の黒いボックスの001番をクリックすれば見れるよ。ダウンロードにちょっと時間がかかるかもしれないけど、Quick Timeが出てきますよぉー。Quick Timeをインストールしてない人は適当にダウンロードしてちょ。
尚、フロントページを元に戻すときは、左上のNOOS THEORYと書いてあるところをクリックすること。では、ミニマルヌーストランスの世界をじっくりお楽しみあれ。リピートして聴いてるといろいろな音が聞こえてくるよ。くれぐれも聴きすぎてイっちゃってしまわないように。ほな、ばいちゃ。
3月 28 2005
贈ること、と受け取ること
一人デュオニソスの祝祭日も終わり、平穏な日々が戻ってきた。いつもの通り、会社に出社。売り上げ状況を確認したあと、たまっていたメールと手紙の返事を書く。わたしは手紙の返事が苦手だ。特に知らない人から来た手紙には何をどう書いてよいやら分からない。生来の性格が無精なせいもあるが、基本的に面識がない人にはここ数年はほとんど返事を書かなくなった。しかし、とはいいながらも、この人には返事を出さなくては悪いのでは?と思われる人には、仕方なくペンを執る。今日は、先日、本の原稿をいただいたS氏がその宛先である。
処女作の「人神」を出版した当時は、読者から毎日のようにFAXやら手紙が来ていた。本の内容が内容なだけに、中にはイカれているのもある。丁寧かつ、真摯な内容のものだけ選んで返事を書くようにした。しかし、返事を書くと、また、返事が返ってくる。苦しい。。別にわたしはあなたと文通がしたいわけではない。。。。時間がたっぷりとあるならば、一通一通、丁寧な返事を書き綴りたいところだが、手紙をしたためるというのは、思いのほか時間がかかるのだ。残念ながら、わたしの度量ではそこまで時間を割くことはできない。
手紙はまだいい。問題は贈り物、プレゼントの類いだ。
「先月、セドナに行ってきました。そこの石です。」
「中国で竜が宿ると言われた洞窟から採れた水晶です。」
「○×神社の御神石です。そばに破片があったので、だまって持って帰って来ちゃいました。」
職業柄、わたしのもとには、こういった類いのプレゼントがよく届く。一度、直径が20cm以上もある紫水晶の原石か何かを読者からいただいたことがあった。重さにして10kgぐらいはゆうにある。気持ちは本当に有り難いのだが、「オレは石屋じゃねぇー」。
見知らぬ人からの贈与は、それが高価なものであればあるほど一種の暴力と化す。プレゼンターは何か見返りを期待しているわけでもないだろうが、受け取った方に取っては、それは一種の負債のように感じさせられてしまうのだ。何かお礼をしなければならないのではないか。もっと感謝しなければならないのではないか。こんなところに放って置いてよいものだろうか。そうやって、わたしの中に絶えず強迫観念が襲ってくる。
世界とて同じだ。
神という見知らぬ者から、わたしへの、世界という多大なる贈与。
これだけの世界をおまえに与えてやったのだから、おまえはわたしに感謝すべきではないか?
おまえが生きていられるのは、わたしがいるからだろ。だから、わたしの名を呼べ。
おまえに感謝がないから、こんな罰が下ったのだぞ。
——神の奴隷的精神。ユダヤ的一神教の精神の誕生である。
わたしは自然や、わたしの生を支えてくれる周囲の良識ある人々には心から感謝しているし、彼らのためであれば、いかなる労苦も厭わない。しかし、人を脅すような神には絶対に仕えない。人に命令を下すような神は絶対に信じない。古き父にこの世界からいなくなってもらうこと。それがヌースの見果てぬ夢である。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ユダヤ, 人類が神を見る日