11月 15 2005
新型インフルエンザはタミフルエンザ
さて、なんとも不気味なニュースが世間を騒がせて始めている。新型インフルエンザ流行の恐れだ。インフルエンザウイルスは毎年マイナーチェンジ的変異を起こしているが、数十年間隔でフルモデルチェンジ的変異を起こし、免疫力が全く通じない新種のウイルスへと変身する。こうした新種のウイルスでは、インフルエンザはもはや流感などと言って侮れるものではない。最悪だったのは1918年に起こった「スペイン風邪」の大流行だ。全世界の当時の人口12億人のうち、何と2500万〜4000万人がこの風邪で死亡したと言われている。ちょっと信じられない数字だが、日本でも数十万人死亡したらしい。交通の便も悪く人の行き来もさして頻繁ではなかったあの時代にこれだけの被害をもたらしたということは、グローバル化を謳歌するこの時代、一体、どれだけのスピードで、何人の人が犠牲になるかは推測不能だ。まして,今回予想されるウイルスの型は、H5N1型と呼ばれる全く異種のものなのだ。
今日のニュースではもし日本で流行の兆しが見えた場合、厚生省は「非常事態宣言」を出すと何気に言っていた。おい、ちょっと待て、そんな大事なことはドサクサに紛れて発表せず、NHKを通じてもっとド派手に特別番組でも組まんかい。おまけに、政府は来年度中までに2500万人分のタミフル(新型にある程度有効とされる薬品)の備蓄を進めているという。何か大変なことになってきたぞ。それだけでも、近年にない異例の騒ぎだというのに、このタミフルとやらを服用した少年二人が異常行動死を起こすという一層薄気味悪いニュースまで入ってきた。一体、何のこっちゃ?そんなとんでもない薬品を備蓄して、国民2500万人にお上を通じて飲ませようというのか?まるで、細菌パニックものの小説みたいな話やんけ。
どうも今回の一連のニュースの流れはブラッキーすぎる。そう思わないか?え〜い、ついでだ。もっとブラッキーにしてしまえ。聞くところによると、インフルエンザ60年周期説というのがあるんだそうな。新型インフルエンザは60年サイクルでトリの世からヒトの世に舞い降りてくるというのだ。まるで、ソドムの天使じゃないか。60年周期というとすぐに思い出すのが竹の開花である。竹の花は60年に一度だけ一斉に花を咲かせ、その後、竹やぶの竹を自ら一度一斉に枯れさせる。それは竹自体が健全に生き延びるために選んだ彼ら独自の繁殖の在り方なのだ。竹は普段はタケノコでいわばクローン的に繁殖して行くが、それが限界になると花を咲かせ有性生殖をして、一種の間引きを行う訳である。その周期が60年というわけだ。もし、インフルエンザ60年周期説が正しい説だとするならば、これもまた自然が選択した人間に対する「正しい繁殖の在り方」の一環なのかもしれない。インフルエンザウイルスには神の意図がプログラムされている。。
まあ、オウム事件以後、日本人は不安情報ばかりを先走らせたがる終末願望を持っているので、このインフルエンザ関連のニュースに関しても、ここで私が書いているようなトーンのものがこれからたくさん出てくることだろう。しかし、賢い諸君はそんなちっぽけな危機感に右往左往することなく、自分自身が信じる生き方に邁進されたし。実際、ああだこうだ騒いでいるうちが花なのよ。一端、事が始まると、悲劇的現実というものはいたってクールに進行していく。そして,事が終わって10年ぐらいして、アホ面下げて皆んなが言うのさ。「あれって、ほんとにすごかったよね。」って。過去が教訓になることなど稀。悪いニュースはつねに良いニュースなのだ。
——この書き込みがたちの悪いジョークで終わることを祈る。
11月 17 2005
プラトン・コーディネーツ
ここ1週間ほど、久々にゆっくりとヌースの思考空間に入ることができている。わたしにとってはまさに至福のときだ。現在、懸案となっているテーマは、次回作の中心ネタともいえる「プラトン・コーディネーツ(Plato-coordinates)」の作成である。プラトン・コーディネーツとは、プラトン立体を無意識構造のカタチの形成秩序と見たときの呼称で、完成のあかつきには、ヌース理論に登場する次元観察子という高次の位置概念が、各プラトン立体の頂点や面や線にビシバシと付与されていくことになる。次回作では、このハイパーな意識の位置座標の導入によって、ケイブコンパスで指し示した高次元の位置構成の秩序を、一つの観念の結晶体構造として出現させるもくろみなのだ。うまく行けばかなり強烈な思考ドラッグとなることは間違いない(だは。ヌースは人々を空間ラリルレロ症状に陥れ、3次元的ロレツを回せなくしてしまうツールなのだ)。
プラトン立体に関するヌース的解釈については「光の箱船」でも少し書いたが、まだまだ満足のいくものにはなっていない。虚数空間に対してどういう解釈を施し、それをどう取り込むかがまだ曖昧なのだ。現時点では、「奥行き方向に虚軸の本質がある」ということだけは分かってきたが、それをプラトンコーディネーツにどう組み込むかはまだ明確ではない。しかし、解決の兆しはだいぶ見えてきている。数学的なウラを取るのはのはかなり難しそうだが、すくなくともそのストーリーの運びはほぼできあがってきた。今日も、砂子氏に電話で連絡を取り、その概要が物理学的に間違っていないかどうかいろいろとチェックをお願いした。
ポイントとなるのは奥行き方向を虚軸とおいた時に、その虚軸が示す具体的な意味とは何かをどのくらい具体的に示せるかということである。奥行きとはわたしたちが世界に触れることのできる方向性だ。そこは光に満ちたエーテル的空間でもある。観測者と世界とをつなぐ線に「虚」を見るということは、この空間にはモノとモノとをつなぐ実空間と観測者とモノ、もしくは観測者と観測者をつなぐ虚空間とが重畳して混在していることになる。
虚軸がユークリッド空間上の線と違うところは、虚軸上(視野空間上)においては、3次元空間が丸ごと畳み込まれているということだ。目の前でボールをグルグルと回してみるといい。視野空間という場所は、普通にはユークリッド的には視点と呼ばれるにも関わらず、そのボールのグルグルをすべてが受容できる場所となっている。つまり、このことは、幾何学的に言えば、モノと観測者を結ぶ線分には三次元の回転群(SO^3)がすべて畳み込まれているということの証なのである。こうした特殊な線分を虚数軸と見立てると、実は、難解な高次元のトポロジーの話が面白いほどビビッドなイメージとしてわき上がってくる。
射影幾何学的にはSO(3)は3次元射影空間RP^3と同相とされる。RP^3は3次元ユークリッド空間R^3に無限遠平面を加えたものである。視野空間上でモノがグルグルと回転しているときに、その背景に見えているものは何か。それが大空や星空であれば、無限遠平面そのものと言っていい。この宇宙が閉じた3次元球面状のカタチをしているならば、無限遠平面は前に見れば無限の彼方にあるが、後ろに見れば、それはわたしのすぐ後ろの後頭部にへばりついている。いや、もっと言おう。わたしを例の「首無し死体」と見れば、それは今、ここにある視野空間と同じものと言っていい。内面(前方)に見える無限遠を外面側(後方)にグデンと裏返すこと——。こうして、ヌースでは観測者の位置は3次元空間においては無限遠=ココとしか言いようの無い場所として示される。この宇宙の果てはかつてアインシュタインがいったようにわたしの後頭部とつながっているのだが、それは「此処」と同じ場所だということである。さしずめ、マグリットならば、こうした様子を、ドタマに風穴を開けられて宇宙を覗いている初老の紳士の後ろ姿として描くだろう。こうした風景が生き生きとイメージされてくれば虚空間の訪れもそう遠くはない。
ブログなのでこれ以上の深入りは避けるが、いずれにしろ、「観察」という要素を「虚」の幾何学として取り込むと、この空間は様々な複素次元の回転群の多重構造によって埋め尽くされていることが見えてくる。それこそ、見えない天使たちが縦横無尽にこの空間の中を飛び回っている情景が見えてくるわけだ。こうした天使たちの交易ルートが先に挙げた「プラトン・コーディネーツ」と考えてもらえばよい(これは太陽系とも関係あるよ〜ん)。
まもなく、真の等価交換が執り行われているこの天使たちの交易ルートが人間の意識の前にも姿を表してくることになるだろう。それは、地上の天への上昇と呼んでもいいし、天上の地への降下と呼んでもいい。いずれにしろ、かつて誰も見たこともない永遠の都市空間へのリフォームが開始されるはずだ。人類初の劇的ビフォーアフター。わぁおぅ、もとのオウチじゃないみたい!!
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: エーテル, ケイブコンパス, プラトン立体, マグリット, ユークリッド, 無限遠