12月 29 2005
掃除の理屈
セカ、セカ、セカ、セカ、サッ、サッ、サッ,サッ,ゴー、ゴー、セカ、セカ,ホイ、サッサ。ときたもんだ。
昨夜から鳴りっぱなしのアンビエント・ミュージックをBGMにして今日は自室の大掃除。部屋の隅にあるコンセントのところに風で吹飛ばされたタバコの灰が吹きだまりのようになっている。うっ、汚ねぇー。と一気に掃除機で強引吸入しちゃれと思いきや、コンセントが外れコンピューターと掃除機が機能停止。ふいに訪れた静寂の中をタイミングよくカラスの鳴き声がカァカアと響き渡る。。ムキッ!!面倒くせぇ〜。
わたしは生来の無精である。掃除は盆前と年末の大掃除の時期に年2度ぐらいしかやらない。これは実は致命的な欠点である。どんなに綺麗ごとを並べ立てていようが掃除ができないやつは人間失格だ。労働なんぞはできなくてもいい、しかし掃除はデキるやつにならなくてはならない。何度そう自分に言い聞かせたことか。しかし、これがなかなか難しい。掃除は自分自身の魂への無料奉仕である。よって、掃除は「汝,為すべし」の号令ではなく「我、為すべし」の自覚的作業のもとに行われる。掃除だけは労働ではないのだ。
実を言うとプライベートな空間というのはあまり好きではない。いや、正確にいうと一人の部屋は好きだが、自室を自分の王国にするような飾り立ては好きではない。だからわたしの場合、あっ、ここは半田広宣の部屋だなと思われるような趣味・嗜好のものは、書物以外ほとんど置かない。たまった私物はさっさと捨てる。モノを大事にしない人と言われればそれまでだが、自分の部屋に自分の痕跡を遺すのはあまり好きじゃないのだ。よって、年に2度のこの記念行事は、整理整頓というよりも痕跡の消去として執り行われる。だから、45リットル入りゴミ袋が4〜5袋はゆうにいるのだ。あるわ、あるわ、無用の長物。まぁ、それだけゴミが貯まっているということだが。
わたしの場合、出張が多いので 過去10年間の間、1/10ぐらいホテル暮らしをしている割合になるが、わたしは自室よりもホテルの部屋の方が遥かに落ち着く。そこには自分の痕跡が一切無い。タブラ・ラサの世界。掃除はそうした白紙状態の再現として行われることが望ましい。だから、今日は徹底的にやる。ごきげんよう。
1月 6 2006
ポスト・ヒューマンボディーズ
NHK衛星放送で立花隆最前線報告「サイボーグ技術が人類を変える」という番組をやっていた。去年放映された番組の再放映である。カフェ・ネプの方でも話題になっていたやつだ。第一話は「人体と機械の融合」、第二話は「脳をどこまで変えるのか」というタイトル。昨日と今日の二日にわたって興味津々でTVを見た。
第一話では、落雷事故で両腕を失った男性に装着された人工の腕や、病気で完全に視力を失ってしまった女性が人工の眼で光を取り戻す様子が紹介されていた。身体の一部を機械で代替するいわゆるサイボーグ技術は、一昔前ならSFの世界の話だったのだろうが、近年のITとロボット技術の驚異的な進歩もあって、ここ4〜5年で突然変異的な発展を遂げてきているらしい。こうした技術が今、現実にあるということに想像していた以上の驚愕が走った。
第二話はある意味もっとすごかった。こちらは身体改造ではなく、意識改造である。脳への電気刺激によるメンタルマニュピレーション、感情操作技術の紹介だっだ。番組ではうつ病患者の脳に電極を埋め込み、そこに微弱な電流を流すことによって悲しみの感情を抑制する現場が紹介された。研究者の話では、近い将来は、神経強迫症、統合失調症といった精神病の治療のみならず、食欲中枢やその他の感情中枢への適用も可能になるだろうということだった。cg25——それが悲しみの中枢の登録名である。
コンピューターが登場してきた時点で、身体と機械の境界が曖昧になっていくことは予想していたが、ブレイン-マシン・インターフェイスのテクノロジーがこれほど早く実現しようとは。。しかも、この分野にはおそらく軍事技術への応用を先頭に豊富な研究資金が流入してきているはずだ。今後の進歩は分刻みと言っても大げさではない。立花隆はこういった一連の技術を目の当たりにして、それを「人間の進化」と言っていたが、確かにそれは今までの人間のイメージを劇的に変化させる事件には違いない。
人間主体はいままで宗教、哲学、思想など、いうなれば人間の中に組み込まれたソフトウェアが人間を変えるものだと信じてきた。しかし、この番組を見る限り、ソフトウェアの進化に見切りをつけ、ハードウェア自体を別のものに入れ替えようとしているように思える。この先にあるのはやはり身体、総入れ替えの技術なのだろうか。身体と機械の境界をまずは曖昧にし、それから一気に機械的身体への変身を図る——ポストヒューマンボディーズ。未来社会はクローン人間とサイボーグが二大種族としてこの地球上を闊歩する。そんな破局的イメージが脳裏をかすめる。
番組の中でも多少触れられていたが、こうなるとますますわたしたちの心の在処が問題となってくるのは必至だ。身体脳と心の脳とは言うものの、心は本当に脳の中にあるのか?いや、もっと別の表現で言い換えよう。未来は本当に脳の中にあるのか?いや、そもそも、こんな世界の実現が本当に未来と呼べるものなのか?人類まるごと、揃って存在の外部へ出ようとしてなはる。。こんな恐ろしい世界、うち、はっきり言って、ようつき合わんて。
By kohsen • 09_映画・テレビ • 1