4月 6 2005
禁煙1年に処す
不覚にも先週末のすき焼きパーティーが祟り今季2度目のダウン。つい先日のダメージがまだ残っていたせいもあったのだろう。連夜の夜更かしと、真夜中のすき焼きとビール、さらには1夜3箱のタバコは、潰瘍の古傷を直撃したようだ。丸4日間ものが食べられなくなってしまった。油断と慢心が故に、また周囲の人々に迷惑をかけてしまった。心から陳謝。申し訳ない。
しかし、今回のこの体調不良、ちょうど最近「長年の喫煙による人体への悪影響が禁煙後2週間で浄化される」というレポート記事がニュースで取り上げられていたので、それをいいことに、14日間喫煙して14日間禁煙するという安直な喫煙生活を送ろうと考えていた矢先に襲ったものだった。
いきなり、甘ーい!と健康の神から天罰が下った感じだ。そこで今回はちょっびり反省。自分の身体があまりにももろく崩れさっていくのを目の当たりにし、とりあえず禁煙1年の厳罰に処す、ことに決定した。禁煙1年とは何とも情けないスローガンのように見えるかもしれないが、禁煙宣言など絶対にしない、と思っていた過去のわたしからすれば、これでも多少の進歩ではあろう。タバコを吸われたことのない読者の中には、半田って、4次元とか、意識進化だか言ってる割に、ほんとうにお馬鹿なやつ、タバコも止められんとは。と思われている方もいることだろう。それは、確かに、正しい(;;)。
しかし、たかだか健康のためにタバコを犠牲にしてたまるか、という思いが常に心のどこかに残っている自分を感じるのだ。こうした自分がいる限り、間違っても、一生禁煙します、などといった虚偽の誓いは立てられない。わたしにとって禁煙宣言は自我の死滅に近い事件でもあるのだ。ひょっとすると、わたしは健康の神を信じていないのかもしれない。
おいおい何を遠慮している。自分の職業が健康産業に関わっているからこそ、ここは本音でトークすべきところじゃないか。この際はっきり言った方がいい。——。多少の不健康さは、魂の健康を維持するためにも必要な要素である。不健康なしの健康などあり得ない。時代がうわべだけの健康ファシストを増殖させているだけに、喫煙はわたしなりのレジスタンスなのだ。とでも言っておこう。。
4月 7 2005
大空のサムライ
昼間、電話で取引先のR社のF社長と広告の件で打ち合わせしていたところ、F氏が唐突に「半田さん、大空のサムライ見ましたよ。」と言ってきた。大空のサムライ?…はて、どこかで聞いた事があるようなないような。。「半田飛曹長、出てましたよ。」………ああ、大叔父さんの話しか。。。大叔父さんはかなり有名な零戦乗りだったんだ。映画にもなってるんだよね。名前もハンダワタリっていうんだよね。ワタリだぜ。カッコいいべ。そうやって、以前、F氏に自慢げに話したことがあったっけ………。
うちの大叔父の当時の様子は、坂井三郎という大叔父のライバルというか、太平洋戦争当時の日本の撃墜王が詳しく本に書いている。大叔父もかなりの名うてのパイロットだったらしく、映画の中では島田順司という渋めの役者が演じていた。しかし、実際の写真を見てみると、信じられないだろうが、もっと二枚目である。別の零戦ものの映画で「ゼロ戦燃ゆ」というのがあって、こちらの作品では草刈正雄が半田亘理役をやっていた。再び、信じられないだろうが、実は、こっちの方が実物に似ている。。。
はて、わたしはここで、零戦乗りの大叔父の自慢をしたいのか、彼がとてもクールな二枚目だったことを自慢したいのか。。たぶん、そのどちらも違う。大叔父も坂井も戦争では死ななかった。坂井はその後、世界中でベストセラーとなった「大空のサムライ」を書き、それなりの地位と名声の中に生きた。半田亘理は違う。台南航空ゼロ戦隊にいたとき、ラバウルで不運にも結核を患い、翼をむしり取られた鳥のように、傷心のままひっそりと本土へと戻っている。彼は故郷の久留米にもいることができず、そのまま熊本の人吉というところへ身を隠すように移り住む。そして、戦後、人知れず、そのまま結核が原因で他界した——。そんな大叔父の短い一生の物語を、わたしは幼少の頃、父から何度も聞かされて育った。父にとっては大叔父は誰よりもかっこいいアイドルだったようだ。休暇で大叔父が帰ってきたときには、必ず、金魚のフンのようについてまわり、映画やダンスホールに連れていってもらったらしい。父曰く、そのときにおごってもらう珈琲が何よりも愉しみだったという。しかし、珈琲は気前よく何杯もおごってくれたが、零戦での戦闘話をいくらねだっても、決して戦争の話はしてくれなかったそうだ。わたし自身は、そのとき、まだ、父のDNAの中の片隅に紛れ込んでいて影も形もなかったわけだが、なぜか父の目を通して、この孤独な零戦乗りの横顔を眺めていたような記憶がある。
たとえそれが喜劇であれ、悲劇であれ、身内に物語を感じさせてくれる人物がいるのは有り難い。物語の中で記憶は歪曲化され、やがては別の物語と接合し、まわり回って自分の等身大の現実の中へと重なり合うように巡ってくる。わたしの人生は大叔父ほど劇的ではないが、それでも、一つの物語であることに変わりはない。人は物語がなければ生きていけないからだ。物語はかならず別の物語を語りたがる。が、しかし、別の物語が存在したためしはない。
By kohsen • 09_映画・テレビ, 10_その他 • 3 • Tags: DNA