5月 2 2017
BABYMETALファンのオチさんとの対話
BABYMETALのファン仲間にオチさんという方がいる。先日、Twitterで次のようなつぶやきをしてくれた。(以下、「オ」で記します)
オ : この動画が切欠でヌーソロジーの底の深さを覚えた。「認識し得ない何かがある。」と確信を持った。人の意識には認識する構造がある。
この動画がアヌビス(キツネ様)の円というのも惹きつけられる。
O氏の回転機械を客観空間で見た映像
………………………
この動画に鋭く反応する人はヌーソロジーに向いていると思う。というのも、ヌーソロジーというのは空間知覚を変えていく方法論を説いているものでもあるので、空間に対する感受性が何よりも重要視されるからだ。
僕はフォロワーの人たちも意識して、彼にこう返した。
コ : 反転認識を引っ張り出すためには極めて重要な知覚実験ですね。ヌース的思考に慣れていない人は、この動画を何度も見て、空間がどのように構成されているかしっかり考えてみるといいと思います。
すぐにオチさんから、返事が返ってくる。
オ : ありがとうございます。この動画、数え切れない程見ています。今も見ては思考を繰り返しています。これがイデアのカタチを捉える入り口?だと思っています。
鋭い。この動画を見て、これがイデアのカタチを捉える入り口だと感じる人はそう多くはないだろう。そこで、僕はイデア認識にとってもう一つヒントとなる言葉を出した。
コ : はい、ヌーソロジーの文脈ではそうですね。3次元空間上の様々な位置を一点で統一して絶対的中心を見い出すためのトレーニングのようなものになっています。
オ : ありがとうございます!
様々な位置を一点で統一して絶対的中心・・・。
何か掴めそうな感じがします!
オチさんの中でもぞもぞと蠢いている裏返りへの欲動がこちらにも伝わってくる。昔の僕も同じ状態だった。
―なぜ、缶が回って見えるのか。
―一体、この空間は何なのか。
その意味が明確につかめたのはゼロ年代に入ってからだった。
自分から広がっているように感じる空間が一つの中心に見えてしまう空間。。。そのとき、90年代にやりとりしたOCOT情報の中に頻出していた一つのシリウス言語の意味がハッキリと分かった。
コ : 一人の人間から広がっているように見える空間とは何なのですか」
オ : 垂質です。
「垂質」・・・その記憶が蘇り、すぐさま、このやりとりをツイートに載せた。
すると、オチさんは次のように返してきた。
オ : 垂質って、このお話の事でしょうか?

真の奥行きの意味を簡単な図で示しておこう。ここに描かれた方向は今は「時間」ということにされている。それが原点を局所的なものにしている。この方向が持続軸へと変態を起こしたとき、原点は非局所となり、外的中心を持った空間が姿を表す。
………………………
僕の歩んだ思考と同じ琴線に触れている。すぐに僕もツイートを返した。
K : そうですよ。
垂質・・・まさに世界に対して垂直な方向性にある力のこと
オチさんのような方が現れてくるたびに、ヌーソロジーというものが共通了解が可能な概念体系になってきていることを実感する。また、共通了解が取れるたびに、概念自体が力強いものになっていくのを皮膚感覚として感じる。概念は多くの人たちとの共有によってこそ、概念と成りえていくのだ。
これ以上の喜びは今の僕にはない。




6月 2 2017
新しい場所論を!!―無頭人たちが生きる場所
目の前の奥行きには、「収縮としての奥行き」と「弛緩としての奥行き」が重なり合って存在させられています。例のバイスペイシアル認識というやつですね。前者が虚軸で、ベルクソンの言葉でいうなら純粋持続(無意思的記憶)の役割を担っており、後者が実軸で、こちらは純粋知覚(瞬間的知覚)の役割として働いています。
今のわたしたちは、前者について全く無自覚で、後者だけで世界を見ているということが分かります。虚軸が真横にずらされて、奥行き方向に実軸=幅しか感じ取ることしかしていません。「他者視点から世界を見る」という他者-構造に空間認識が支配されて、自己のアイデンティティを保証している持続空間が見えなくなって、無自覚のまま無意識的に働いているわけです。
これからの時代、この是正が始まっていくと思います。世界の土台への沈み込み=巻き込みの方に意識が方向性を変えていくということですね。この反転は、人間をマクロ空間に生きる物質的生き物から、ミクロ空間に生きる霊的生き物へと変態させ、物質世界を内部側から見る知覚(正確には超感覚的知覚)を発現させてきます。
幅認識で世界を構成している意識の組織化が経験的自我で、奥行き認識で世界を構成している意識の組織化が超越論的自我と考えるといいでしょう。後者の組織化が認識に浮上することにより、意識は相関主義が形作る円環から逃れその外部へと出て行きます。それがドゥルーズがいうところの「差異化」です。
もちろん、こうしたバイスぺイシアルな空間認識を達成することがすべてというわけではありません。重要なことは空間認識がそのような変化を見せ始めたときに、この差異化していく空間思考にどのような新しい空間感情が伝播してくるのか―。思考者はその共振に常に注意を払っていくことが重要です。
この世界認識の型(ヌーソロジーでは「トランスフォーマー型ゲシュタルト」と呼んでいますが)は、シュタイナー風にいうならば、イマジネーション認識の土台となるもののように思えます。人間の経験的自我が生み出すほとんどの意識的内容物が、時間と空間という感性における直観形式を土台にした培養物として生まれているように、この新しい世界認識の型は霊我(シュタイナーのいう高次の自我)における直観形式を決定づけ、その形式に合わせた新しい超感覚的な知覚的内容物を用意してくるのではないかと思っています。
その意味で言えば、トランスフォーマー型ゲシュタルトとは今までの時間と空間に変えて、無時間世界(持続空間)の中において、新しいトキとトコロを用意する場所論のようなものとも言えるのではないかと思っています。
素粒子とは、このトキトコロの場所が「響き(霊引き)」として存在させられているものであり、この「響き」を聞き取るところにわたしたちの意識が発生しているとも言えます。
そして、そのトキトコロの響きを追って、そこに響きの起源となっている「響かせているもの」の空間形態をトレースしていく純粋思考の力がそのまま元素体の生成へと繋がる仕組みになっているようです。そのトレースをケイ素体まで導くのが、OCOT情報がいうところの「シリウス」です。14のイデア空間です。
かなり、ブっ飛んだ話をしている自覚はあります(笑)。しかし、奥行きが見えてくれば、この話は単なるトンデモだけでは片付けられない、「ありうる」「ありうべき」話として聞こえてくるのではないかとも思っています。未だ誰も超越論的なものの在り処について明確に指し示した人はいないわけですから。
無頭人(アセフェル)のゲシュタルトが目撃する新しい場所。それを作れ、そうすれば、彼はやって来る―。フィールド・オブ・ドリームスのアレですね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 09_映画・テレビ • 0 • Tags: OCOT情報, シュタイナー, トランスフォーマー型ゲシュタルト, ドゥルーズ, ベルクソン, 奥行き