10月 18 2013
シュタイナー霊学とヌーソロジーの幾つかの齟齬
OCOT情報は人間のことを完全性質ともいう。完全性質とは「力が全く確実でない状態」とも言われる。ここでいう力とは精神に対する即時的認識力のようなものと考えるといい。こうした認識の欠如は精神に対して精神を融解させる働きを持つ。この融解において生じているものが「熱」だという。
その意味では、自然界を宇宙精神の投影だと考えた場合、完全性質としての人間はこの自然界においては「熱」として反映されていることになる。そして、もちろんこの熱は即時的認識を持った存在から見れば「人間の状態」を指すことになる。
この熱的状態から人間の精神は進化によって「カタチ」の生成へと向かうとOCOT情報は言う。ここでいう「カタチ」とはシュタイナー的に言えば魂的諸状態の形象のことである。この形象を生み出してく力のことをOCOT情報は「定質」と呼ぶ。定質とは性質とは正反対の意味を持つ言葉だ。性質の状態をstabe=安定化させていく力といったような意味に解釈できる。
この定質の発振が実際に何に当たるかというと、それがヌーソロジーがいつも言っている「顕在化」、つまり素粒子構造の知覚化にあたる。これは物質の即時的認識の第一段階と考えていい。
実はシュタイナーも同じようなことを言っていて、土星期(熱的状態にある)から太陽期になると、アルヒャイ(土星期の人間段階にいるもの)が周囲の存在の内的、魂的諸状態を形象として観察できるようになると書いている。おそらく、この観察を試みているのがヌーソロジーの現在の作業ではないかと考えている。つまりは、人間の物質体・エーテル体・アストラル体・自我という人間の魂的諸状態が素粒子構造によって規定されていると考えるわけだ。こうしたアプローチを採ることによって、シュタイナーが霊視したつかみ所のない宇宙史を文字通り精神科学としてポストモダン的に再生させるためのヒントが見えてくる。
ただし、シュタイナーに拠れば現在の人間は地球期にいる。より詳しく言えば、7段階の遊星期における第4番目の地球期の、7小循環における後アトランティス時代の、7 区分における第五文化期だ。シュタイナーは魂的諸状態を形象として観察するこうした能力を現在の地球期の人間が持つことはできないとし、この能力が生まれてくるのは次の第五の惑星進化期である太陽期だとしている。
シュタイナーのシナリオから言えば、ヌーソロジーは明らかに宇宙のルール違反者、早すぎた受胎とも言えるのだが。。ボクは負けないぞp(^ ^)q
さて、OCOT情報との比較だが、とりあえず、シュタイナーのいう7段階の遊星期=脈性観察子、7小循環=大系観察子、7つの文化期=次元観察子という対応がそれなりに成り立つように感じている。ただ、現在が脈性観察子Φ11〜12(脈性としての第四世代に当たる)に含まれているかどうかは怪しい。それが全体の論理立てとして美しいことはよく分かるが、OCOT情報に拠れば、今回の交替化が「オリオンと太陽系精神の交差」おける最後の交替化だと言って来ているからだ。つまり、何かフィナーレ臭いのである。僕が「未だ人間は土星期にいるのではないか」と考えているのも、このフィナーレが始まりの土星期に繋がっている感覚がしてならないからだ。それにヌーソロジーの発祥が土星の衛星の「タイタン」だったこともある(このへんは感覚なので適当に読んで下さい)。
さて、シュタイナーとの最も大きな齟齬は時間の尺度。OCOT情報では前に示した脈性観察子の諸段階は、調整期(現在)の人間の時間概念に翻訳するならば、わずか約416.000年ですべて終了するとしている。これはマヤのフナブク・インターバルの4周期分である(フナブクが大系観察子の世界に相当します)。
地質学的年代の常識からすれば、これはヘソが茶を湧かす主張。しかし、地質学が放射性崩壊の半減期に絶対的な信頼を置いて年代測定を行っていることの本質的な意味を考えると、OCOT情報を一蹴するわけにもいかないんだな、これが。科学が年代測定に用いる放射性同位体とは一体何か考えないといけない。
OCOT情報では放射性同位体とは「原子に反映された人間」を意味する。放射性同位体は不安定なので、つまり、存在に不安定さをもたらす要因がどうも人間だということだ(笑)。存在自体はこの不安定要因を消そうと放射性同位体を安定同位体に向かわせようとしているだけ。ここでは人間自身が安定の方向に向かえば、放射性同位体は一気に姿を消すというストーリーになっている。
もしほんとうにそのような仕組みで原子の世界が営まれているのであれば、科学が行っている年代測定などは全くの架空のフィクションにすぎなくなる。
放射性崩壊の中でも核分裂なんかはほんと「原子に反映された人間精神の最下層」と言っていいように感じる。ウラン以上の核種は実は原子(宇宙精神の投影という意味では)ではない。それは精神進化が裏返っている部分がくっついて出て来ているのだ。つまり比喩でも何でもなく、ほんとうに悪魔的なものだということだね。
10月 24 2013
とにかく奥行き
何度でも言っておこうと思います。人間の意識的変容に歯止めをかけているのは、空間認識の観点からみると、「幅の世界認識」に尽きます。世界を幅でしか認識してないために、世界のあらゆるものが数量化され、何事につけてもソロバンをはじくようなごくごく表層的な思考しかできなくなっているのデス。
「幅の世界認識」に対して「奥行きの世界認識」というものが存在しています。奥行きを通した世界認識が起こっているところは幅の世界認識が起こっているところとは全く別のところです。現在の人間にはこの区別が全く見えていないので、世界が物質でできているかのような錯覚に陥っているだけなのデス。
「奥行き」は世界の存在を感じ取っている主体自身が息づいている場所です。「幅の世界認識」の中では、この「奥行き」が存在しているところはミクロの極限の中に存在しているかのように見せられる仕組みがあります。
奥行きは知覚的事実としてつぶれています。このつぶれた奥行きを幅にあてがうと、ミクロに入り込むのは当然デス。こうしたミクロに入り込んだ奥行きが物理学では素粒子と呼ばれているだけなのデス。
「今まで巨大な宇宙と思っていたもの」が、奥行きの空間知覚を通じて一気に世界の極小の中に入り込むという出来事。とうにそれは無意識の中では起こっていたのだけど、それがあからさまに意識化されてくるという出来事。この出来事のことをヌーソロジーでは「顕在化」と呼びます。
この「顕在化」が起こると、もうわたしたちは魂や霊といった存在を、正体不明の抽象的な言語概念で表現する必要がなくなってきます。
今まで幅で埋め尽くして表象化していた空間を、すべて奥行きで埋め尽くすことによって、幅の勢力と奥行きの勢力の逆転が起き、わたしたちの意識は物質意識から霊的意識へと相転移を起こすことができてきます。
魂霊的世界の形象化が始まるのです。そして、それは今まで物理学者たちが一生懸命探って来た素粒子世界の構造と一致してくるはずです。それは創造の元初が実は、わたしたち人間が息づいている場所であったということの覚知につながっていきます。
そうした目覚めの中で、現代物理学が持った物質的宇宙観はもうまもなくすべて刷新され、世界全体が霊的世界認識へとシフトしていくことになると個人的には考えています。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 奥行き, 素粒子