5月 17 2005
香禅の家元
東京出張、3日目。今日は代官山の駅前にある高級マンションをR社の藤本氏とともに訪れた。香禅道家元のFさんを尋ねるためだ。Fさんは、「人神」を読んで痛く感銘され、是非、半田さんの活動をバックアップしたいとR社に電話されてきた人物である。藤本氏がまずコンタクトを取り、面白そうなご婦人だということだったので、今日、直接、お会いすることにした。
高級調度で囲まれた居間の方へと通され、さっそくご婦人のご婦人による自己紹介が始まった。いやぁー、話を聞いて、多少、驚いた。何と、この初老のご婦人、20数年前、シュタイナーを初めて日本に持ち込み、高橋巌氏をバックアップして翻訳等を勧めた仕掛人だとおっしゃるのである。わたしが「それじゃぁ、Fさんは日本の霊性運動の仕掛人のような方じゃないですか」と言うと、他の人脈関係についていろいろと話された。当時のシュタイナー教室に鎌田東二氏や松岡正剛氏などが顔を出しており、彼らとも旧知の間柄であるとか、さらには、カバラ研究者の大沼忠弘氏の勉強会を東京で最初に開催したり、中沢新一氏をご自身の塾に招きよくレクチャーを開いていたとか、他にも、石川光男氏や、甲野善紀氏、津村喬氏など、その手の世界では著名な人の名が出ていた。
一度お会いしただけなので、どこまでが本当の話かは分からないのだが、Fさんのすごいところは、若かりし日に、将来、何の心配もなく哲学三昧できるように金を稼いで置こうと考え、それを見事実行されたことだ。本人曰く、女手一つで不動産関連の事業に携わり40代半ばまでに○○億単位の財産を作ったらしい。それからは、ずっと霊性に関わる活動を続けられているという。現在は香道と曹洞禅を組み合わせた香禅道という流派を作り、全国に4000人のお弟子さん持たれているそうである。実際にインターネットで検索してみると、たしかに彼女の名前がある。
さて、自己紹介が一段落したあとで、Fさんから正式に次のような申し出があった。「あなたの宇宙論はとても新しいと思うの。わたし是非応援したいわ。うちの原宿のビルをお貸ししますから、一緒にやっていきませんこと?」とても有り難い話ではあった。都心の一等地で小ぎれいなレクチャー会場を借りるとなれば、どんなに安くても一日5万円程度はかかるからだ。しかし、その場で丁重にお断りした。不用意な甘えがあとで取り返しのつかない失敗となることは多々ある事だ。過去にそれは痛いほど経験している。純粋な贈与というものは、このように交換経済が発達してしまった人間の世界ではなかなか成立しにくいと思った方が無難である。お断りするに際して、わたしはFさんの心遣いを尊重する意味で、注意深く言葉を選んだ。
「Fさん、Fさんがやられるべきことは、ヌース理論のような特定の理論を支援することではないと思います。それこそ、昔のように、日本の将来の霊性運動を担って行くような様々なジャンルの人たちが集まるようなサロンを作られたらいかがでしょう。そういう場であれば、わたしも喜んで出席させていただきます。ヌースに関しましては、いずれわたし自身の主催で東京でレクチャーを再開致しますので、そのときは是非、遊びにおいで下さい。それからの応援でも全く遅くはありません。」
おー、我ながら、いい受け答えじゃんか。今日は冴えとるばい。傍にいる藤本氏もうんうんと頷いている。
「あなたのおっしゃる通りね。」
彼女の顔が子供の笑顔のようにほころんた。新しい時代の夜明けを夢見続けているこのご婦人の脳裏を、そのときよぎったものは何だったのだろうか。若かりし日の鎌田氏や松岡氏か、それとも、第二の中沢氏や高橋氏だったのか。いずれにしろ、彼女の屈託のない笑顔を見た瞬間、わたしはなぜかとてもいいことをした気分になった。
5月 18 2005
父、倒れる
父が倒れて病院に運ばれた。本人も気づかないまま肺炎にかかり、9度8分の熱を出し意識不明になったのである。最初は左半身がマヒしていたのも手伝って、てっきり、脳幹出血が再発したのだと思って皆慌てた(15年ほど前、一度やってる)。とりあえず、脳疾患ではないということが分かって安心はしたが、病室のベットに横たわる父の姿を見て何とも辛い気分になった。
父は今年で86歳になる。もう半分ボケが来ていて、毎日のように会っている孫の名前さえも分からないときもある。病床で点滴を打っていても、点滴が何なのかよく分かっていない。看護婦さんに説明を聞くが、邪魔に感じるのだろう。一人になると力任せに引きはがす。おかけで点滴針は血管をはずれ、腕を腫れ上がらせる。今日見舞いに行ったときは、ベッド一面血が飛び散り、シーツや布団カバーが真っ赤に染まっていた。赤褐色に乾いた自分の血を見て「きたなかねぇー、何ね、これは」とつぶやく父。シーツの交換を頼むわけでもなく、だるそうに、そっと、そのまま横になる……。
老いたのだから仕方ない。男子86歳と言えば平均寿命より10歳は上だ。父は人生をまっとうした。それでいいじゃないか。人は誰でも死ぬ。その時期が父にも迫ってきているだけのことだ。いや、よくない。ふざけるな。この場所は一体なんだ。人間が死ぬところか。40年間働いて、4人の子供を育て上げ、仏法哲学を朗々と説いていたあの父が死ぬところか。カーテンで仕切られたベッドにはろくに日も当たらない。簡易便器がすぐ横に置かれ、汚物の臭いが漂う。病室には他に2人のボケ老人が意味不明のうめき声をあげている。一人は父よりもはるかに症状がひどい。ほとんど植物人間状態だ。彼らもまたそれぞれの人生を存分に生きてきた人たちだろう。なのに、なぜ、こんなところにいるのか。老化は罪ではない。たとえ、それが凡夫の生涯であったとしても老化は罪ではない。なのに、なぜ、病院はこうも牢獄を真似るのか。ここで父を死なせることなどできない。
夜、姉たちと父の家に集まった。父の病状がよくなったらすぐにこの家に連れて帰ろう。それまでに、家の中を見違えるような空間にリフォームしようじゃないか。仕切りを取っ払い、陽光をたくさん入れ、カーテンを新調し、クロスを張り替え、床暖房にし、バリアフリーにし、父の死に場所にふさわしいすがすがしい空間にするのだ。もちろん、一緒に暮らす年老いた母のためにも。そして、兄弟力を合わせて介護をしていこう。そうやって皆で話し合った。それは親子だから、というよりも、最も感謝すべき一人の隣人に対する義務としてだ。夜中、母から電話があった。それはお礼の言葉だった。「よろしくたのむね。ありがとう。」それは、普段の母ではなかった。
こういうことがある度にいつも思う。他者を死者として見れば人はどれだけ人に優しくなれることか。そのためには自分も死ななければならない。生はもういい。いい加減にみんな死を語ろうじゃないか。
By kohsen • 10_その他 • 5