12月 7 2005
Mama dancing
1980年のことだから、もうあれこれ26年前のことになるだろうか。若干23歳のときにやっていたバンドのデモテープのCDがわたしのもとに送られて来た。差出人は当時の音楽仲間だ。いやぁ〜、何と懐かしい。ヌースをやり始めてからというもの過去の回想に耽ることはほとんどなかったが、このテープだけは別だ。当時を懐かしむように何度も何度もリプレイして聴いている。
全9曲入りのデモテープは当時としてはアルバム制作に匹敵する思い入れで作ったものだが、今聴いてみるとかなりショッパイ(笑)。使えるのはせいぜい3〜4曲程度。当時は日本最高のポップロックを作ろうと意気込んでいたのだが、やはり歌謡ロックの域を出ていないことを改めて痛感する。センスがイマイチなのだ。ポップロックの条件は3分30秒以内の世界でいかに楽曲の世界を広げうるかにある。4分以上の曲作りは第一戦級のミュージシャンだけに許される。当時そう信じて疑わなかったわたしは、つねにコンパクトでふくよかな曲作りを心がけていた。短い楽曲の割に構成もよく練られているし、それなりに華やいだ力強さもある。。しかし、、肝心のボーカルとメロのリズムの取り方がやっぱりダサイ(笑)。
このデモテープのあと、エピックソニーから佐野元春が「ガラスのジェネレーション」でデビュー。ガ〜ん!!わたしは潔くポップロックを諦め、ポップソウル(笑)に方向性を転換していったのだが、ソウルのボーカルはとても執れないのでソングライターとしてプロの道に進もうと考えていた。所属のレコード会社もワーナーパイオニアからキャニオンへと移った。キャニオンでレコードを出すか出さないかというときに、例の発狂事件に巻き込まれる。
26年という月日が経ってもわたしの本質は何一つ変わっていない。湧き上がる情動の中に今ひとつ弾けきれない塞ぎがちのマイナー7thの自分がいる。何事も自分の和声を根底から叩き壊さなければ一流のものは生み出せない。かなり恥ずかしいが一曲だけネット上で公開しておこう。
Mama dancing(1979)
(Music by Hironobu Handa、Words by Mitsumaro Ono &Hironobu Handa)
ビートルズの「Magical Mystery Tour」に収められている「Your mother should know」とスーパートランプの「Breakfast in America」に共通して漂うマイナー7thコード特有の哀愁を、よりタイトな8ビート感覚でダンディに表現する(したい)というコンセプトで作った曲。最後のギターソロはツェッペリンの「天国への階段」を意識したが、ちょっと長過ぎか。ちなみに、この曲、作詞は若かりし日の小野満麿氏(痴性体トーラスさん)との合作である。
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12月 8 2005
Doo bee night
実は、前回紹介したデモ・テープだが、このテープはエバシラという相棒抜きでは存在しなかった。彼はわたしのソングライティングのパートナーであり、このデモテープ計画のプロデューサー兼スポンサーでもあった。エバシラは当時,まだ高校2年生。ニキビづらのあどけない17歳の少年である。ヤツとの出会いは今思い出しても、実に衝撃的だった。いつも行くスタジオに顔を出すと、ビートルズの「マーサ・マイ・ディア」を弾いている小柄なガキがいる。おっ、フルコピじゃん。
「君、ビートルズが好きなんだ?」
「好きっすよ。全曲できます。」
「じゃあ、何か弾いてみて。」
すると、いきなり、カム・トゥゲザーが始まった。驚いたのはそのままアビー・ロードのアルバム全曲を最後まで弾いちまいやがったことだ。それもコードを叩くだけでなく、ポールのベースラインをすべてフルコピーして左手で弾いちまいやがった。何やこいつ。。空いた口が塞がらなかった。これだけで驚いちゃいけない。たった17歳のガキである。そのガキがプログレだろうが、R&Bだろうが、モータウンであろうが、50年代のロックンロールであろうが、UKメインストリームだろうが、パンクだろうが、日本のロック全般だろうが、挙げ句の果ては歌謡曲だろうが、全ジャンルにわたって聴き込んでいたことだ。いや、聴いていただけじゃく、片っ端からコピーしまくっていたのだ。こんなやつ、プロにだっておらんだろう。
ハイセンスなポップ音楽をやりたかったわたしとエバシラは意気投合し、ソングライティングのコンビを組んだ。「おまえがポールでオレがジョンね」とか勝手にほざいていたのだが、最初に二人に与えられた課題は、ティーンズ向けの楽しいノリノリのナンバーを作ることだった。ライブのときにオープニングで一発ブチかます曲が必要だったのである。派手な曲でポップセンスを出すのはムチャクチャ難しい。できれば、モット・ザ・フープルかウィングス、ELO当たりのテイストが出れば最高なのだが、と若気の至りとはいえ空恐ろしいことを考えていた(笑)。案の定、作業は難航した。
イントロとAパターンのリフはわたしが以前から作っていたパーツを使うことに。しかし、問題はサビだ。なかなかいいコード進行が出てこない。そんなとき、奴が「半田さん、これどうですか?」と言って、ピアノの鍵盤を叩きながら、Come on ! Como on ! と歌い出した。決定的だった。
わたしのアイデアで、途中、ビートルズをもっとパロちゃおうぜ!!ということになり、イントロはBack in the U.S.S.R風に飛行機の着陸音を、サビの部分は「Magical mystery tour」の歌詞を無理矢理入れこんでみた。それがバッチリはまり、今度はエバシラがそれに即座に反応。「生っぽくやるとダサイっすよ。それなら、レスリー・スピーカーを使ってサイケに行きましょう、あと、シンセでラッパも入れましょう」 うーむ、こいつはジョージ・マーティンか。スタジオにハモンドオルガンがおいてあったので、ボーカルのマイクを無理矢理そやつにぶちこむことに。あわわ、スタジオの人が怒り出しちゃって、もう無茶苦茶である。しかし、この奇策が見事に成功。曲名のDoo Bee Night(クスリでギンギンの夜)にふさわしく、キラキラした感覚の、小気味よい、かつ、スケールの大きな楽曲に仕上がった。
今頃、エバシラはどうしているだろうか。今考えれば、この50年近い人生の中でわたしが最も影響を受けた人物はヤツだ。ヤツがいなかったらヌース理論もなかった。ヤツとの変わらぬフレンドシップに乾杯。くしくも今日は、わしら二人の永遠のアイドル、ジョン・レノンの命日。この思い出の曲を公開するにふさわしい。(バンドのメンバーにも感謝)
Doo Bee Night (1980)
(Music by Y, Ebashira & Hironobu Handa、Words by Y, Ebashira &Hironobu Handa)
この曲はできればボリュームフルで聴いて下さい(笑)。
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Doo_bee_nightBy kohsen • 07_音楽 • 2