9月 6 2005
キング・オブ・ペイン
不覚にもまたまた過労でダウンしてしまった。わたしの場合、過度のストレスや肉体疲労は必ず胃を直撃するようだ。4年前に一度は完治させたはずの十二指腸潰瘍が再発している雰囲気が、腹回りをプンプン漂っている。タダレた感じのする胃壁をかばうように手を腹に当てながら、ときおり、こみ上げてくる苦みと酸味の入り混じった消化液を無理矢理、飲み込みながら、丸1昼夜、胃の痛みとの格闘が続いた。
普通なら3日ほどダウンするところだが、会社からの水の差し入れが効いたのか、2日目にはウソのように痛みが引いていた。もうこんな痛みは二度と味わいたくはない、と思いつつ、何度このような醜態を繰り返してきたことか。懲りない奴である。このサイクルはわたしの性格の一部なのだ。
昔、レントゲン写真で見た潰瘍跡はまるで太陽に穿たれた黒い小さな黒点のようだった。それ以来、胃痛に苛まれると、わたしには、太陽の中で激しく渦を巻いて活動する黒点が見えてくる。幸いなことに、わたしが経験した痛みの種類はとても少ない。幼少の頃に経験した虫歯の痛みと骨折の痛み以外、痛みに関する記憶はすべて、この胃の痛みで覆い尽くされている。胃痛のあの拷問攻めのような波状的な痛みは、まさに、わたしにとっての「キング・オブ・ペイン」というわけだ。
身体の病とは魂の病である。いや身体の存在そのものが魂の病だと考えれば、身体の病とは病んだ魂のさらなる病である。人はどうしてこんなに病を愛するのか。わたしの場合も例外ではない。
痛みとは何なのだろう。身体の痛みは一挙に世界そのものの見え方を曇らせる。百の幸福が舞い降りたとしても、そこに一の激痛が混入すれば、幸福は木っ端みじんとなって吹き飛ぶ。痛みが持つこの強度は実に不公平というか圧倒的だ。にもかかわらず、それは秘私的であり、世界全体にとっては瑣末な出来事である(あろう)。それゆえ、痛みは、死以上の恐怖を個人にもたらす。いや、実際、人々が恐れているのは死そのものではなく、死の間際に訪れると想像されるMAXな痛みではないのか。しかし、実際、死の瀬戸際には痛みは存在しない。死には痛みを感覚化する能力などないからだ。ならば、痛みとは死への恐怖心を煽り立てる生の活力の演出ということになる。
痛みから目をそらしてはならない。痛みから目をそらすことは、太陽から目をそらすことと同じだ。目なんぞ潰れてもいいから太陽の中の黒点を覗き込んでやるぐらいの気構えで、痛みの中心に向かってダイブしろ。そして、そこで、苦痛に顔を歪ませながら叫ぶのだ。——痛みの王よ、痛みでオレを殺してみろ——。世界はあちこちで苦痛の声を上げ始めている。オレの苦痛が世界の苦痛になるのは容易いが、世界の苦痛がオレの苦痛になることはない。この狂った神経回路のせいで、やがて黒点は太陽を覆い尽くすぐらい巨大になるだろう。痛みの王がその正体を表すのはそのときだ。
………馬鹿なこと言ってないで、早く病院に行ってこんね。
9月 9 2005
一日造幣局長
今日は、今度、顧客サービスの一環として導入する商品券の制作を行った。
もちろん、この商品券はヌースコーポレーションの経済圏のみで交換価値を持つものであり、わたしの会社の製品以外の物品と引き換えることはできない。しかし、いかに零細企業の商品券と言えども、最高数万円から最低数千円まで数種類取り揃えた一応立派なプライベート紙幣である。そこには当然、それなりにそこそこのアウラが立ち上る。実際、出来上がったデザインをプリントしてみて分かったことだが、価値を紙切れに注入するという行為には、サディスティックな快感がある。と同時に多少の空恐ろしさも感じた。そう、ここにはわずかながらも、あの蛇の神の顔が見え隠れするのである。
貨幣の歴史は古い。そのイデオロギーのルーツはパルメニデスの原理にあるのだろうか。AはAに等しいという同一律。AがAに等しければ、BはBに等しく、そしてまたCはCに等しい。AとB、BとC、そして、CとAは、この同一律のもとでは、互いに排他的であり、一方が他方に同一性を与える根拠となる。対人関係において排他的になればなるほど、自己同一性は保証される。自己同一性は他からやってきているにもかかわらず、だ。
こうして、君は君に固定され、僕は僕に固定される。君と僕の間にはいかなる交換の可能性もありえない。だからこそ、貨幣はその不可能性の代償作用として、あらゆるものの間の等価交換を一手に引き受けるのである。これはキリスト教的に言えば聖霊の役どころに近いが、こやつはどうひいき目に見ても偽装霊だろう。
自己同一化した自我は、自らの情念をこの偽装霊に重ね、物を引き寄せる引力と化す。貨幣の持つ中心性が作り出す主体性——資本主義は貨幣と自我が組んだ主体性の経済なのである。この主体性の経済が続く限り人々には幸福はやってこない。当たり前の話だろ。幸福の定義とは主体の交換だからだ。
By kohsen • 05_ヌースコーポレーション, 10_その他 • 0 • Tags: 貨幣