4月 11 2005
ヘアサロンの悪魔
久々にヘアカットに行った。まもなく齢49になろうという身だが、わたしのヘアスタイルはほとんど20代の若者と大差ない。行くのはいつも会社の前にある美容院。シャンプー、カット、カラーリング、占めて9900円なーり。おぉ、今回はなかなかカッコよく切れておりますな。。
実は、わたしはヌースをやるようになってからというもの大の美容院好きである。なぜか——。それはもちろん美容院には巨大な「鏡」があるからだ。なんせ、自分の全身の姿を約1時間ぐらいもの間、まじまじと凝視し続けられるのである。こんなイケてる場所は他にはない。もちろん、自宅にデカイ鏡を置けばそれも可能だが。自宅では鏡を見続けるには根気がいる。ここでは適度な強制によって鏡を見続けることを強いられる。いいねぇ。示唆的だねぇー。暗示的だねぇー。もう一度言おう。「ここでは、適度な強制によって鏡を見続けることを強いられる。」(わざわざ「」つき)おお、最高じゃないか。
さぁ、ごらん、これがおまえだよ。。時の魔法使いに誘われるままに、わたしは鏡の中の自分に魅せられていく。どうして、アリスは鏡の国で迷子になったのか。ナルシスが朽ち果てて死んだ場所に静かに咲いていたという七つの水仙。。その花に秘められたエコーの想いとは何だったのか。そんなミステリーなんて、みーんな簡単。わたしは、鏡のトリックなんかにだまされないわ。ぜーんぶ、謎解きしてあげる。てくまくまやこん、てくまくまやこん、ぬーすになぁーれ。へへ。というわけで、床屋ではいつも鏡とにらめっこ。鏡で一体何が起きているのかをいつも考えているのであった。
さて、この半ば変態気味の鏡探索の履歴で分かったことは、鏡の中で起こっていることの本質をほとんどの人が正確に理解していない、ということである。特に一般に流布している鏡映変換なる左右像の反転等の解説があるが、これは三次元的思考がでっちあげた全くのデタラメだ。では、どうデタラメなのか。
まず、第一に、鏡面とは何かを考えること。一言で言って、鏡面とは他者の視野空間の代理機能を果たすものである。他者の目にはあなたの姿はこれこれこのように映っているのですよ、という形で、鏡面はわたしにわたしの鏡像(他者から見たわたしの像)を見せる。その意味で、美容院にあるあの鏡面とは、実は美容師の視野空間の代理を果たしているというわけだ。これに最初に気づいたとき、わたしは椅子に座っていながら思わず美容師に頭を喰われているかのような気分に襲われた。こ、こいつはわたしの髪など切っていない。その巨大な目でわたしを頭の先から飲み込もうとしている。。。そう、だまされてはいけない。涼しげな顔をして、わたしと一緒にこの鏡の中に映っているこの美容師は本物ではない。亡霊なのだ。この鏡面こそが美容師なのだ。。わぁ〜、助けてくれぇ〜。ここはどこだ。いつものヘアサロンじゃないじゃないか。直方体状のヘアサロン内の空間が、エッシャーの悪魔が仕掛けたからくり箱のようにグニャグニャと歪曲する。なんの、悪魔、破れたり。僕には君の魂胆は見え透いているのだよ。悪魔がそっと囁く。バらすなよ。いや、ばらす。とオレ。バラすと、また、胃を痛くしてやるぞ。と悪魔。そんな脅しに屈すると思うのか。とオレ。眉間にしわを寄せながらぐっと鏡をにらみ込む。気がつくと、髪を切ってる三次元の美容師のことなど忘れている。
「あの〜、すみません。お気に召しませんか?」
「あっ、気にしないで下さい。考え事してるだけですから。。」
こうして、人知れず、わたしだけの幻魔大戦が高宮1丁目のパーマ屋で展開されていくのであった。
4月 12 2005
ステンレスシャフトの魂
今日は昼から町工場に出かけた。NCジェネレーター用のコイルシャフトの試作が出来上がったのだ。オールステンレス製のすぐれ者。へへ。こんな部品は世界中どこ探したってないだろう。試作品はシングルコイルだが、本番にはツインコイルで臨む。果たしてシャフトがコイルの通り道を邪魔しないか。それを確かめるための試作だ。今夜からさっそくテスト開始。
それにしても、試作品の出来上がりが予想以上にシャープでカッコよかった。このまま現代アートのインスタレーションとして展覧会に出品しても十分に通用しそうなオーラをあたり一面に出している。あたりまえだ。こやつは、そんじょそこらの造形とはわけが違うのだ。ヌースのロジックをたっぷりと含み込んだ、イデアジューシーな設計なのだ。美の臨在感がそこらじゅうにみなぎるのは当たり前というもの。わたしはこの構造について一週間でも語れる。その語りを押し出している観念のエネルギーがこの形態の中にはすべて詰まっている。それがこの造形をただの金属棒とは違うものにしているのだ。………って、そう思ってるのは自分だけ(笑)。しかし、この自己陶酔のナルシズムこそがアーティストの絶対必要条件。
しかし、ステンレスの質感ちゅうのは何とクールなことか。これにして正解やったな。。。というのも、実は、素材を決定する段階ですったもんだがあったのだ。シャフトを何で作るか——最初、候補に上がっていたのは、鉄、アルミ、銅、ステンレスの4種類の素材であった。これらはヌース理論では次のような働きを持っている。
鉄——付帯質の力の本質/人間の情動力の核となっている
アルミ——顕在化した力の変換作用/位置の変換の力
銅——位置の等化の観察力/電子の上次元作用のカタチ。
ステンレス——鉄とアルミの等化の範疇?/OCOT情報ナシ
最初は軽量さとM・デュシャンを意識してオール・アルミで行こうかとも考えた。しかし、先日、ここを訪れたS氏の一言が妙にひっかかりステンレスに決めたのだった。彼はこんなことを言った。
「半田さん、資本主義の精神は二つの金属に支配されていると思います。プレモダンは鉄。モダンはアルミです。どうですか?」
「Sさん、それオモロイ。前期資本主義は26で、後期資本主義は13というわけだ。(26番は鉄原子の元素番号、13番はアルミニウム原子の元素番号)」
13番のアルミニウムについては、デュシャンが大ガラスという代表作の中で、3次元と4次元の境界にあたる膜の部分の素材として使用していた。だから、わたしもNCジェネレーターの材質はアルミ中心で行こうと考えていた。しかし、S氏のこの一言で考えを改めた。ここには動物的なもの、つまり、情動の海の力が必要なのだ。鉄とは情動の海と言ったのは確かニーチェだったか。アルミにとけ込む鉄。モノにとけ込む情動。情動に入り込むモノ。。資本主義はまさにその反復力によって歩んできた。すでにこの反復力にも翳りが見え始めている。最終構成の金属。。。このステンレス製のシャフトにはそういった思いが込められている。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: NC-generator, ニーチェ, 付帯質, 位置の等化, 佐藤博紀