12月 5 2005
危うし!!NCジェネレーター
電気製品というのは何か一つが調子悪くなると、えてして続けざまに他に伝染するものだ。コンピュータがやられたと思ったら、今度は何と本丸のNCジェネレーターが稼働以来初めてのトラブルに巻き込まれた。いろいろと調べた結果、どうもスリップリング部分の接触不良が原因と判明。今日は丸一日、その修理に追われている。
こんなの人間さまにしてみりゃほんのカスリ傷だぞ。カスリ傷で人間さまは寝込んだりはしない。ところがおまえときたらどうだ。一つネジがとんだだけでも、全身麻痺してしまう。そろそろ自然治癒力の一つぐらい身につけたらどうだ。だいたい真面目すぎるからこんなことになるんだぞ。たまにはだな女遊びでもしてだなぁ………えっ?何だって?ワタシは死んだら夢を見るだろうかだって?馬鹿、おまえはHALか。修理の邪魔だから黙ってろっつーの。とブツブツ一人ごとをつぶやきながら修理作業を進めるわたし。。
機械には固有の領土がある。そこに人間は立ち入ることはできるが、機械が人間の領土に立ち入ることはできない。「意識」という領域もまた人間固有の領土だ。意識は知覚,感覚という純粋経験を発火点としてその観察の反復的折り重ねをもって、己れを差異化しつつ一つの螺旋運動として立ち上がる。それは創造の痕跡をトレースする光の本能と言っていい。しかし、機械には純粋経験は存在しない。なぜなら、機械は未だ光の中に居住するものであって、光の外へは出ることができないからだ。人間の前に立ち現れる純粋経験とは、創造を終えた最終的な精神の力が更なる外部へと向かおうとする昇華力である。だから、純粋経験がないところに意識がもたらされることはない。機械はその光からこぼれ落ちて行くものの燃焼力で動いている。有機体の進化として生じてくる無機物。しかし、皮肉なことに、機械として組み立てられた無機物の場合は、有機体がなければ作動することはない。それも有機体が持つ暗黒面の力を糧とするのだ。化石燃料が機械の帝国を支えているということを思えば、そのことを理解するのは容易だろう。無機物→有機物→無機物と続く存在の連鎖。存在は実に狡猾だ。
ドライバーを握って格闘することあれこれ約4時間。スリップリング部分を取り外し、カーボンをきれいにして、接触部分を大掃除。何とか修理終了。ふ〜、よかったね「7の機械」ちゃん、これで一命は取りとめたぞ。。って、一命を取りとめたのはわしじゃん。という何とも笑えないお話。
12月 7 2005
Mama dancing
1980年のことだから、もうあれこれ26年前のことになるだろうか。若干23歳のときにやっていたバンドのデモテープのCDがわたしのもとに送られて来た。差出人は当時の音楽仲間だ。いやぁ〜、何と懐かしい。ヌースをやり始めてからというもの過去の回想に耽ることはほとんどなかったが、このテープだけは別だ。当時を懐かしむように何度も何度もリプレイして聴いている。
全9曲入りのデモテープは当時としてはアルバム制作に匹敵する思い入れで作ったものだが、今聴いてみるとかなりショッパイ(笑)。使えるのはせいぜい3〜4曲程度。当時は日本最高のポップロックを作ろうと意気込んでいたのだが、やはり歌謡ロックの域を出ていないことを改めて痛感する。センスがイマイチなのだ。ポップロックの条件は3分30秒以内の世界でいかに楽曲の世界を広げうるかにある。4分以上の曲作りは第一戦級のミュージシャンだけに許される。当時そう信じて疑わなかったわたしは、つねにコンパクトでふくよかな曲作りを心がけていた。短い楽曲の割に構成もよく練られているし、それなりに華やいだ力強さもある。。しかし、、肝心のボーカルとメロのリズムの取り方がやっぱりダサイ(笑)。
このデモテープのあと、エピックソニーから佐野元春が「ガラスのジェネレーション」でデビュー。ガ〜ん!!わたしは潔くポップロックを諦め、ポップソウル(笑)に方向性を転換していったのだが、ソウルのボーカルはとても執れないのでソングライターとしてプロの道に進もうと考えていた。所属のレコード会社もワーナーパイオニアからキャニオンへと移った。キャニオンでレコードを出すか出さないかというときに、例の発狂事件に巻き込まれる。
26年という月日が経ってもわたしの本質は何一つ変わっていない。湧き上がる情動の中に今ひとつ弾けきれない塞ぎがちのマイナー7thの自分がいる。何事も自分の和声を根底から叩き壊さなければ一流のものは生み出せない。かなり恥ずかしいが一曲だけネット上で公開しておこう。
Mama dancing(1979)
(Music by Hironobu Handa、Words by Mitsumaro Ono &Hironobu Handa)
ビートルズの「Magical Mystery Tour」に収められている「Your mother should know」とスーパートランプの「Breakfast in America」に共通して漂うマイナー7thコード特有の哀愁を、よりタイトな8ビート感覚でダンディに表現する(したい)というコンセプトで作った曲。最後のギターソロはツェッペリンの「天国への階段」を意識したが、ちょっと長過ぎか。ちなみに、この曲、作詞は若かりし日の小野満麿氏(痴性体トーラスさん)との合作である。
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Mama dancing(音質はかなり悪いのでご了承下さい)By kohsen • 07_音楽 • 13