9月 9 2005
一日造幣局長
今日は、今度、顧客サービスの一環として導入する商品券の制作を行った。
もちろん、この商品券はヌースコーポレーションの経済圏のみで交換価値を持つものであり、わたしの会社の製品以外の物品と引き換えることはできない。しかし、いかに零細企業の商品券と言えども、最高数万円から最低数千円まで数種類取り揃えた一応立派なプライベート紙幣である。そこには当然、それなりにそこそこのアウラが立ち上る。実際、出来上がったデザインをプリントしてみて分かったことだが、価値を紙切れに注入するという行為には、サディスティックな快感がある。と同時に多少の空恐ろしさも感じた。そう、ここにはわずかながらも、あの蛇の神の顔が見え隠れするのである。
貨幣の歴史は古い。そのイデオロギーのルーツはパルメニデスの原理にあるのだろうか。AはAに等しいという同一律。AがAに等しければ、BはBに等しく、そしてまたCはCに等しい。AとB、BとC、そして、CとAは、この同一律のもとでは、互いに排他的であり、一方が他方に同一性を与える根拠となる。対人関係において排他的になればなるほど、自己同一性は保証される。自己同一性は他からやってきているにもかかわらず、だ。
こうして、君は君に固定され、僕は僕に固定される。君と僕の間にはいかなる交換の可能性もありえない。だからこそ、貨幣はその不可能性の代償作用として、あらゆるものの間の等価交換を一手に引き受けるのである。これはキリスト教的に言えば聖霊の役どころに近いが、こやつはどうひいき目に見ても偽装霊だろう。
自己同一化した自我は、自らの情念をこの偽装霊に重ね、物を引き寄せる引力と化す。貨幣の持つ中心性が作り出す主体性——資本主義は貨幣と自我が組んだ主体性の経済なのである。この主体性の経済が続く限り人々には幸福はやってこない。当たり前の話だろ。幸福の定義とは主体の交換だからだ。
9月 12 2005
NCジェネ参拝
一昨日、昨日と、東京よりR社のF社長とそのブレーンであるA社のスタッフ3人が来福した。
R社のサイトで紹介しているヌース理論のページの全面リニューアルをわたしが要請したからである。
A社はウェブデザインを専門とする会社で、リニューアルを手がけるからには是非、NCジェネレーターを一度見学してみたい、ということで今回の来福の運びとなった。
到着が3時ぐらいの便だったので、社に彼らを招き入れたのは午後4時ぐらいになったが、すぐにNCジェネレーターの設置場所へと案内した。案の定、実物を見るや否や全員にどよめきが起こり、マシーンにしばらく見入った後、全員がカメラを取り出してシャッターを切り始めた。撮影禁止なんてヤボなことは言わない。どうぞご自由に、ただしビデオは駄目。なんだかんだやっているうちに、R社のF社長が驚きを隠せない様子で機械の感想を話し始めた。
「半田さん、これ何かすごいですね。風が吹いてませんか?この機械から風を感じるんですよ。機械の中心に向かって風が吹いてるんです。」
無論、風なんぞ吹いていない。彼独自のエネルギーの感じ方の表現だ。F社長とは10年来の付き合いだが、彼がヌースのエネルギーを体感したのはこれが始めてである。ちょっと興奮気味である。ヌースエネルギーの感じ方には人それぞれ違いがある。多くは手のひらにジンジンと痺れるような感覚を感じたり、指先にビリビリと電気的な力を感じることが多いが、中にはF社長のように風を感じる人もいる。A社のスタッフであるHくんはネイティブアメリカン・フリークで、仕事の合間を縫っては長期休暇を取り、ネイティブアメリカンのリザベーションを訪れるナチュラルスピリットの持ち主なのだが、おもむろに、クリスタルの水晶を取り出しては、マシーンの上で揺らし始めた。何でもこの方法によってエネルギーのタイプが分かるらしい。
始めるなり、いきなり 「うぁー、すげぇー、これ。」と嬌声を上げた。振り子の方を見ると、ひもを引きちぎらんばかりに、ほぼ水平状態の振幅を持ってバカ揺れしている。おまけにグルグルと回り始めた。「こんなの始めてですよ〜。」自らもロン毛を揺らしながら、うれしそうにエネルギーの感触を楽しんでいる様子だった。
最後は、4人全員マシーンの周りで蓮華座になり、メディテーション状態に入った。おいおい、何か勘違いしてないか、これは機械やで。。。
しかし、本当に楽しい2日間でした。また、遊びに来て下さいね。
By kohsen • 10_その他 • 1 • Tags: NC-generator