5月 8 2005
ロスト・ハイウェイ風呂
2005年のゴールデンウィーク、あっという間に千秋楽が来てしまった。今日は、連休の疲れを落とす意味で近くのスーパー銭湯にいってきた。わが家は夏になると3日に一回ぐらいの割合でスーパー銭湯通いをするが、今年もいよいよ、スーパー銭湯の季節がやってきた。う・れ・し・い・な。
さて、スーパー銭湯の醍醐味はわたしの場合、何と言ってもサウナである。もちろん、ただ普通にサウナに入るだけでは面白みはない。実はサウナを使った禁断の湯遊びがあるのだ。名付けて「ロスト・ハイウェイ風呂」。わたしの場合、この「ロスト・ハイウェイ風呂」が夏場の疲れた体をリフレッシュするのにとても役立っているのであーる。今日もさっきやってきたところ。。あぁ、何とすがすがしい気分だろうか。。
さぁーて、聞くからにあやしいこの「ロスト・ハイウェイ風呂」。そりゃ、一体何じゃいなとお思いの御仁も多かろう。何のこたぁーない、軽くのぼせることである。重くではない、あくまでも軽く、である。以下、サウナを禁断の「ロストハイウェイ風呂」に変える手順を説明しておこう。
0、まずは10分間、普通の湯につかる。そして、すぐさまサウナに直行。
1、サウナに入ったら、入り口からなるべく奥に座ること。階段状に腰掛けがあるところはなるべく上部に座ること。奥や上部の方が室温が高く、湿度が低めなので、汗が短時間でより多く吹き出す。
2、入室時間は最低でも12分。10分では不足なので、必ず12分。この2分の差は極めて大きい。初心者は15分以上の入室は絶対に避けること。のぼせて気持ち悪くなる。
3、サウナから出たら、すぐに水風呂に入ること。このとき、もちろん、一気につかってはダメ。足下から徐々に水に浸しながら首まで浸かっていくこと。首まで浸かったらゆっくりと10まで数え、頭をザッと水の中に沈め、そのまま水風呂から出ること。
4、出たら、とにかく座れる場所を探すこと。風呂場内に置いてある椅子がベスト。ここで、うろうろ歩き回ってはいけない。座ったら、とにかく目の焦点をどこにも合わせず体中の力、顔中の力を全部抜き、ただひたすらボーッとすること。
5、しばらくすると、目の前の風景が上下方向に回転しだす。その回転に合わせて風呂場全体に響いているボイラーの音に注意を向けること。
これで、完全にロストハイウェイ空間に入れる。ボイラーの音がリンチがよく使うゴォーという音響効果に変わり、風景のゆらぎは空間を極めて密度の濃い、きちゃってる空間(ゴッホの絵に描かれているような粘液質の空間)に変える。できれば、このとき、顔の表情からすべての理性をはぎ取ると効果倍増である。もちろん、口を開けて、ヨダレをたらすのもあり。そうすると、シャイニング空間も介入してくるのが分かる。ただし、この状態で、他のお客さんに顔を向けないこと。
7、7〜8分で、空間の回転も止まり、意識がもとに戻る。
8、意識が通常状態に戻ったら、洗い場に行き、目の充血を確認すること。充血しすぎている場合は、露天に出てしばらく休むこと。
半分、ジョークで書いてはいるが、半分、本気である。普通にサウナにはいるよりも全然、疲れの取れ方が違うのだ。疑う人は是非やってみるとよい。ただ、くれぐれも、寝不足の人、肥満している人は気をつけること。のぼせてぶっ倒れても当方は一切責任を持ちません。ちなみに高血圧の人にはロスト・ハイウェイ風呂は禁止されています。
5月 9 2005
60億総Poserの時代
一昨日あたりから、この間購入したPoser6(ポーザー・シックス)を本格的に使い始めた。もちろん、テキストに導入するイラストや、ネット上でのアニメーションコンテンツの作成のためである。ソフトに詳しくない人たちのために言っておくと、Poser 6とは人体3D作図専用の最新版ソフトのようなものだ。おそらく、3Dアニメーションで人体が登場する部分はほとんどこのPoserシリーズで作られているのではなかろうか。それくらい人気の高い代表的なソフトと言っていい。
まだ、触り始めたばかりなので何とも言えないが、最近のPoserは各関節部の動きが連動するように作られているようだ。かなり昔にPoserの古いバージョンを触ったことがあったのだが、そのときはまだ諸関節の動きの連携はこれほど巧みにプログラムに組み込まれていなかった。そのため、例えば、足首や膝、股関節といった三カ所のジョイントはそれぞれ独立して自由に動かすことができ、初心者がいじくっていると、複雑骨折したかのような不自然なポーズがすぐにできてしまう。一度、関節がグニャグニャになってしまうと元に戻すのがもう大変。そのために即ギブアップした記憶がある。しかし、現在のバージョンは、親切にもそうした不自然な関節の動きの連携を許さないように初期設定されているようだ。例えば、歩行のポーズを作るときに右足を出せば自然に左手が前に出てくる。けんけんのポーズを作るときに右膝を軽く曲げ左足を上げれば、右肩が落ち体全体は若干右に傾く。そういう姿勢に自然になってくれる。その意味では大変、使い勝手がいい。しかし、このプログラミングは、裏を返せば、不自然な関節の連携は禁止する、というおふれ書きに取れないこともない。このソフトではUSAの陸上選手のような走りのポーズはすぐに作れるだろうが、ナンバ走りをする江戸時代の飛脚を表現するにはかなり面倒な操作が必要となるだろう。
世界観と身体観は同期して変遷する——。近代的な物質的世界観の中では身体観もまた物質的な枠に閉じこもってしまった。いわゆる3次元認識のクセに沿って、三次元の物質的身体感覚が養成され続けているのだ。このPoserはまさに、そうした身体イメージの総仕上げのように感じる。実際にPoserを触っていて感じるのは、身体にこういった動き以外はあり得ない、否、あってはいけない、という統制である。実際に使っていて言うのも何だが、フーコー風に言えば、身体を機械として管理する眼差しをより一層強化させるツールであることに間違いない。
そろそろ身体を物質概念から解放してやってはどうか。ヌース理論の考え方では、(人間の外面という意味で)身体と身体の周りの空間は区別することができない。見えている風景そのものが皮膚なのだ、という言い方をするのもそのためだ。とすれば、毎日のように繰り返される他者との情念の交流は身体の生理作用と直結していると言えるし、モノを見て何を感じそこから何を表象しているか、といった思考作用でさえも、身体の代謝機能と別物ではない。いうなれば、わたしは、常に、身体とともに、身体の内部で生きているのである。自身の身体を物質のように見る眼差しは真のリアルから逸脱したナルシス的自我=水子の目によるもの以外の何ものでもない。自分を外部から見るのではなく、内部から見ること——内側から見た身体とは世界そのものなのだ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: フーコー, 内面と外面